第4話 店主の訪問者・後編
不味くはないのだ、不味くは。
けれど。
「…………どうしてワーズさんは、ゲテモノが好きなのかしら?」
幽鬼ではないが、朝には重い、内臓類の炒め物。
否、口当たりは非常にさっぱりしており、胃にも優しい絶品である。
しかし、台所のまな板の上、包丁で四肢と首をピン止めされた鳥とも獣とも付かない生き物が、空洞の裂かれた腹を晒しているのだ。気分を害するな、という方が無理な話。何より不気味なのは、そんなえぐい代物が同じ部屋にあっても、血の臭気は一切なく、美味そうな香りだけが漂うこと。
煤けた赤いソファの背もたれに、気分の悪さを全部預けるつもりでいれば、黒いマニキュアの白い手がカップを差し出す。
「…………ありがとうございます」
礼を言いつつ受け取り、せめて血の匂いでもあるなら備えることもできるのに、とそれはそれで気分の滅入る状況を思い、
「……あれ?」
「んー? どうかしたかい、泉嬢?」
へらへら笑うワーズの問いには答えず、しきりにカップの茶の香りを嗅ぐ。
安堵の得られる不思議な香り――だが。
「まさかゴミでも入ってた?」
自身のカップを食卓に置き、慌てて近寄る黒コート。
泉の持つカップを取ろうと伸ばされた手を避け、代わりに空いている手でワーズの胸倉を掴んで引き寄せた。
「ぃ、泉嬢!?」
珍しく焦った声など気にせず、顔を擦り付けるように、そのまましばらく考え込む。
かなり無理な体勢を強いているらしく、緊張が伝わってきても離す気は更々ない。
もう少しだけ引っ張ったところで、ガラス戸の開く音が聞こえた。
「邪魔す――……」
「い、やぁ、シウォン……。い、泉嬢、お客さんだから……」
「あ、はい、すみません」
ぱっと離せばいそいそ黒い背中が店側へ向かう。追えばガラス戸を挟んで、得体の知れない化け物でも見たような顔の美丈夫がいた。
青黒い髪と鋭い緑の双眸。ゆったりとした白い衣から覗く身体の線は、屈強な印象を与え、荒々しい雰囲気と相まって、蠱惑的な魅力を醸し出している。尤も、滲み出る傲慢さにより、その魅力の半分も泉には届かず、頭を軽く下げて挨拶するに留まった。
シウォンと呼ばれた男は、そんな泉につられたように頭を沈めかけ、はっと我に返っては渋面をつくり店側へ戻っていく。
どうしたのだろう、と首を傾げる前に、ガラス戸がワーズによって閉められた。
取り残されたていの泉は、残った茶を口にし、面白いことを発見したとくすくす笑う。
――が。
「あっ!」
理解しては立ち上がりかけ、左足の痛みに顔が歪む。
けれど構ってはいられない。
出来る限り素早く、ひょこひょこガラス戸まで近寄ったなら、こちらが開ける前にガラス戸を開けたワーズとかち合う。
へら……と笑おうとした口端が、少しばかり引きつっているのは仕方ないとしても、
「あの、さっきのシウォンって人……口、堅い方ですか?」
「さあ?……ところで泉嬢? さっきのあれは一体?」
頭を銃口で掻きつつ、動揺と困惑を混ぜ合わせた顔に、乾いた笑いを返す泉。
あの手のタイプがそこまでお喋りとは思えないが、先程の状況は傍目から見るに、きっと怪しく映ったはずだ。
――どうか、あの人の口が軽くありませんように。
妙な誤解を招きかねない己の行動を恥じながら、心の中で祈った。
* * *
茶の原料を尋ねると店の踏み板に座らされ、理由を言えば、ぽかんとした表情がワーズに浮かんだ。
「ボクの服と匂いが同じ?」
「はい。……って、気付いてなかったんですか?」
自身の袖口の匂いを嗅ぎつつ、
「んー……ボクには分からないけど。……でも良かった。一瞬泣きつかれたのかと」
「泣く理由ない……いえ、ありますけど、泣いてたわけじゃありません」
脳裏を掠めた朝方の解体ショーに、眉を一度顰めてから笑いかけた。
これを受けて、ようやくいつものへらへらした笑い顔に戻ったワーズは、青果棚横の、乾物が並ぶスペースの前に立つ。そこから乾燥した植物を手に取り、葉がぱらぱら落ちるのも構わず、泉の隣へ置いていく。
