Episodio 8 とある商人の十字架(Sakai・Ohzaka)

1

 小豆島での悪魔払いの話を聞いた我われだが、その年のうちに我われは悪魔の働きを目の当たりにることになる。それが悪魔サタンなのかオルガンティーノ師のいうような人霊なのかは分からない。


 その前に、九月に入ってドン・ジョアキムがミサの後に話があるということで司祭館を訪ねてきた。

「実は私は、このたび堺に行くことになりました」

 堺はもともとドン・ジョアキムが商人であった時の店があり、今では長男のベントがその店を継いでいる。ずっと都に住んでいたドン・ジョアキムだが、堺は彼の生まれ故郷でもある。

 オルガンティーノ師は驚いた顔をしていた。

「関白殿下の家来も辞めて、武士サムライも辞めて、商人に戻るんですか?」

「いえいえいえいえ」

 ジョアキムは笑っていた。

「今度関白殿下より、堺政所まんどころの代官を拝命いたしました。前の代官が関白殿下の怒りを買って、罷免されたさかいいうことですわ」

「そうですか。でも、あなたにとっては故郷だし、ご長男もおられるし、日比屋さんもいる」

「そうです。ただ、もう一人の代官が」

「代官は一人ではないのですか?」

「はい。なんでもうちのせがれと同じ歳くらいの若い人で、石田佐吉様といわれる方どして、関白殿下が長浜時代から側近として側においていた、いわば関白殿下の右腕ともいえる頭の切れる人みたいどす。元は長濱の寺の茶坊主やったいうそうですけど、仲ようやれるかどうか…」

「そうでうすか」

「あまりご家来衆の中でもよう言われておりません。このたびも関白殿下から、堺では絶対に騒動が起こらないようにといわれたさかい些細なことにでもすべて目を光らすと、堺へ出発前に当たって大坂城中で会った時にきりりといわれましてな」

 ドン・ジョアキムの想い気持ちがこちらにもひしひし伝わってきた。だが、我われとしては旧知のドン・ジョアキムが堺の奉行になるということは、堺にとっても喜ばしいことだと思っていた。


 そして十月に、関白殿下がこれまでの羽柴という名字に加えて、帝よりあらためて豊臣トヨトミという姓をもらったという情報が、ミサの折にお城の中の信徒たちによって伝えられた頃、オルガンティーノ師はジュストの領地である明石を巡回しに行った。

 ジュストが明石に赴任して、どんどん信徒クリスティアーノを増やしていった時、明石にもともとあった寺の僧侶が反発して、我われの布教を止めるように関白殿下に直訴したこともあったが、逆に関白殿下に一喝されてその僧侶たちは追放となった。

 その話は前にジュストから聞いていたが、その残された寺が改築されて教会になっており、長崎から来た新しい司祭がそこで司牧している。

 あまりよく知らない司祭なので、オルガンティーノ師は顔をつなぐために出かけて行った。さらには明石の城も、ジュストがほぼ大坂にいるのでその父のダリオが城主代行となっていて、そのダリオにあいさつも兼ねてということだった。


 だがすでに十一月も間近でかなり冷えるようになってきており、そんな時節に長く潮風に当たっていたせいか、戻ってきた時はオルガンティーノ師は高熱を発していた。

 大坂の教会では医療の設備もないため、ここは堺の教会が間借りしている日比屋の屋敷で静養した方がいいのではないかというドン・ジョアキムからの手紙にもあったので、オルガンティーノ師を輿に乗せて堺まで運んでいった。

 私が同行したが、堺に入ってまず驚いたのはあの東洋のベネツィアという感があったあの堺の町を囲む堀割がすべて埋められていた。

 駆けつけてきたドン・ジョアキムにそのこと聞くと、ジョアキムは困り果てたような顔をした。

「石田佐吉殿が命じて、掘割をすべて埋めたてさせたのどす。私が何を言おうと聞く耳を持つような人ちゃいますわ、こりゃもうあかんて」

 本来は長崎と同様に会合衆という人々の協議で治められていた、高度な自治権を持つ都市だった。だが今や、関白殿下豊臣秀吉が直々に治める直轄都市である。その関白殿下の代理人である代官が石田佐吉殿であり、ドン・ジョアキムなのだが、ほとんど石田殿の専制であるようだ。

 掘割が埋め立てられる当日は、なんと関白殿下が大坂より堺にやって来て、関白自らが実際に工事の指揮を執ったのだという。

「関白殿下にあないなことお願いでけるんは、石田殿のほかにはいてはりまへんわ。とにかく石田殿は今も、この堺でことが起こらんようにと、鋭い眼を光らせておます。どんな些細な騒動でも起こしたもんは一族全員死刑、財産はすべて没収やということです」

「それはひどい」」

 私も思わず目をむいてしまった。

「関白殿下からの直々のお達しですが、どうせ石田殿が耳打ちしてそういうことにするよう入れ知恵したに決まっとりますわ」

 ドン・ジョアキムは悲しそうに眼を伏せた。


 オルガンティーノ師のことは、パシオ師に託して私はとんぼ返りで大坂に戻った。大坂ではセスペデス師しかいないからだ。なにしろドン・ジョアキムの実家が薬屋であり、また名医も多い。しかもオルガンティーノ師は重い病気というよりも、熱は高いが単なる風邪のようであった。

