第6話 さんじのおやつ・後編
気を取り直すように、けれどどう見ても不自然に、もう一度手を打つ。
「そ、そうです、史歩さん! ランさん知ってるってことは、他の人も知ってるんですよね? ええと、ヒドリさん、とか」
「緋鳥? アイツ、来てたのか?」
「はい。ええと、取り分がどうとかって」
「ああ、昨日のアレか。なるほどな」
一人納得する史歩は、泉が怪訝な顔をしているのを見て、ふむ、と一呼吸。
「
「あ、はい。ヒドリさんの職業ですよね、確か」
「ああ、そうだ。簡単に説明すると……お前も知っての通り、奇人街ってのは一晩で一通りの犯罪が軒並み揃う場所だ。そんなとこで、好き好んで取り締まる奴はいないだろう? ここじゃ珍しい正義感振りかざしたところで、広大な奇人街、全部見回るのも骨だしな。けど、なんにしたって残骸は出るし、そのままにしておくのもあまり好ましくない」
「……はあ」
好ましくないのは犯罪の方では?
言ったところで変わるとも思えない事実に、泉はただ曖昧な返事をするのみ。
それでも想像してしまった、血生臭い残骸が陽に晒された姿は、見慣れたせいで余計生々しく、静かに目を閉じて追い払う。
「そこで登場するのが明時。事が終った後で残骸を回収、良さげなとこにそれらを売りつけ買い取らせて処理するんだ」
「…………それが、ヒドリさんのお仕事」
「ちなみに残骸ってのは誰かの元・所有物だ。芥屋に持ってくるなら、死体や千切られた一部ってとこか」
「……ええと、猫が介入っていうのは?」
あまり聞きたくない流れを変えるつもりで尋ねれば、史歩が意外そうな顔をした。
「猫が? 珍しいな。本当か?」
これに応えたのは、黙々と作業を続けていたランだ。
「ああ、本当だ。丁度近くを通り掛かったらしくて、彼女たち、一目散に逃げてったんだ。だから俺も逃げられたんだけど……あ、えと」
「彼女、たち?」
逸らしたはずの話題を戻され、それどころかパワーアップした内容を知って、泉の眉間に自然と皺が刻まれた。情けない顔を更に情けなく歪めた男は、少女の眼差しにたじろぎ、助けを求めるように刃物のような黒い瞳に縋る。
泉と近い年頃の史歩は、心底呆れた溜息をつくと、未だランを睨みつける泉へ言う。
「一応な、奇人街にも規則があるんだ。誰かが得た食い物は、ソイツの手中に納まるまで、手を出しちゃいけないってな」
「……なんか、在って無いような規則ですね」
「まあ、そう言うな。このお陰で幽鬼狩りする時、楽なんだからな。ぶった切るだけで、明時が後でブツを持ってきてくれる。こっちは殺り放題。な、良いだろ?」
同意を求められても応ぜられる気概はない。
「…………うーんと、明時の人たちは、その、幽鬼にしても、誰が……倒したか分かるんですか?」
なるべく殺伐とした言葉は使わないよう気をつけて尋ねる泉。
奇人街の常識がどうであろうと、やはり使うなら心情的に優しいものが好ましかった。
こんな場所だからこそ、かもしれないが。
そして、史歩はそんな泉の思惑など全く無視して告げる。
「分かる。傷の形状、その場の状況……判別要因は様々だが、中でも一番は匂いだな。残骸とそれ以外の体臭。例えば、裂いた腹から臓腑が飛び散った状態でも、奴等の鼻は血の生臭さに紛れた相手の匂いも嗅ぎ取れる。なかなかに優秀だよな」
「…………」
終始気軽な語り口の史歩へ、返す言葉も見つからず、泉はもう緋鳥について聞くのを諦めた。
次いで、とんでもない場面に出くわした男を思い出す。
「あーっと……その、史歩さん? じゃあ、シウォンさんて人は――」
「シウォン!? あの人が来てたの!?」
けれど食いついたのはランの方だった。
素っ頓狂な声と共にボールを引っくり返しかけ、慌てて抑えては変わらぬ動揺のまま泉へ近づいてくる。突然のことに反応する間もなく、がしっと掴まれた両肩が揺すられた。
「だ、大丈夫だった? いや、なんで大丈夫なんだ?」
「ぃえ、と、あの?」
がくがく動く頭では、舌がうまく回らない。
だがランは、それに気づく様子もなく、揺する速度を徐々に上げ――問答無用で殴られた。もちろん、史歩に。
「落ち着け、ラン。それじゃあ綾音が喋れんだろうが」
「あ……わ、悪い」
「い、いえ。それに大丈夫も何も、そのシウォンさんって人、ワーズさんを尋ねて……って、どうかしました? 二人ともすごい顔してますけど」
「綾音……本当か、それ?」
なんとも形容しがたい顔つきで史歩が確認してくる。不思議に思いながらも、頷くだけに留めていれば、似た表情のランが大袈裟に頭を抱えた。
「うわー、あの人がこんな時間に、わざわざワーズ尋ねて出てくるってことは、猫、よっぽど無茶したんだ。俺、知ってたら、脱出できなかったかも」
「だが、今頃のこのこ来るってことは、シウォンの奴、新しい従業員が入ったことを知らないのか? もしくは――」
