第二節 雨上がりの逃走劇

第1話 憂鬱な話題

 しとしとと瓦を打つ雨音。

「はあ……」

 怪我をしていた時にも一度だけ訪れた、奇人街においては珍しい雨を見ながら、泉はやるせないため息を零した。

 別に、雨のせいではない。

 昼前に例の如くノックなしで現われ、飯を催促する店主のせい、は多少あるが。

 話は昨日、シイが現れたことに端を発する。



 シイの顔を見た途端、ワーズが吐いた「太いの気にしてたよね」という暴言は、続け様にある解決策を提示した。

「ちょっと荒療治になるけど、昼の奇人街で歩くのはどう? あの陽を浴び続けてると色々消費されるから、体重なんてすぐ戻るよ? どうせなら早い方が良いよね? じゃ、明日からってことで」

 珍しく真面目に語るのは結構だが、デリケートな悩みを人前でベラベラ喋るのは止めて欲しい。ショックから一言も発せずにいると、これを了承と受け取ったのか、勝手に話が進んでいく。

「で、シイ? 言った通り、泉嬢が太いの気にしてるから、要因のお前が手伝え。ランをつけてやる」

「はぇ!? な、なんで俺が? だ、大体、泉、だっけ? 彼女、別に太ってなんか――」

 世辞でもなく、本気で言って貰えたことに、少しだけ気持ちが浮上しかけるが、

「いやいや。見た目には分かりにくいけど、確実に太っちゃってるよ。女の人って、体重の微々たる変化も許さないからねぇ」

 容赦なく突き刺さる、「太い」という単語。

 項垂れる泉と同じように眉を寄せたランが首を捻る。

「見た目で分からない、微々たる変化? そんなこと、なんでお前に分かるんだよ?」

「ん? そりゃあ、一日に何回も抱いてれば分かるさ」

「「はあ!?」」

 異口同音にワーズへ叫び、顔を見合わせては正気を疑うように指を差され、言葉にならずブンブン手と首を振った。ジェスチャーだけで、半信半疑ながら納得してくれたことにほっとしたのも束の間、絶対意味が分からないと思っていたシイが、ぽっと赤らめた顔を逸らした。

 まさかと焦り、言い繕おうと言葉を探したなら、

「泉嬢は嫌がったけどさ、足、怪我してるのに階段上り下りって大変だろ?」

 元凶の言葉にシイはなるほどと頷き、愕然とした面持ちのこちらを認めては、えへへと愛らしい笑顔を浮べた。つられて笑いはしたものの、どう頑張っても引きつった笑いにしかならない。シイの方もそんな泉の愛想笑いを気まずく思ったようで、顔をワーズの方へ向けた。

「わ、ワーズの人! お姉ちゃんが……その、あの、気にしているのは分かりましたけれど、何故それがシイのせいなのですか?」

 素直に体重と言わない優しさが、ありがたくも辛い。

 加え、四人もいて語ることが泉個人の体重話。

 しかもその内二人は男。

 何の嫌がらせか、それとも罰か。

 段々泣きたくなってきたなら、ワーズがシイに対し、へらりと嗤う。

「へぇ? 忘れたのか。いい度胸してるな? 泉嬢が怪我した原因、誰にあったのか忘れたって?」

「う? ソレとコレと何の関係があるのですか?」

 首を傾げつつも、痛いところを突かれたように一歩退くシイ。

「さあ? 少しは自分で考えろよ」

「ちょ、ちょっとワーズさん! 原因って、あれは――」

 幽鬼からこの子ども救うため猫を探し、その際負った右腕と左足の怪我。

 今ではすっかり治った怪我だが、元々泉が勝手にやった結果であって、シイが責められる謂れはない。

 第一、体重の原因を挙げるなら、ワーズこそ適任だろう。

 なにせ、いらないと言っても体力が付くからと飯を多量に用意し、動こうとしても怪我を理由に押さえつけて、碌な運動もさせてくれなかったのだ。一時など、フォアグラのため、エサを流し込まれるガチョウを己に重ねたほど。

 けれど、そんな泉の声は誰も拾わず、一人納得したシイが小さな胸を叩いた。

「はい。分かりました。お姉ちゃんのため、シイは痩せるお手伝いをさせていただきます!」

「ま、当然だね。で、ラン? もちろん、お前も行けよ?」

「な、何でだよ?」

「だってさぁ、シウォン、来ちゃっただろう? ちび死人一匹じゃ、適当に隅っこに転がされて、泉嬢もバラされちゃうし」

「バラ……」

 すっかり確定という話しっぷりに唖然とすれば、渋りに渋った顔のランが泉を見た。

 上下と往復する視線が恐ろしくて身を捩ったなら、慌てて謝罪がやってくる。

「ああっ、御免! 変な意味はないんだけど……。なんだってあの人……君にそこまでの魅力があるとも思えないんだけど」

「…………」

 人狼から魅力があるなど言われては鳥肌モノだが、ないと断言されればそれなりに腹が立つ。先程から散々「太い」と言われていたため、それ自体はワーズの言であるにも関わらず、増した不快を余すことなく乗っけてランを睨んだ。

 途端、ランは冴えない顔を情けなく歪ませて手を振った。

「いや、御免! その、だって――――わ、分かった。俺も同行するよ。それで良いんだろ?」

 助けを求めるようにワーズへ告げ、泉へのフォローを投げ捨てた姿が憎たらしい。

 そんなランに対し、ワーズは待ってましたとばかりに、赤い口をぱっくり開けて笑い、銃口をこめかみに押し当てては傾いだ。

「分かればいいんだ。分かれば。にしてもお前、泉嬢に魅力がないなんて酷い暴言だねぇ。この子は充分魅力的じゃないか」

「……ワーズさん」

 思わず感動し、ときめいてしまったなら、

「人間ってだけで充分、魅力的だよ? 太いの気にしてようがいまいが」

「…………」

 一言多い野郎どもを前にして、何故今ここに頼れる猫がいないのだろうと、泉は物騒な願いを浮べ――――


 ――だ、大丈夫ですよ? お姉ちゃんはお姉ちゃん個人で魅力的だと、シイは思います!


 と、後でフォローしてくれたシイだが、それは泉にこっそりとであって、デリカシーの欠片もない男たちは知る由もない。

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