Ultimo Episodio 明智光秀とイスカリオテのユダ(Hakata)
1
その夜、私は祈った。
ランプの明かりを消し、窓からの遅く昇った満月より少し欠けた月の光だけが頼りだった。
日本を護っていただきたいと、『
もしかして私などが何もしないで普通に大坂に帰ったとしても、主がいちばんいいように仕組んでくださり、お守り下さるかもしれない。ここはお任せするしかないのだろうか……。
だが、かつてのインカの惨劇の再現だけは、なんとしても日本で起こってほしくない。
私は長い時間祈った。主は何も言ってはくださらない。あのマカオでの霊操の時と同じように、主は何も語ってはくれなかった。
私はさすがに疲れて、
うとうとしながらも、私は考えていた。
その時である! ある言葉が私の記憶の中に甦った。
――なんじが
なぜ今になってこの言葉を思い出すのか……。
それは最後の晩餐でのキリストの言葉である。「ヨハネ伝」にしかない言葉だ。
私はかつてこのみ言葉の真意がわかりかねて、人にも聞き、自分でも模索したけれど、答は得ていなかった。
『
では私にとって「
だが、それは確実に「ある」はずだ。しかも「速やかに」だ。大坂に帰ってからなどと悠長なことを言っている場合ではないのかもしれない。
「!」…私の中に閃光のごときひらめきがあった。
このみ言葉は誰に対してキリストは言われたのか……そのようなことは知識としては誰でも知っている。
イスカリオテのユダだ。ユダに言ったのだ。ユダはすぐに過越の食卓、最後の晩餐の場を出て行った。それを聞いていたほかの使徒たちは、キリストはユダに何か買いものでも行ってくるよう言いつけたのかくらいにしか思っていなかった。
言われたユダは早速に出て行った。
その後のユダが何をしたかは、誰もが知っている通りである。
そして今、それは私に言われているような気がしている
そう思った瞬間に、なぜか分からないが私の目からはとめどなく涙が流れた。魂がうち震えた。
私の「
今まで啓示とかお告げというと夢の中でとか、あるいは天使が見える形で目の前に表れて語る、そんな印象があった。だが、そのような現象は実在しない。
啓示は耳で聞くものではなかった。普段は自分で考えていると思っていた一瞬のひらめきが、実は啓示だったのだ。その最初の一瞬のひらめきに、自分の考えを入れずに素直に従えばすべてがうまくいくのだ。
「いやあ、でも、だって、そんなこといっても」と、あとからじわじわと湧いてくる考えこそが、悪魔の囁きだ。
キリストは決して沈黙しておられたわけではなかった。我われが気づかなかっただけなのだ。
常に語りかけてくださっていた。何も語ってくれないと思っていたのは、我われと常にともに歩んでくださっていることに気付かなかったからだ。
なぜなら、キリストは最後に弟子たちに言われた――『見よ、我は世の終わりまで常に汝らとともに在るなり』
キリストはいつもいっしょにいてくださる。なぜなら、キリストのみ言葉に嘘があるはずがないからだ。
イスカリオテのユダに向けられた言葉が、自分にも向けられた。そして自分の「
ユダには決して悪魔が入ったわけではなかった。
そしてあの、明智日向殿も、決して極悪非道な裏切り者ではなかったのだ。
それにしても、今の日本を救う最上の方法としてひらめいたもは、これまで思いもよらないことだった。あまりにも大それたことだ。まさか私がそのようなことを……。
だがキリストは言われる――「汝は
私はあまりにも事の重大さに、肩にのしかかる任の重さに、全身の震えが止まらなかった。
私はひとしきり泣いた後、まるでその状況から逃避するかのようにそのまま寝落ちしてしまった。
翌朝、昨夜のことを思うとものすごい緊張感に私は縛られた。それでも、なんとかミサには出て、その後の朝食の時に修道士が外から船に戻ってきた。
「関白殿下は昼過ぎでなければ体があかないとのことでした」
カピタン・モールのドン・モンテイロと関白殿下との会見を、その修道士にミサの後すぐに申し入れに行かせていたのだが、戻って来ての報告がそれだった。
「そうなると、平戸に戻るのは明日の早朝ということになりますね」
ドン・モンテイロは残念そうだったが、夕刻の商館での聖ヤコブ祭の
「
フロイス師が私に聞いた。私はかねてから考えていた通りに答えた。
「皆さんが関白殿下にお会いに行っている間に失礼します。まだ支度がありますので、どうしてもそれくらいになってしまいます」
「わかりました」
とだけ、フロイス師は言った。
その後も、とにかく私は落ち着かなかった。荷物の整理といっても、それほど荷物はあるわけではない。
そして昼過ぎに、関白殿下のいる筥崎の宮から使いの武士が来た。関白殿下がお待ちだということで、コエリョ師、フロイス師、そしてカピタン・モールのドン・モンテイロは数名の修道士、そしてカピタンからの進物を運ぶスパーニャ人の商館員たちとともに船を降りて行った。
彼らが戻ってきた時にはもういないはずの私には、何の挨拶もなかった。
それから数分後に、私は大坂まで同行するロケ兄を呼んだ。
「実は先ほど食事の時に話が変わりましてね、私は準管区長たちとともにまた長崎に帰ることになりました」
「え? そうなんですか?」
あまりの突然の予定変更に、ロケ兄も驚いていた。
「それで、あなたはいろいろと、バテレン・オルガンティーノに報告してもらいたいこともあるので、一人で先に大坂に帰ってください」
「分かりました」
従順な彼は、すぐにそれに従った。
「私は筥崎で準管区長と合流しますから、そこまではいっしょに行きましょう」
司祭や修道士は修道会の規則で、単独で外出してはいけないことになっている。しかしロケ兄は日本人であり、日本人修道士はその規則の適用範囲外である。彼は一人で大坂に帰っても差し支えないのだ。
我われはすぐに荷物をまとめて、二人で船を降りた。船に残っている修道士たちは私が大坂に帰るのだと思っているので、我われが港へ降りて歩いていくのを、船の甲板の上から見送ってくれた。ロケ兄はそれに手を振って応えていた。
港から少し歩くと、すぐに箱崎宮の大きな鳥居が見える。ここでロケ兄とはお別れだ。
「え? バテレン様お一人で行かはるんですか?」
ロケ兄は怪訝な顔をしている、彼も我われの単独行動が禁じられているのは知っている。
「この入ったすぐの所で準管区長と待ち合わせしていますから、大丈夫です。バテレン・オルガンティーノにくれぐれもよろしく」
「バテレン様も、お早う大坂に戻らはってください」
それだけ言って、ロケ兄は街道を歩きはじめた。私はその後ろ姿をいつまでも見送っていた。
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