悩めるランを捨て置き、史歩がじ……と泉の身体を上から下まで眺めてくる。同性とはいえ、品定めするような視線は居心地が悪い。泉が身を捩れば、史歩が一つ頷いた。
「年が足りない、か。アイツ、不自由しない分、選り好みあるしな。綾音の様子からしても、見込みはないようだし、まあ、大丈夫だったって訳か」
「?」
最後は「良かったな」と肩を叩かれ、何の事か分からず首を傾げる。
と、その時、視界の端でランの胸を黒い何かが打った。
「ぎゃんっ!?」
「おい、ラン? 誰が手を休めていいって? ちゃんとやることやれよ」
「わ、ワーズさん……」
「げっ」
座ったまま見上げれば、へらりと笑う赤い口――なのだが、泉の目と意識ははランを蹴り飛ばしたワーズではなく、その手に握られた物体に張り付いていた。
うにうにむにむ。
艶かしく動くそれは、絶妙な力加減で握られているらしく、どれだけ暴れてもワーズの手から逃れられずにいる。
「どしたの、泉嬢?……ああ、これ? ちょっとね、部屋で見つけたからさ、拾ってきちゃった。おやつに丁度いいかなと」
「遠慮します!」
ばっさり言い切り、視線を逸らせばそこに史歩の姿はなし。
さすがの彼女もこういうのは苦手らしい。
先ほどの呻き声は史歩のモノだったのかと理解すれば、それを吹き飛ばす奇妙な感触が頬に触れた。途端、ぞわっと這い上がった悪寒から、痛む足を無視して立ち上がり、振り返る。そこには裏返された物体が差し出されており、青筋を立てる泉は頬を思いっきり擦って拭う。
「な、な、な、何をするんですか!?」
「何って、もちろん、食べて貰おうと」
「だからいりません! しかも生って!」
「イタタタタタタ……あ、美味そう」
「はああ!?」
蹴られ転がされた痛みを克服したランの呑気さに、泉は思わず声を荒げてしまった。
しかして仕方あるまい。
どこかの民族が食す場面はそういうものと納得して見ていられようが、実際、間近にあって食べたいとは思えない。
生理的に受け付けないのだ。
ワーズが手に持つ、巨大な幼虫は……。
似た形状で上げられる種類は、カブトムシやクワガタ。実は子どもの手の平サイズなら今でも触れたりする泉。だが、何を食べてここまで大きくなったか知れない幼虫なぞ、爪で触れることすら御免だ。
しかも目の前のへらり顔は、そんな物体を人の顔に寄せてきたのである。
踊り食いを強要するなぞ、どんな嫌がらせだ。
それにこの男、先ほどさらりと自分の部屋から拾ってきたと言わなかったか。
ワーズがひた隠しにする自室の品は、泉の知りたくない心を増長させ、ともすれば芥屋から史歩のところへ身を寄せてしまいたくなるほど。
元々、一応人間の異性であるワーズとの生活には、少なからず抵抗を感じていた。案としては幾度か頭を過ぎった、同性で同じ年頃の史歩との生活。結局人に頼るしかない辺り何ではあるが、一人暮らしの結末は容易に知れており、その後の処理は新たに得た緋鳥の肩書きによって為される始末。
もう一つの案にクァンの名も上がったりするが、従業員以上に住人と親密に関わりそうな接客業の場に身を寄せて、唄だけで済むかどうか。実のところ、泉の中でクァンへの信頼度は史歩よりだいぶ低い。種族云々言う前に、クァンの場合、何かしら泉に期待している節があるのだ。それこそ、裏切ったならどう出るか分からない、不鮮明に濃い期待が。
かといって、本当に史歩のところへ身を寄せたなら、猫を巡って今以上にスペクタクルな日常が展開されそうだ。刺激には事欠かないだろうが、常に死の芳香漂う緊迫した日々など、想像だけで胃に穴が開く。
そんな考えに耽りつつワーズの動きを警戒していたなら、視界の端で、ランが物欲しそうな顔をしているのに気づいた。
「珍しい……そんなデカいの、しばらくお目にかかってないよ」
「そうかい? でもお前にはやらないよ、ラン。これはボクと猫と泉嬢で頂くから」
「いえ、いりませんて! 私の分はランさんに是非、差し上げてください!」
空恐ろしい宣言へ、冗談じゃないと首を振ったなら、ランが申し訳なさそうな顔をした。
「あ、悪い。横取りするつもりは」
「そんなつもりないです! 本当に食べてくださいってお願いしてるんです!」
「泉嬢……コレ、ひんやりしてて美味しいんだよ?」
「知ったことじゃありません! おやつなんですよね!? 別に食べなくても良いですよね!? 私は絶対食べませんから!」
「そんな……遠慮しなくて良いのに」
「してませんて!」
ちょっぴり涙目になって抗議すると、どういう思考回路をしているのか、ワーズどころかランまでも幼虫を食すよう促してきた。
その後、巨大幼虫を誰が食したかは――――各人しか知り得ず。
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