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その二日後の火曜日、朝から雨が降っていた。
その雨の中を昼過ぎにお城の方からということで、とある女性が傘をさして一人で教会を訪ねてきた。お城にお仕えする女官というような服装であったが、マリア・マグダレナからの内密の使いであるということだった。
私はその時神学校の方で学生たちとともにいたが、緊急の用件だという同宿の知らせですぐに司祭館の方へ行った。オルガンティーノ師のそばには、すでにセスペデス師も来ていた。
「私がお使いで来たことは、くれぐれもお城の方々には内密にとわくさ様より仰せつかっています」
わくさとはマリア・マグダレナの日本人としての名前だから、マリア・マグダレナの下で北政所様に仕える侍女だろう。
「実は政所様はわくさ様のお願いを快くお聞きくださいまして、バテレン様のためならば何でも致しましょうと、皆さんにとっては心強いお言葉をくださいました」
「おお」
私たち三人の司祭は互いに顔を見合って、一斉に笑顔をこぼした。
「すばらしい!」
オルガンティーノ師は感嘆の声を挙げていた。
「ただですね」
侍女の話はまだ続く。
「政所様はそのような布教許可証をお願いするに当たっては、まずは下書きを関白殿下に示した方がよろしいのではないかと。ただ、皆さんがその下書きを書くというのはおかしな話なので、政所様が書いて関白殿下にお見せするのがいちばんよいとのことですが、なにしろ政所様はキリシタンではありません。ですから、やはり皆様方に書いていただきたいと。それを、皆さんがお書きになったkとは伏せて、あくまで政所様がお書きになったということにして関白殿下にお示ししようとの御意向でございます」
我われは、再度顔を見合わせた。
「分かりました。我われで協議して下書きを作成しますが、どのようにしてお城の政所様のもとへお届けしたらよいのでしょうか?」
「いえ、私がお持ちします。完成しますまで待たせて頂きます。それがわくさ様のお言いつけです」
「そう言われましても」
そのような内容を今すぐここでぱぱっと書いて渡せるものではない。
「少々お待ちいただくことになりますが」
「はい」
我われは侍女を残して、別室に移った。
「いや、困ったな」
そういうオルガンティーノ師は、本当に困っているようだった。
「以前、信長殿からもらった許可証の内容は、覚えておいでではないですか?」
セスペデス師が尋ねたが、オルガンティーノ師は首を横に振った。
「その布教許可証が出たのは私が日本に来る前の年のことで、私が都に来てから一度その許可証を見たこともあったけれど、なにしろまだ来たばかりで今のように日本語の文章がすらすら読めたわけではないので、内容もうろ覚えですよ」
そう言いながらも、オルガンティーノ師は紙と
「まずは都の居住の保証と税の免除、信長殿の両国での滞在の自由の保障。布教を妨害する者への断罪、そんな感じでしたかな」
書きながらオルガンティーノ師は、それを一つ一つ読み上げていった。
「今回もそれでいいのではないですか?」
私が言うと、セスペデス師が口をはさんだ。
「準管区長に見ていただかなくていいですかね?」
「いや、それは無理だ」
オルガンティーノ師が言った。
「今から堺に使いを走らせて呼びに行かせ、そして到着を待っていたらかなり時間がかかる。それから討議を始めたら、おそらく夜になってしまう。それまであのご婦人をお待たせするのは申し訳ない」
「では、今すぐ書きましょう」
まずはオルガンティーノ師が
それについてセスペデス師や私がいろいろと意見を言って何度も書き直したりしたものだから一時間以上もかかり、出来上がった下書きもかなりの長文で紙一枚にぎっしりという感じになった。
「やはり
オルガンティーノ師は日本人のロレンソ兄とヴィセンテ兄を呼びに行かせた。
まずは目が不自由なロレンソ兄のために、ヴィセンテ兄がそれを朗読した。
「いや、長い長い」
これがロレンソ兄の言葉だった。ヴィセント兄もそれを受けた。
「たしかに長すぎます」
「しかし」
オルガンティーノ師が反論した。
「布教を許可する背景、いきさつを書いたらこれくらいにはなります」
「そのようなもの、必要ありませんよ」
明るく笑って、ヴィセント兄は言った。
「確かにお国では法令や命令書はそういったものをこまごまと、そして長々と書くもののようですけれど、日本では要点のみを簡潔にびしっと書きます」
そしてヴィセント兄は筆をとり、オルガンティーノ師が書いた文章を見ながら、簡潔な法令の下書きを書いた。
「一、我が領国内においては自由に『
二、南蛮寺およびそれに付随する施設は他の寺院に課すべき賦課を赦免するとともに、大名およびそのの兵力の宿泊所となさざること。
三、町中において寺院をも含むすべての
「おお、こんなに短く、簡潔に、しかも要点をついて書けるのですか」
オルガンティーノ師は感嘆の声を挙げていたが、それでもまだいくつかの修正が入り、そのたびにヴィセンテ兄は最初からすべて書き直したので、結局またさらに一時間以上の時間を要した。
かなりの長時間待たせた侍女のもとへ、オルガンティーノ師がその下書きを持参した。
念のためそれを改めた次女は、目を丸くしていた。
「これを皆さんで? まるで日の本の人が書いた文字そのものではありませんか」
オルガンティーノ師はいたずらっぽく笑っているだけで、実は日本人のヴィセンテ兄の筆であることは伏せておいた。
「さ、雲行きが怪しいので、降りだす前にお帰りになった方がいいでしょう。何とぞ、よろしくお願い申し上げます」
オルガンティーノ師は、日本式に頭を下げた。
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