第11話 真昼の誘い

「ぉあ、いらっしゃいませ……」

 反射的に、顔を上げた先へ挨拶を告げる泉。

 そこにいたのは、料金表を見やるしかめっ面の白い衣の美丈夫と、彼の左右にしなだれながら、からかう笑みを向ける薄衣の美女が二人。冷やかしだとしても、食材店より宝飾店の方が似合いそうな顔ぶれだ。

 本当に客なのか。

 顔には出さず不思議に思う泉だが、男の尊大な態度に、非常に不味い場面に出くわした、シウォン・フーリとかいう名を思い出す。

「ええと……ワーズさんに御用ですか?」

「あらまぁ、失礼な従業員ですこと。フーリ様が店主に用なんて、ある訳ないじゃない?」

 答えたのはシウォンに侍る女の一人。

 ブロンドの髪にエメラルドの眼が、完全に泉を見下していた。もう一人、シウォンの陰から紙面を覗こうとしていた、赤い髪に薄茶の眼をした女も、同調するように泉の全身へ嘲りを向けてくる。

 嫌な視線だ。だが、目の前の二人と張り合える自信など元よりない泉。それでも身じろぎしたくなるのは、凪海での散歩を中断した身体が、今もってふくよかに感じられるため。あのワーズでも気づいたぐらいなのだ。初対面とはいえ、この女たちなら気づくのは容易く、その後は格好のネタとして扱うに違いない。

 そこまで考えが至ったなら、じっとしているのが得策と、泉は不躾な視線に耐える。

 と、甘ったるい声が発せられた。

「ふぅん? まずまず、かしら? だけど、あと少しね。百点中……三十四点てとこかしら?」

 ずいぶん合格点の低い点数付けに、(頭悪そう……)と一瞬でも思ってしまった自分を叱咤しつつ、この中で決定権がありそうなシウォンの出方を待つ。

 用がないならとっとと帰って欲しい。

 本音はひた隠し、営業用の愛想笑いを引きつらせる。

 すると、二人の女は口々に「何あの変な顔」「不細工な笑い」と指差し、下品な笑い声を上げた。

 内心で、早く帰れ! と歯噛みする泉。

 それでもどうにか表面の笑みを崩さず頑張っていれば、ようやくシウォンが料金表から顔を上げた。

「相っ変わらず、芸のない文面だな?」

 鼻で笑い、そのまま泉の隣へ座ってきた。女たちも心得たように、直前まで嘲笑していた泉を除ける真似はせず、立ったまま、あるいは地べたに座ってシウォンに寄り添う。顔には、これから面白いお芝居が始まるのだと、期待する笑みを浮かべながら。

 あまりの居心地の悪さに、泉が立ち上がって離れようとすれば、問答無用で腕を引かれ、戻された尻が強かに踏み板を打つ。

 苛立ち、文句を言おうとした泉だが、迎えた至近には鋭い緑。射殺すようなそれに、喉がヒクリと鳴った。

「さて……お前はどうして欲しい?」

「は?」

 絡めとるような甘い低音だが、意味を図りかねては思いっきり眉を寄せた。

 これにはシウォンらの方が驚いた素振りで、クツクツくすくす笑う。

 まるで身体は違っても同じ意思で動いている生き物のようだ。

 じり……、と少しだけ身を後ろへ引けば、気づいたシウォンが身を乗り出した。

 誘う吐息で唇をくすぐりながら、

「逃げるな小娘。このシウォン・フーリが直々に誘ってやってるんだ。黙って従うか、無駄な抵抗をするか、選ばせてやる」

「い、意味が分からないんですけど……?」

「まあ、察しの悪い従業員ね? フーリ様はアンタを御所望なの。ありがたいことよぉ? このお方は陽のある内じゃ、滅多にお目にかかれないんですからね? しかもアンタみたいなおチビちゃんを、わざわざ迎えに来てくださるなんて」

「ホント、末路はどうあれ、羨ましいったらないわぁ」

 媚に磨きをかけた声音がシウォンの背後から漏れてくる。

(……前に来た時も、陽のある内だったんですけど)

 言ったところで仕方のない反論を胸内に、困惑を重ねて更に引くと、首に左手が這わされた。ぞくりと粟立つ肌から顔だけ仰け反らせれば、逆の手に左腕を取られ、導かれるまま身体が引き寄せられる。