 私が大坂に戻って十一月になり、万聖節サンクトルム万霊節デフォンクトルムを迎えてもオルガンティーノ師は戻ってこなかった。仕方がないのですべての聖人の祝日である万聖節はセスペデス師が司式し、死者のためのミサを捧げる万霊節は私が司式した。この年は万霊節が日曜日だったが、万霊節と日曜が重なった場合は主日のミサではなく万霊節のミサが行われる。

 そして数日が過ぎた頃、ようやくオルガンティーノ師は大坂に戻るという知らせがあった。風邪の方はもうとっくに回復していたそうだが、その知らせによると、大坂への帰還が遅れたのはオルガンティーノ師が堺である事件に巻き込まれていたためだったという。


 事件の内容はパシオ師と堺の代官のドン・ョアキムの両方から手紙が届いていた。パシオ師はポルトガル語の手紙だったので読みやすかったが、ドン・ジョアキムの日本語の手紙の方が事件の当事者に近い立場にいるだけに詳しかった。

 要は、堺の教会が間借りしている日比屋の屋敷の主のディオゴの娘婿であるルカスが参加していたある茶会で、なんと殺人事件が起こったとのことであった。

 しかも殺されたのはディオゴの弟二人で、犯人はルカスの実の弟だという。しかもその犯人もその場で自害して果てたというから何とも奇妙な話だ。

 知らせを聞いた時、私とセスペデス師はどちらかがすぐに堺に駆けつけた方がいいのではないかとも話したが、パシオ師もいるし、オルガンティーノ師もまた今は堺にいるのだから、とにかく次の情報を待とうということになった。その矢先にオルガンティーノ師は大坂に戻ってくるという。

「なぜ?」

 私セスペデス師も首をかしげた。事件はもうすっかり片づいたというのか…だが、こんなあ短期間ですべての処理が終わるような小さな事件ではないと思われる。

 とにかく知らせがあった翌日の昼には、もうオルガンティーノ師は大坂に戻ってきた。しかもオルガンティーノ師と修道士一人のみではなかった。ともにディオゴと三十代のその息子ヴィセンテが同行してきたのである。ディオゴは事件の真っただ中にいる当事者のはずだ。

 すぐにディオゴの口から詳しい説明が始まったが、その直前にオルガンティーノ師は席を立った。

「風邪はもう完全に治ったと思っていたのだけれど、今日の道中でまたぶり返したようです。少し休ませてください」

 そう言ってオルガンティーノ師は、重い足取りで自室へと入って行った。

 私とセスペデス師がディオゴから聞いた事件の詳しいきさつは、次のとおりである。


 ――ある雨の夜、ディオゴの弟のガスパルの屋敷で茶会チャカイが開かれていた。私も何度か茶会に招かれたことはあったので、その雰囲気はよく分かっている。実はディオゴも招かれていたけれど、来客があって欠席していたそうだ。

 その席上で惨事は起こった。茶会にはルカスとその弟の了勘りょうかんも招かれて参加していたが、茶会が終わって皆が茶室を退出しようとした時に了勘が小刀こがたなで突然ガスパルを斬りつけ、止めに入ったガスパルの弟、つまりディオゴの下の弟で未信者の藤庵の胸をも小刀はひと突きして、そこは血の海となったという。ガスパルと藤庵はほとんど即死だったらしい――。


「私も来客ものうてそこに行ってたら、今頃はここにおらんかったかもしれんな」

 ディオゴはため息交じりにつぶやいた。顔も青くなって少し震えているように見える。

 そして事件はルカスがさらに了勘を止めようとしてもみ合いになっていたさなか、了勘はルカスの腕の中で突然絶命したという。

「自害したのですか?」

 セスペデス師の問いに、ディオゴは浮かない顔をして首をかしげていた。

「まあ、たしかに普通やったら人を殺しておいてそんで自らも命を絶ったいうことになるでしょうな。そうなると、なぜ突然了勘がこのような犯行に及んだのか、その動機は全く闇の中に葬られる。計画的なのか衝動的なのか、了勘は我われ日比屋に何か恨みを持っておったんか…、せやけど、思い当たる節は全くあらへん」

 本来は日比屋という大きな店の主人としてそれなりの貫録をも持っていたディオゴだが、今日ばかりはまだ震えていた。

「結局生き残ったんは宋札そうさつと、一緒に招かれて参加していた近所の小島屋さんのご主人だけや」

 宋札そうさつとはすなわちルカスである。

「だがその宋札の話やと、おかしな点もよけいありましてな。了勘は完全に正気を失って半狂乱になって私の弟たちを刺した。その後自害した。でも、、何かを叫び続けて、その言葉の途中で絶命したいうことですわ。しかも、自刃したいうしぐさもなく、本当に突然ふっと死んだ。さらに、その体にはどこにも刀傷一つなかったいうことです」

 確かにおかしな話だ。

「舌をかんだ形跡も?」

「ありまえへん」

 私の問いに、きっぱりとディオゴは言った。

「そやけど今は、そないな謎解きをしている暇はないんです。もっと一大事なんです。実は宋札が政所に捕らえられて……」

「え?」

私もセスペデス師も思わず顔を見合わせていた。

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