Episodio 2 準管区長巡回(Ohzaka)

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 三月になれば桜の開花も気になるが、我われは四旬節クアレージマの最中なので、復活祭バスクアが終わる前に花が咲いてしまったら、日本の多くの民が行うところの花見ハナミ(桜の花を観賞しつつ開く宴)などはとてもできない。今年の復活祭バスクアは四月六日だから、微妙だ。

 だが、桜のつぼみもほころびかけた頃、桜どころではなく、とにかく気が重い、そして嫌な予感しかしない出来事が迫ってきている事実を、三月も中旬を過ぎてから我われは知った。

 まだまだ寒い日が続いていたが、それでもほんの少し春の兆しが感じられるようになっていた頃だった。

 大坂の教会に、一人の青年が訪ねてきた。

 長い旅をしてきたように思われるその服装は、なんと我われの国のマントをはおり、その下は日本の僧衣だった。だが、日本人である。この姿は、我われイエズス会の修道士の格好にほかならない。

「長崎から来たとです」

 応対に出たオルガンティーノ師に、青年は九州の訛りで告げた。私もオルガンティーノ師の背後からその青年の姿を見たが、すぐに思い当たった。

「おお、長崎の教会におられましたね」

 そう言う私を見て、青年の顔はぱっと輝いた。

「いつぞや、都から来られたバテレン様」

 私はすぐにイタリア語でオルガンティーノ師に、この若者は長崎の教会にいた修道士だと告げた。

「そうですか。遠い所をご苦労様です」

「私は洗礼名をダミアンと申します」

「お一人で?」

「はい」

 司祭や修道士は修道会の規則で、旅どころか近所への外出でさえ一人で行ってはいけないことになっている。だが、修道士でも日本人の場合は話は別だ。

「準管区長のコエリョ様の命令できました」

 この名前を聞いた途端に、私は最初の嫌な予感を感じたのである。

 とにかく中へと、オルガンティーノ師は笑顔でダミアン兄を司祭館の方へといざなった。

 

 しばらく休んでもらってから、オルガンティーノ師と私、そしてセスペデス師はダミアン兄の休んでいる部屋へと向かった。ロレンソ兄にも同席してもらった。

「実は準管区長様は、すでにこの都に向かって出発しておられると思います。そのことを知らせに参りました」

「え?」

 私とオルガンティーノ師は、思わず顔を見合わせていた。これが次の嫌な予感であった。

 確かに、かつてヴァリニャーノ師が定めた日本におけるイエズス会の規則では、準管区長は定期的に日本準管区全体を巡回しなければいけないことになっている。

 だが、ヴァリニャーノ師が日本を離れてから三年以上がたっているが、コエリョ準管区長は今まで一度も都布教区を巡回に来たことはなかった。だから、今コエリョ師が都に来るのは当然のことで、むしろ遅すぎたくらいだが、なにか気が重い。

「準管区長様は都布教区への巡回が延び延びになってしまったことを気に病んでおられました。なにしろ、三年前から計画していたのですよ」

 三年前といえば、あの本能寺事件の翌年、私が最後に長崎に行った次の年である。

「その時は、出発直前に船が盗まれたのです」

 私もオルガンティーノ師も、一瞬ぽかんとした。そんなことが実際にあるのだろうかと思う。

「次の年は例の有馬殿と薩摩との戦いが起こりそうだったので、中止にしました。そして去年はやはり出発間際に薩摩からの使者が来て、長崎のバテレン様は豊後にも都にも行くことは許さぬ。年内に出発すればどこまでも追いかけて、場合によっては殺すとまで脅しをかけてきたのです。殺されてはたまらないとコエリョ師はまたもや断念しましたけれど、日本には『三度目の正直』という言葉がありますように、今度こそはと準備を進めてきました。そして、薩摩からの書状には年内には許さぬとありましたので、日本の暦で年が明けてから、コエリョ様は長崎をようやく出発されました。そしてそのことを都のバテレン様方にお伝えするようにと、私が派遣されたのです。私は山陰道は陸路で参りましたので、正月明けてからの真冬のうちに長崎を出て、すっかり暖かくなったこのごろにやっとたどり着きました」

 今年の日本の正月は我われの二月の半ばごろだった。約ひと月かかって、この修道士は大坂までたどり着いたことになる。

「それはご苦労様です。で、準管区長はいつごろこちらに?」

 ゆっくりと、オルガンティーノ師が聞く。その顔には、どうもいつもの笑顔がなかった。

「一月中旬ごろには出発しているはずです。で、ぜひとも都で復活祭バスクアを迎えたいので、それまでに着くようにしたいとのことでした」

 一月とは日本のカレンダリオであろうからいつになるのかと、セスペデス師がさっと計算して三月上旬であることをポルトガル語で告げた。それで復活祭バスクアに到着となると、あと半月後である。

「準管区長様は三度も悪魔にお邪魔されましたけれど、今度はそれに打ち勝つことができるようにと、都のバテレン様にもお祈りいただきたいとのことでございます」

「悪魔の妨害かな?」

 オルガンティーノ師は、イタリア語の小声でつぶやいた。そして私を見た。私もうなずいた。オルガンティーノ師の真意は分かる。三年前に来られていたら、まだ誰が次の天下人か定まらず混沌としていた時である。二年前もしかり。

 今、ようやく関白殿が天下人としての基盤を形作りつつある。こんな時にこそ、我らが修道会の日本での最高責任者が関白殿に面会するのは好ましいことだと、そう考えているようだ。

 たしかにそれはその通りである。去年までだったらどうにも中途半端だった。

「悪魔の妨害どころか『天主様ディオ』のお仕組みでは?」

 私のその言葉に、オルガンティーノ師はにっこりとうなずいた。

 だが、たとえそうだとしても、やはり嫌な予感はする。あの危険思想の持ち主のコエリョ師を、天下人になったばかりの関白殿に会わせても大丈夫なのか……

 そしてそれよりも何よりも、私自身があのかを見るのが何となく嫌だったのである。

 カブラル師はもう日本にいないが、その一派であるコエリョ師とフロイス師はどうも苦手だ。いや、はっきりいって無理だ。だがそのことは、今は心の奥にしまっておいた。

「ご苦労でした。あなたはこのままここで準管区長を待つのですね? どうかゆっくりと休んで、旅の疲れを取ってください」

 明るい微笑みとともにオルガンティーノ師にそう言われたダミアン兄だったが、彼は首を横に振った。

「いえ、一度戻って、どこか途中で準管区長様と合流し、ともにまたこちらに参ります。そういうお言いつけですので」

「そうですか」

 そういうふうに言うダミアン兄を無理に引き留めるわけにはいかない。

「では、せめて二、三日はゆっくりと休んで」

 そう言ってからオルガンティーノ師はまたにっこりと笑い、それにはダミアン兄も従うようだった。

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