 首にあった左手は、いつの間にか泉の頬を優しく撫で、ごく自然に近づく美貌。

 不遜な態度が欠片もない、真摯な愛を語る目に囚われる。

 為す術なく、暗示に掛かったかのように、泉の意思とは関係なく招かれ――――


「うわあああああああああ!!? な、何やってんだ、貴方は!?」


 聞き知った情けない叫びに、柔らかい拘束を受けたまま顔を逸らせばランの姿。

 声を掛ける前に艶かしい感触を左の顎下に感じ、ゾワリと這い上がった悪寒から、自由な右手を思いっきり打ちつけた。

ぱんっ

 景気の良い音に自分でも驚きつつ、背けられたシウォンの顔に解放を得、幾分緩まった拘束を振り払って離れた。

 女たちが何事か罵声を浴びせてくるが、知ったことではない。

 おまけにもう数歩離れれば、間に青い着物の背が割り込んでくれた。

 途端、女たちの声が色めき立つ嬌声へと変貌を遂げた。

 合わせてビクンッと大きく揺れる背中だが、泉を置いて去ることはなかった。

「し、シウォン……貴方、本当に何やってんだ? 今は真昼だぞ? 本来なら、貴方は寝てる時間帯じゃないか。さ、誘うにしたっていつもは夕方近くまで来ないはずなのに」

「ラン……お前は俺を管理でもしているつもりか?――ああ!?」

 轟音。

 何事が起こったのか判別する前に砂埃が舞い、数度咳き込む。

 口を覆い、涙目で確認すれば、シウォンの目の前にあった鮮魚箱が、外へ一メートル以上、斜めにずれていた。

 息を呑んで元凶と思われるシウォンを見ると、立ち上がった姿で片足を納めるところ。

 重量のある鮮魚箱を人間が蹴ったところで、自身の足を痛めるだけのはず。

 では、シウォンというこの男、姿通りの人間でなく――人狼?

 緑の眼がランを射抜くように睨みつける様に、察した事実から一歩下がった。

 これに気づいたシウォンの眼が、泉を捉えては凄惨に嗤い、何事か語ろうと開く口。

 だがそれは、薄く開いたガラス戸の音に阻まれた。

「……シウォン? なんでお前がここにいるのかな?」

「わ、ワーズさん……」

 先程のシウォンの暴挙から、どう贔屓目に考えても、打開策が得られるわけでもないのに、黒コートの姿を見ただけで不思議とほっとする。

 そんな泉が視線を戻せば、逸らされていなかったシウォンの、忌々しげな表情が迎えた。

「ちっ……邪魔が入り過ぎだ。今日のところは引いてやるが…………小娘!」

「は、はい!?」

 低く唸る声に身が竦み、必要もないのに良い返事をしてしまった。

 褒めるようにニヤリと嗤ったシウォンは、右手の甲で泉が叩いた頬を拭う真似をする。

「覚えておけ。この礼は必ず、返してやる」

「は……はぁ?」

 間の抜けた返事は聞こえなかったらしく、颯爽と去っていく背。

 その後を暴挙に怯えた女たちが慌てて追いつつ、ランを見てはウインクや投げキッスを艶かしく、泉を見ては首を水平に払って舌を出す。

 嵐の如く過ぎ去っていった三人をしばらく見送る泉。

 すると、カチャ……という音が耳に届いた。

 そちらへ顔を向けたなら、ワーズがこちらに銃を向けているのに気づく。

 驚きに開かれる目。

 知ってか知らずか、

「……泉嬢はこっちに来てね?」

 へらりと赤い口が笑い、言われるがまま近づき、微動だにしない銃の先を見、慌てた。

「ワーズさん! ランさんは助けてくれたんです! そういうことしないでください!」

 泉はワーズの右手をぐいっと下へ引っ張ると、銃口の先に自分の額を持っていく。

 こうなると、慌てるのは泉ではなくワーズの方。

「うわ、泉嬢、危ないって! 幾らワーズ・メイク・ワーズの射撃の腕がヘボだからって、この距離で君が支えてちゃ、どんな間違いが起こるか!」

「じゃあ下げてください! ランさんは恩人なんですから!」

 何の恩人か問われれば返事に窮するが、それでも助かったという思いは大きい。

 なればこそ、上に引っ張ろうとするのを全体重をかけて押し留めた。

 この時ばかりは、若干でもふくよかになってしまった身体へ涙ながらに感謝しつつ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る