第3話 振り子

 少し前に泉を抱き締めた手が握るのは、えぐられた傷跡を晒す、頭部のない男の指。

 茫然とする泉を余所にへらへら笑うワーズは、銃を持つ手をポケットへ入れ、サバイバルナイフを取り出した。銃共々器用にナイフを握り、口を用いて革のケースを外す。そうして持ち上げた付け根へ刃を押し当て、

「や、やめて……」

 青褪めた泉の声すら聞かず、一気に切り落とした。

 支えを失くして精肉箱へゴトリと落ちたモノには目もくれず、蓋を戻してふらふら戻ってくるワーズ。

 襲う不快さから曇りガラスに身を押し付けた泉は、次いでワーズが持ってきた空の植木鉢を見て、ずるずるへたり込んだ。

 ワーズはそんな泉に構わず、よく見える位置に鉢や指、道具の一式を揃えていく。

「退屈しのぎにさ、ほら、あの腕の育て方でもと思って。言ったよね、最初は指だけだったって。今回は代用に人狼の指を使うとして」

「…………」

 わざわざ説明を入れたのは、男の身体が人間そのものの姿をしていたからだろう。

 ワーズが笑いながら見せてきた指は、それだけでは男か女か分からぬほど細かった。

「まあ、奇人街の土に肥料少々で普通はいいんだけど」

 そう言ってワーズは植木鉢に土を入れ、肥料らしき固形物と指を柔らかな土に挿した。途端、持ち主を失ったはずの指が痙攣を始め、倒れたかと思えば滑らかな動きで土を掻き出す。

 最早目を逸らすことも出来ず、ガラス戸に縋りつくだけの泉の耳に、ワーズの声だけがへらへら届く。

「植木鉢の大きさや肥料の具合にもよるけどね。上手くやれば肩口まで育つんだ。コレは人狼が元だから、あんまり育てると凶暴になっちゃう」

 言って無造作に黒いマニキュアの手が指を引っこ抜く。

 まるで根でも張っているかのような抵抗を見せた指だが、ぶちりと嫌な音を立てた後では動く気配もない。

「でもね、泉嬢の腕は大人しかったんだよ。ただ、根付くまでに時間が掛かると思って、断面少し切って、アイツの一部で補ったらさ、ちょっと乱暴になってねぇ。泉嬢が目覚めるまで、何度叩かれたことか」

 いつも通り変わらない口調は耳に届けど、目に映るのは指を失いその部分だけ抉れた植木鉢。

「御免ねぇ?」

 不意に言われてのろのろ顔を上げれば、覗き込むような至近に真っ赤な血だまりの口。

 病的とはまた違う白い肌を彩る笑みの歪みは、口を真一文字に引き結ぶ泉へ向けて、

「泉嬢、美味しいって言ってくれたのに、代わりがなくてさ。本当にアレだけだったんだ。それとも、コレ、食べてみる?」

 唇をなぞる、指の感触。

 しかしてそれは、熱を持たず固く、精肉箱の冷たさを保っており――――


* * *


「なぁう」

 やり過ぎだと非難する声を受けて、ワーズは後ろを振り向いた。

 ワーズの部屋からするりと出てきた影纏う猫が、金の眼を細めて尻尾を振る。今まで芥屋にいなかった存在は、これまでに起きたこと全てを知っているかのようだ。

 タオルケットを抱えたワーズの身には、いつもの黒コートはなく、それでも黒一色の男は、へらり、笑おうとして歪な表情を浮かべた。

「ダメだよ。あの子の選択を捻じ曲げないためにも、さ」

 べしんっと大きく尻尾を打ち付ける猫。

「……じゃあ放っておけって? 無理だよ。ボクは……ワーズ・メイク・ワーズは、人間が大事だって、お前が一番、よく知ってるはずだろう? たとえ……いや、欠けているからこそ」

 最後は呟くように言えば、猫が軽く首を振る。

 妙に人間臭いその仕草へはいつも通り笑いかけ、ふらふら階段を下りるワーズ。

 ――だが。

「……泉嬢?」

 部屋へ戻りたくなさそうな様子から、床へ横たえた少女の姿がなくなっていた。

 気絶していることは確認していたため、すぐに動ける状態とは思えなかったのだが。

 代わりとばかりに泉へ掛けたコートだけが、彼女を横たえていた場所に広がっている。

 不可解な状況に、挙動不審な動きで辺りを見渡していたなら、

「店主!」

 よく知る怒鳴り声がワーズの耳を刺した。

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