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 その翌日、城から別の男の使いが来て、関白殿下からお話があるので明日にでも城に来てほしいとのことだった。しかも、重要な話なので準管区長もともにとのことで、オルガンティーノ師は早速堺に使いを走らせた。

 夕方にはコエリョ師とフロイス師は馬で大坂の教会にやってきた。

 昼ごろかるい雨があったので道が湿っており、馬をは進めても砂埃が上がらずに済んだとのことだった。

 ところが翌日は、また朝から雨だった。梅雨だから仕方がない。堺の二人に大坂の三司祭の計五人の司祭のみで、蓑を着て徒歩で城へと向かった。

 今回は極楽橋を渡ってすぐ左の門から入り、表屋敷の玄関で我らは雨のしずくをぬぐった。

 通されたのは大広間で、すでに関白殿下の上位の家来たちが左右に列をなして座っていた。

 我われが関白殿下の御座に向かい合う形で座ると、そう待たされることもなくすぐに関白殿下は姿を見せた。秘書のドン・シモンとともにであった。

「いやあ、雨の中、ご苦労ご苦労」

 いつもの気さくな笑顔であった。笑うとその小さめの顔がしわでいっぱいになる。

「お呼び立てして済まなかった。実はかつて信長様がバテレン殿方にキリシタン布教安堵の書状を与えられたが、その時は、フロイス殿、あなたに対してでありましたな」

 フロイス師は名指しで呼ばれて頭を下げた。

「あのときはわしも都の警備のためにその場に居合わせたが、まあ、あの頃から比べたらフロイス殿もわしも互いに年をとったものよのう」

 関白殿下は声をあげて笑い、めったに笑わないフロイス師も愛想笑いを少し浮かべた。

「そこでわしも信長様に倣ってそこもとたちに安堵の書状を渡したいと思うが、」

 居合わせった我われの全員が内心で歓喜の声をあげ、本当なら躍り上がって喜びたい衝動にかられたが、皆冷静さを持ってそれを抑えていた。あくまで関白殿下には、我われは初めてそのことを聞いたというふうに装わなくてはならない。

 フロイス師の通訳でそれを聞いたコエリョ師も、深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

 フロイス師がそれを通訳して関白殿下に伝えた。関白殿下を満足げにうなずいた。

「さて、ここにどなたが書かれたのやら、一通の草案がござる」

 関白殿下の手にあるのはまさしくオルガンティーノ師が発案し、ヴィセンテ兄が清書した下書きであった。

「非常によくできた草案で、ほぼこの通りでよいかと思われるが、二、三問題がござる」

 オルガンティーノ師が顔をこわばらせた。

「まず、他の寺院に課すべき賦課を赦免とあるが、まさかこの大坂や都でも、バテレン殿方にそのような賦役を課そうなどという者はおるまいて。だからこの条項は無用じゃ」

「お待ちください」

 オルガンティーノ師が顔を挙げた。

「確かにそうではございますが、一応形にしていただかないと、あとあとに憂いを残します」

「ふむ」

 関白殿下は少し考えていた。

「わかった」

 オルガンティーノ師の顔がぱっと輝いた。

「ただ、この部分はまずいぞ。ここには『我が領国内において』とあるが、わしは日の本すべてを帝よりおあずかりもうしておる関白じゃ。いわばこの日の本すべてが我が領国だから。ここは『日の本全国において』とすべきだな」

 関白殿下のすぐそばに座っているドン・シモンの前には小さな机があり、その上には紙が乗っている。そして、関白殿下が目で合図すると、そドン・シモンはその紙に筆ですらすらと何かを書きだした。紙は二枚に及んだ。

 書き終わると、ドン・シモンは机ごと関白殿下の前においた。関白殿下は机の上の紙の一枚をとって、我われへと示した。そこには箇条書きの条文があったが、遠くて読めなかった。

