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「それで、どうしました」

「はい、私は司祭として十字架と聖水で、イエズス・キリストの御名によって悪魔退散を命じました。すぐに悪魔は離脱しました。やはりフロイス神父パードレ・フロイスの言わるように、こういった目に見える形で悪魔の妨害が入るものなのですね」

 オルガンティーノ師は、少し考えていた。そして目を挙げた。

「あなたがその悪魔を祓った結果は、どうでした?」

「村の人たちはみな私の力に驚いてますます信仰を深め、その悪魔にとり憑かれた男も含め最終的には一ヵ月で五十人ほどの島民に洗礼を授けてまいりました」

「そうでしょう。悪魔がとり憑いて表面に浮き出たために、かえって『天主デウス』の栄光を人びとの前に示すことになったのですよね。これは悪魔の妨害というよりも、やはり『天主デウス』様のみ仕組みでしょう。誰の心にも悪魔は入りこんでいますけれど、表面に浮き出ることはありません。でも、その男は悪魔が表面に出たということは、すべて『天主デウス』様がそうさせたのです。『天主デウス』様の許しがなければ、悪魔も表面には出られないはずですから」

 私は、悪魔がとり憑いて、司祭がそれを祓ういということは話としては知っていたし、一応その方法も司祭として知らされていはいる。だが、目の前で見たわけではないにせよ、実際の話として聞くのは初めてだった。

「本当に、悪魔が表面に出るということはあるんですね」

 だから、そんなふうにつぶやいた。

「この国でも、昔から事例はあるようですね」

 さらりとオルガンティーノ師は言う。

「私は日本に来てから数年間は日本の古典や仏教を学び尽くしました。日本でも仏教の僧侶が悪魔を追い出しています」

「でも、イエズス・キリストの御名によるのではなければ、それはただの迷信にすぎないのでしょう?」

 セスペデス師の問いに、オルガンティーノ師はうなずいた、

「たしかに。でも、浮き出てくる悪魔は同じものですよ。でも、日本では絶対的善の『天主デウス』と対極的な絶対的悪の悪魔サタンとは考えてはいない。その悪霊はあくまで人霊、人の魂なのです」

「え?」

 私もセスペデス師も同時に声を挙げた。オルガンティーノ師は話を続けた。

「多くは死んだ人の霊魂で、それが人にとり憑いて障りをなす。それを日本では古来物の怪モノノケと読んでいます」

 私はやはりあの曲直瀬ベルシオール先生について仏教の諸派の教えを学んだので、なんとなく見当がつく。だが、セスペデス師にとっては理解の範囲を超えているようだ。

「そんな、人の霊魂が悪魔?」

 確かに我われの知る範囲では人の霊魂は死んだらすぐに私審判を受けて天国か地獄に振り分けられ、また煉獄で苦しむ者もいるが、死後の霊魂がこの世に残って他人にとり憑くなどという話は聞いたことがない。

 オルガンティーノ師は話を続けた。

「私もこの間それを聞いた時は驚いて、福音書エヴァンゲリウムをもう一度調べました。悪魔サタンが出てくるのはイエズス様が弟子たちに教え始める前に荒野で断食をした際、イエズス様をさまざまに試みて誘惑してきた悪魔サタン、これは本当の悪魔でしょう。でも、ガリラヤ湖の近くで墓場に住む悪魔憑きの悪魔を祓った話」

 もちろんセスペデス師も私もよく知っている話なので、うなずいた。

「その時イエズス様は悪魔に『汝の名は何か』とお尋ねになり、悪魔は『我が名はレギオン』と答えていますね。このレギオンという名は、同じ話が載っている三つの福音書エヴァンゲリウムの中でも、マルコ伝とルカ伝にだけ出てくる名前です。もともとこれが悪魔の名前だと思われていました。でも、レギオンとはローマの軍隊の軍団のこととも捕らえられます。そこから、この悪魔は一体ではなく軍団のごときおびただしい数の悪魔が一人の男に憑依していることを表していると考えられるようにもなりました」

 それが、私も神学校で学んだ内容である。

「でも、この悪魔は悪魔ではなく人の霊魂で、生きていた時はローマの軍隊の兵士だった霊とも考えられます」

 驚いた。間違ってもコエリョ師やフロイス師はこのような考えには至らないだろう。

「ですから、イエズス・キリストの御名による悪魔祓いも悪魔が人霊である可能性も考えて、無理やり命じるのではなく、その霊をサトして浄化し、改心させることによって救っていくのでなければ、かえって災いにもなる。イエズス様はこんな話をされましたね、『穢れし霊、人をづる時は、水無き処を巡りて、やすみを求む、されど得ずして言う、“我がでし家に帰らん”。帰りてその家の掃き浄められ、飾られたるを見、遂に往きて己よりも悪しき他の七つの霊を連れ来たり、共に入りて此処ここに住む。さればその人の後のさまは、前よりも悪しくなるなり』と。『人をづる』とは、無理やり追い出された状態です。霊は叩きだしても、浄化し改心させていなければ、また霊に憑かれていた本人がさらに浄まって昇華していなければ、霊はまた戻ってきて前よりももっと悪さをするということですね」

「ああ」

 私は思わず声を挙げていた。どうもこの個所の意味が分からなくて、悩んでいたこともあったのだ。

「イエズス様の場合は、さすがに我われとはケタが違いますから、追い出した霊を砂漠でさまよわせたりせずに、豚の群れに入れます。その豚がどうなったかは、ご存じですよね」

 その豚の群れが一斉に湖に飛び込んで死んだことはよく知っている話なので、誰もがうなずいただけだった。

「ユダヤ人は豚肉は食べないから、豚を飼っていたなんて異教徒の土地なのかもしれませんけれど、ユダヤ人にとっては最も穢れた動物とされる豚にその霊を入れたのです。もちろん私たちはそんなイエズス様のようなことはできませんから、心してかからなければ大変危険なことになりますね」

 理路整然としている。私はあらためて『天主ディオ』と今はマカオにいるヴァリニャーノ師に感謝した。

 ヴァリニャーノ師が私を都布教区に派遣し、このオルガンティーノ師という素晴らしい司祭のもとに配属してくれたのだ。もし長崎にいて、あのコエリョ師やフロイス師とともにいたとしたらと思うと、ぞっと背筋が寒くなるのだった。

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