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 下関から長崎までたった三日だった。

 前に豊後から長崎まで一カ月近くもかかったこともある。あの一ヵ月は何だったのかと思う。

 ナウ船ならもっと早いだろうが、なにしろナウ船はかなり水深が深い港でないと停泊できない。そのためには事前の調査も必要だ。座礁でもしたら、もうその船は廃棄になってしまう。

 夕日を浴びながら船は北上して湾の奥へ進む。やがて右手に長く海に突き出した岬の先端の丘の上の、緑に囲まれた教会の十字架が見えてきた。

 その岬を回って、港へと向かう、港にはナウ船はいなかった。去年入港したナウ船は、平戸にいたからだ。

 五年ぶりの長崎は、ほとんど景色は変わっていなかった。

 港には長崎教会の主任司祭であるアントニオ・ロペス師が、他の修道士たちと出迎えに来ていた。ロペスという名の司祭がやたら多くて紛らわしいが、ここの主任司祭は大ロペス師や小ロペス師とはノーメ・コンプレート(フルネーム)が違う。

 ほかには長崎の教会には準管区長のコエリョ師とフロイス師、そして今回ともに下関から来たディアス師がいるだけだ。もう一人のマリン師は本来有馬の神学校セミナリヨの所属なので、もう少しして落ち着いたら有馬に戻るという。

 ほかに修道士は西洋人、日本人合わせて相当の数がいた。

 教会から見る長崎の町の景色も、五年前と何ら変わっていなかった。

 海に突き出た岬の先端の、石垣に囲まれて要塞化した教会とポルトガル商館のある高台は松の緑に覆われ、その林の合間から見える湾になっている長崎の海と、その湾の向こうにそびえる稲佐の山も昔のままだ。

 今は新緑の季節で、一年でいちばん緑が美しい時期だ。

 私にとって長崎は日本に来て初めて上陸した町、いわば私の日本の原点ともいえる。

 だが状況はあの頃とは違う。あの時は懐かしいヴァリニャーノ師とローマ以来ここで再会し、まだ慣れない日本での生活ではあったが、充実した日々を過ごしていた。慣れないだけにかえって何もかもが新鮮だった。

 今はこの教会にはコエリョ師がいるし、フロイス師がいる。この二人は昔もいたけれどさらにその上のヴァリニャーノ師が今はいない。それだけ重苦しい空気なのだ。

 こうして、私はここでまた日々を過ごすことになった。たしかに大坂にいるよりは景色はいい。しかも、町全体がイエズス会の知行地だから住民もすべて信徒クリスティアーニであるし、また商館のポルトガル人たちも自由に町を往来している。大坂ではあり得ない光景だ。

 ここにいて何事もなく日々が過ぎて、やがて関白殿下と薩摩との戦争も終わったという知らせが来て、関白殿下が大坂に帰るというので結局何もせずに私も大坂に戻る……それが今の私にとってはいちばん理想的な近い未来に思えた。

 ただ、そういった世の中の動きの知らせは、直接にはこの教会には来ない。地理的にもこの長崎が戦場となることはないだろう。ただ、関白殿下はもし長崎の近くを通るようなことがあったら、コエリョ師を迎えに来るみたいなことも言っていたという。そうなったら気が重いなと、私は思っていた。

 いずれにせよ世の動きはこの教会にではなく、殿である大村のドン・バルトロメウか、その甥で有馬の殿のドン・プロタジオのところに届くであろう。どちらもその知らせがすぐにこの長崎に回ってくるとは思いがたい。


 そんなことを考えてい暮らしているうちに、ほぼ毎日教会に祈りに来るポルトガル人がいるのに気がついた。商館員の中でも信仰厚い人はよく御聖堂おみどうに祈りに来るし、それ自体は珍しいことではない。

 だが彼は、いつも日本人の少年をつれていた。十歳くらいだろうか、首から十字架をかけているからこの少年も信徒クリスティアーノなのだろう。

 ある日、祈りが終わった後、商館員は御聖堂おみどうで行きあったフロイス師となにやら話し込んでいたので、この少年だけが先に出てきた。その時ちょうど私は庭にいた、

「君は洗礼を受けたのかい?」

 私は思わず話しかけた。大坂の神学校セミナリヨでも,いちばん小さな学生はこの子くらいだ。だから、子供を見るとつい話しかけてしまう。

「はい。べレスさんが手配してくれて、この教会で洗礼を受けました」

 驚いた。私が話しかけたのは日本語でである。それなのにこの少年はポルトガル語で答えた。たどたどしくはあるが、会話を成立させるには不足がない。神学校セミナリヨでもポルトガル語に堪能な生徒もいるが、もう少し年長になってからだ。

 あの商館員はべレスというらしい。

「君はあのべレスさんといっしょに暮らしているの?」

「そうです。働いているのです」

「名前は?」

「ガスパル」

 恐らく霊名だろう。

「え? 君、家は?」

「豊後です」

 豊後といえば今戦乱のさなかにある府内や臼杵のあるあの豊後か…。

「どうしてべレスさんの所へ?」

「二年前に戦争で家が焼けて、おとうは人買いに僕を売ったのです。そうしないと生きていけなかった。そしてべレスさんが僕を買ってくれた」

「お金で買われた?」

 人身売買? つまり、奴隷なのか…この子は――。

 その時、

「ガスパル!」

 と、呼ぶ声がした。聖堂から出てきた商人のべレスはガスパルを呼び、商館の方へと連れて行ってしまった。

 ちょうどそこに、上長のアントニオ・ロペス師が庭を歩いてきて司祭館に入ろうとしたので、私は呼びとめた。

神父様パードレ、ここの商館員は奴隷の売買もしているのですか?」

「え?」

 という顔をして、ロペス師は一瞬目をそらした。何か大失敗をしたのが親に見つかった時の子供のような目だ。

「今さら言いますか?」

 たしかに、モサンビーケでは大量の住民が奴隷として船に乗せられ、ゴアに運ばれていた。もともとあのヤスフェでさえ、奴隷としてヴァリニャーノ師に買われて、それで日本まで連れて来られたのではないか。

「あの、ガスパルという少年」

「あ、あの子」

 ロペス師は安心したような顔になり、笑いだした。

「あのこは日本語でいう年季奉公ネンキボーコー、つまり三年の契約で働いているだけですよ」

 私はその日本語の意味がよくわからなかった。でも、お金で買われた以上は奴隷だろう。

 なんだか腑に落ちなかったが、その話はとりあえずそのままになった。

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