 関白殿下はその書状を自分の方へ向け、読み始めた。

「一 伴天連之儀、日本国中いづれの地においても居住事是不苦きょじゅうすることこれくるしからず

一 伴天連南蛮寺及其住院に兵を留ムル義務之無く亦仏寺に賦課せるがごとき一切の賦課は之ヲ可免事めんずべきこと

一 伴天連きりしたんの教えを説くに当たり乱暴狼藉之有間敷事これあるまじきこと

 天正十四年五月四日」

 読みあげてから関白殿はドン・シモンから筆を受け取り、その書状の最後にさらりと何か書いた。恐らくは署名したのであろう。さらに大きな印鑑を受け取り、朱肉をつけてしっかりと捺印した。

 関白殿下がもう一枚の紙にも同じように署名捺印している間、フロイス師は我われだけが聞こえるような小声で、ポルトガル語で言った。

「この国では本来署名する時は署名だけで、朱印を押す時は署名をしないのが普通です。それを、署名もして捺印もするというのは破格の待遇ですね」

 関白殿下は二枚の書状を我われに示した。全く同一の内容の書状だった。

「二通作成しておいた。一通はそなたたちが保管し、もう一通は天竺なりそなたたちの国元に送るとよろしい」

 これもまた、破格の待遇だそうだ。

「これでもうこの国でのキリシタン布教については心配ご無用、そんなたたちの思うがままだ」

 フロイス詞がコエリョ死の耳元で小声でどのように振る舞えばいいかを伝え、コエリョ師はその通りに関白殿下の前に進み出てまた座り、折りたたんだ書状を受け取ると頭の上に頂いて、また元の座に戻った。

 それが終わってから関白殿下は一段高くなっている自分の席から立ち上がって、我われの近くにまで着て我われの至近距離にまた座った。

 そして、並んでいる殿たちの方を振り返って見た。

「そなたたちはもう帰っていいぞ」

 殿たちは立ち上がってぞろぞろと退出した。

「いやあ、堅苦しいのはここまでにして、またともに語りましょうぞ」

 関白殿下は気さくに笑って、主にフロイス師と互いの健康状態のことや、昔話、そしてフロイス師の通訳を通じてコエリョ師に九州の様子などを少し聞いた。さらには我われの国の話んダを関白殿下は好んで聴いていた。さらにはゴアやマカオの話をも我われは織り交ぜて話し、気がつけばもう一時間以上、あるいは二時間近くも話しこんでいた。

 その途中で、女官が背の高い一本足のついた盆に乗せた果物を、我われのもとに運んできてくれた。

「北政所様からです」

 我われがまだ一度も直接には会ったこともない方が、今回の布教許可証下賜のために尽力くださり、今もまたこうして厚意を下さることがとてもありがたく感じた。

「北政所様は、どのようなお方なのですか?」

 これを機にという感じで、オルガンティーノ師が聞いた。関白殿下は声をあげて笑った。

「うちのかかあは嬶よ。わしがまだ足軽で長屋に暮らしていた時に祝言を挙げたのだが、その時以来の人生の相棒だな。どうもあいつにだけは頭が上がらにゃあで」

 今回の件を北政所様に頼むというドン・ジョアキムの発案は大正解だったわけである。

「そうだ、ここで食事をなさって行くがよい」

「いえ、そんな厚かましい」

「何を、遠慮ご無用」

 関白殿下は大笑いしながら、そう言って遠慮したフロイス師の肩をぽんと叩いた。

「旧知の仲ではないか」

 関白殿下は手を打って、小姓を呼んだ。そして食事のことを言いつけているようだった。

 それからしばらくして、次々に我われの前に膳が運ばれてきた。日本式の一人ひとり別々の小さなお膳だ。そこには乗り切れないほどの山海の幸が調理されていた。

「さ、酒もありますからごゆるりと。わしは申し訳ないがこれで失礼する。後は皆さん方でどうぞ酒も料理もたんと召しあがって、ごゆっくりなされてからそのままお帰り下され」

 その言葉を残して、関白殿下は別室へと退出して行った。あとは何人かの侍女と若い武士サムライが数名、我われへの給仕をしてくれた。

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