数度繰り返される動き、その都度並べられる植物は、話の流れから茶の原料なのだろう。だが、種類は想像以上に多い。同じものを揃えろと言われたなら、比較的特徴のある三種類が限度かもしれない。
すると、その三つを持ったワーズが、まず面を作れそうな大きさの葉を掲げ、
「それぞれ色々な効果があるんだけどね。例えばこの、
くるくる回る花。
「ええと? それじゃあ一緒にすると、どっちの効果になるんですか?」
効果に生じる矛盾へ問いを投げかければ、ワーズは少しだけ考える素振り。後、もう一つの植物、葉も花もない、細い枝のような茎を示した。
「んとね……確か、恵明と佳月を一緒にしても、どちらの効果も得られないんだけど、もう一つ何かしら効果のあるのを入れると、それを倍増させてくれる、んだったかな?」
「すっごいうろ覚えなんですね?」
「いやぁ、だいぶ前に教わってやったからさ。……で、この
「ケイミョウに、カガツ……コイ?」
最後のコイに引っかかっていれば、ワーズがポケットからメモとペンを取り出し、すらすらと書いてみせる。
泉が読み取ったのを見て取り、
「で、それぞれ面白い言葉があってね。例えば――」
「か、匿ってくれ!!」
本当に嬉しそうに説明を続けようとしたワーズ。
だが、突然やってきた男の貧相な声に遮られてしまっては、もの凄い嫌悪を露わにする。
断りもなく泉の前、鮮魚箱の陰に納まった男は、そんなワーズよりも外を気にしつつ、唇の上に指一本押し当てて言う。
「頼むよ、追われててさ」
「ラン……。最近来ないから、どこぞでくたばったか、監禁されたかって期待してたんだけどな」
ワーズは面倒臭いとこめかみを銃で掻き、仰々しいため息を吐き出した。
これに泉は驚いた。
灰色の短髪、猫に似た金の瞳ながら猫と違って覇気のない、冴えない顔立ち。あまり見ない髪や眼の色はさておき、薄青の着物姿の男は、どう見ても人間としか思えない。
それなのに、人間贔屓のワーズがここまで不機嫌になるとは。
実はこんな為りでも酷い輩なのか、と警戒していれば、
「ホングス様ぁ?」
「どこにいらっしゃいますのぉ?」
艶かしい女たちの声が聞こえ、その度に目の前の、ランと呼ばれた男がビクビク跳ね上がる。近付いてきた声は、店前の陽の中、美しく色気のある娘らとなって表れた。
甘ったるい声で似た誘いを口にしては、つまらなさそうに溜息一つ。
こちらに気付いたなら高圧的に眉を顰め、ワーズを認めては、
「げっ」
と呻いて足早に去っていった。
間を充分取って、後。
「…………なんか今、すっごい顔してましたね、あの人たち」
「まあ、ワーズ・メイク・ワーズは大半の住人には嫌われてるからねぇ、嬉しいことに。――で、コラ?」
「ぎゃんっ!?」
かたかた震えるランの脇腹に、容赦のない黒い革靴が埋まる。突然のことに目を丸くした泉だが、悶絶するランを更に蹴ろうとする動きを察し、慌ててコートを掴んだ。
「わ、ワーズさん!? 人間相手に何を!?」
「へ? 人間? これが?」
これ、と差す時にもう一度、男の尻を靴裏で足蹴にし、
「泉嬢、前に説明しなかったっけ? 昼は人、夜は二足歩行の獣……これ、人狼だよ?」
「え!? この冴えない人が!?」
恐れよりも、笑えない冗談を言われた気分が先立った。泉のこの反応を受け、分かったでしょ、と行動で示すように再び蹴ろうとするワーズ。
「や、ダメですって!」
トラウマの依然残る種族とはいえ、何の脈絡もなく行われる無体な仕打ちを、黙って見ていることは出来ない。
今度は足を掴む勢いで止めたなら、
「さ、冴えないって、酷くないか?……自覚はあるけどさ」
うるうると真実冴えない、情けない、猫と同じ色とは思えない金の瞳が、ワーズではなく、泉の言葉に傷つき呻く。
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