第5話 さんじのおやつ・前編

 今日は随分と新しい顔に会うものだ。

 そう思っていた泉だったが、現れた袴姿を見て、そんなこともないかと思い直した。

 店の入り口に腰掛けたまま、呑気にご挨拶。

「あ、いらっしゃいませ、史歩さん」

「……綾音よ。なんだその間抜け面は? 喧嘩売ってんのか、お前?」

 鞘に納まっているとはいえ、刀を担ぎ上げた神代史歩の「買うぞ?」という鋭い眼光に、泉は背筋を凍らせつつ、首と手を勢いよく振った。

「い、いえ! ただ、今日は初めて見る人ばかり来ていたので、知った人が現れると不思議な感じがして。……あ、そうだ! 消化剤、ありがとうございます。すっごく、助かってます……」

「そうか……」

 最終的に顔を背けて言ったなら、怒気から一転、憐れみが向けられる。言外に「お疲れさん」と告げられたようで、史歩へ向き直った泉の顔には苦笑が浮かぶ。

「ええと、お久しぶりです」

 次いでの挨拶は、起き上がれるようになってから、見舞いはおろか、買い物にすら来なかった史歩へのささやかな嫌味だ。

 何せ、史歩が来なくなったせいで、泉の療養生活はワーズに一切を牛耳られ、幽鬼に受けた傷は癒えても、精神的な疲労に苛まれる羽目になったのだ。

 ……まあ、実際には、人間である史歩を補助する名目で、人間ではない者の出入りを渋々了承していたワーズが、史歩の足が途絶えたことをこれ幸いと、彼女たちを出禁にしたせいであり、史歩が直接的に何かした訳ではないが。

 完全な逆恨み。

 それでも彼女が見舞ってくれたなら、えげつない食べ物を、消化剤が必要になるほど食べさせられる不幸は起きなかったはず。

 けれどこれを迎えた史歩の表情は、皮肉な微笑に彩られていた。普段、がさつな印象を与える行動しかしない彼女だが、不意にみせる表情は美麗な顔立ちだけあって、息を呑むほど魅力的――だが。

「言いたいことは分かってるさ。だがな、よっく考えてみろ? もしその状態のお前と猫が親しくしようものなら……生き残れる自信はあるか?」

 今度はきっちり刃の鋭さを持つ目を弓に歪め、乱切りの黒髪を用いては陰影をたっぷりつけて凄んできた。人間でありながら、猫へ並々ならぬ想いを寄せる史歩へ、どういう訳か猫に好かれている泉は愛想笑い。

「や、待ってくださいよ。史歩さん相手じゃ、怪我、関係ないじゃないですか。どっちにしろ私、生き残れませんて」

 宥めすかすような言だが、事実である。

 初対面にも関わらず、猫と一緒にいたというだけで切りかかってきた史歩の太刀筋は、僅かな動きさえ泉に許してくれなかった。

 しかし、史歩はこれすら笑顔で一蹴し、歯を食いしばって言う。

「いや。生き残れるさ。猫がお前を守ってくれるからな。だが、怪我の身であるお前が、無様によろけて頭でも打ったらどうする? しかもそれが原因で死んだら? 私は確実に猫に嫌われてしまうだろ?」

「…………」

 色々言いたいことはあるが、この状態の史歩を刺激するのは拙い。今は守ってくれる猫もいないし、進んで死にたいと思えるほど刹那的な生き方をした覚えもない。

 泉は笑顔だけを貼り付けて、沈黙を保つ。

 これをどう受け取ったのか、史歩は鼻を鳴らすと不機嫌も露わに顔を顰め、不意に視線を芥屋の居間へ向けては、呆れに転じさせた。

「…………何やってんだ、ラン?」

「……聞かないでくれ」

 そう言ったのは床に座り、巨大なボール一杯の、もやしに似た植物の根と芽をちまちま取る、情けない顔の男、ラン・ホングス。

 甘い声で追ってきた女たちを避けるため、ワーズの下へ身を寄せた彼は現在、その代償としてワーズから晩飯の下ごしらえを頼まれ――否、命じられていた。

 どこからどう見ても人間姿のランだが、人狼という泉が最も忌避したい種に属しているという。情けなさ過ぎる容姿と雰囲気、言動からして、どこら辺があの陰険且つ残忍な人狼なのか、泉には判別しかねる。

 それでも、人間好きを豪語するワーズから酷な扱いを受けているのだから、人間でないのは確実。どの辺が酷かといえば、巨大なボールがあと五つも待機しているところだろうか。しかも今は二階にいるワーズ、泉が店番へ戻る際、必要のない介助をしながら耳元で囁いたのだ。

 ――今日の晩飯、ビーフシチューだから。

 泉の知っている食材とは違う姿形の中、一体どの肉を差して”ビーフ”というのか分からないが、そこで目にしたランの姿に合点がいった。

 彼がちまちまやる作業は、ワーズの嫌がらせなのだと。

 ビーフシチューにもやしを入れる経験のなかった泉は、深い溜息をついたものだ。

 もちろん、ワーズが去って後、一応相手は人狼と恐る恐る伝えたのだが、ランは疲労感たっぷりに微笑んで、「知ってる」と言った。

 人狼の耳は、露骨にこそこそひそひそされると、余計な音であっても勝手に拾ってくる性質があるという。通常は人間と変わらない聴覚だが、必要に応じて能力を伸ばすことも可能だとか。意識一つで感覚を操作できる――聞こえは良いが、咄嗟の判断を迫られた時、それこそ意識に踊らされ自滅する者もいるそうな。

 そんな説明を、もやし然の根と芽を取りつつ、懇切丁寧にしてくれたたランに対し、史歩は鼻を鳴らしては泉の隣に座った。

「ふん、また罰ゲームか?」

「また?」

「うっ」

 説明を聞いていた限りでは、人狼の耳の良さゆえ、ワーズの目論見を知った様子であったが。

「もしかして……前にも同じことが?」

 尋ねて見つめれば、妙な愛想笑いがランの顔に張り付いていた。

 その中で金色の瞳が挙動不審に揺らめく。

 いぶかしむ泉への返答は、呆れた溜息混じりで史歩が応じた。

「コイツ、同族嫌いのくせして同族の女にはやたらモテるんだ。で、何の因果か、追いかけられる度、住人誰もが嫌う店主んとこに逃げ込んでな。まあ、だから誰も芥屋までは追ってこないが……店主がアレだろ?」

「同族嫌い……ええと、つまり、ワーズさんにからかわれた方がマシってことですか?」

「からかう……ってほど、お手軽じゃないけどね」

 言いつつ作業を再開するラン。

 それなりに上背があるせいか、ちまちました動きが不思議といじらしい。

 もしくはやっぱり、情けない。

「あ、でも、じゃあ最近は本当に来てなかったんですね。私、初めて――って、どうかしました?」

「い、いや、何でもないよ」

 アハハハハと乾いた笑い声を上げるランの表情は硬く、顔色も悪い。

 気のせいか、眼も少し虚ろだった。

 これを見て何か察したのか、史歩がにやにや笑いかける。

「ほう? なるほど。捕まってたのか。で、四六時中励んでいた、と」

「いやちょっと待て、史歩! 励んでたって、誤解を生む発言は止めてくれ! 俺は別に自分で望んだりした憶えは!」

「ふむ。四六時中は否定しないか。さすが人狼。体力バカもここに極まれりってヤツだな」

「う、うるさい!」

「……………………………………………………ああっ!」

 完全に聞き手に徹していた泉、手をぽんっと一つ打った。次いで集めてしまった視線に気づいては、顔を真っ赤にして完璧な愛想笑いをして頬を掻く。

(真昼間から、なんて話題を持ってくるんだろう、この人たち)

 口には決して出さないがそう思い、これすら奇人街の常識なのかと考えては、自分の明日を見失いかけた。

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