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 明るくなってからもう一度教会と神学校セミナリヨを三人の司祭で回ったが、建物の損傷は全くないようだった。

 この日は日曜日で、間もなく主日のミサの時間である。まずは御聖堂おみどうをかたずけて、なんとかミサが挙げられるくらいにはなった。

 だが、時間になっても城の方からはほとんど人は来なかった。修道士の中には、今はなんとか建物も持ちこたえてはいるが、またいつ余震で倒壊するかもしれないから屋内にいるのは危険だという声もあったが、ミサは外せない。

 あの、信長殿が明智に襲われていた本能寺屋敷での戦争の真っ最中にも、至近距離の教会では聞こえてくる銃声は砲弾の音の中でミサは捧げられていた。

 予定通り司式は私である。

 ミサの準備中にも小さな揺れがあったが、なんだかもう感覚が麻痺してしまっている。

 ミサが終わって朝食をとってから、何人かの同宿に大坂の町を見に行かせた。ここから見る限り関白殿下の大坂城はびくともせずといった感じで昨日までと同様にそびえている。火災が起こっている様子もない。

 やがて戻ってきた同宿の話によると、大坂の町中はやはり建物のなかにいるのが怖くて多くの人々は路上に出て時を過ごしているというが、目立った建物の倒壊や損傷は見当たらず、けが人も少なくて死者もいないようだとのことだった。

 だが昼過ぎには、報告第一号という感じで堺のパシオ師から手紙が届いた。

 それによると、堺ではいくつかの商家の倉庫が倒壊し、何人かの死傷者が出たようだとのことであった。

 続く高槻のフルラネッティ師からの知らせは、特に異状なしとのこと。そして夕刻には都の教会のカリオン師の手紙も届いた。

 都ではいくつかの寺院で建物の損傷があり、おびただしい数の仏の像を並べて祀ってある三十三間堂という寺では、その並んでいる観音カンノンの像はことごとく倒れたという。倒壊した民家が若干あるようだが、教会は無事だとのことだった。

 大阪よりも都の方が若干被害が大きいことを考えると、地震の震源は北か東の方であるようだ。

 また、夜が来た。夏であればもっと多くの人々が路上で過ごすであろうが、なにしろ寒風吹きすさぶ冬の夜だ。建物の中にいるのは怖いし、だけども外は寒いという葛藤に、多くの人々がさらされているようだった。

 案の定、まだ宵の口ではあったが比較的大きな揺れが再び大地を揺るがした。昨夜の本震に比べたら小さいが、それでもその本震以来最大級の余震だった。いや、余震と判断する根拠はどこにもない。また別の大きな地震なのかもしれなかった。

 二日後、ようやくジュストとジョアキムが教会に来た。

「すぐにでも駆けつけたかったのですが、申し訳ない」

 そう言ってオルガンティーノ師はじめ我われ司祭の前で頭を下げるジュストに、かえってオルガンティーノ師は恐縮した。

「お城の方も大変でしょうに、こちらこそ申し訳ない」

「私は実は関白殿下のお供で、近江の坂本におりました」

 坂本といえばかつてはあの明智の城で、オルガンティーノ師も私も数日滞在たことがある。本能寺の事件の後、今目の前にいるジュストが明智軍を追い詰めて焼き落としたはずの城だ。今は関白殿下の城としてすでに復興されているらしい。

「関白殿下はとにかく大坂に戻るというので、我われも供をして、昨日やっと大坂に帰り着きました」

 ジュストの話では、大坂には各地から次々と被害の報告が寄せられているという。それによると、地震の被害は都より東で甚大だったようだ。

 例えば関白殿下がまだ信長殿の一将校だった時に住んでいた城がある長濱は琵琶湖の東岸の安土よりはずっと北だが、城下町ともども城も大損傷だったとのことである。

 美濃の大垣もかなりひどかったようだ。セスペデス師にとってはなじみの土地なので、セスペデス師は身を乗り出して悲痛な顔つきでい聞いていた。

 なんと一夜にして城がある山全体が崩れて、城は崩壊、城の中にいた殿も家来もその家族も全員が亡くなってしまったという場所もあったという。

 さらには日曜日の夜の地震はやはり尾張の地方で起こった別の地震のようで、誘発されて起こったのかもしれない。

 話を総合すると、最初の地震の震源は美濃の北の飛騨という地方らしい。

 その付近の被害は、都や大坂の比ではないらしい。想像を絶する大地震だったのだ。なんと、越前に近い若狭という海辺では巨大な波が押し寄せてはるか内陸部まで及び、あっという間にすべての町も村も押し流して、人々をも呑み込んでいまったというから恐ろしい地獄絵図である。

 話を聞いたオルガンティーノ師も、ため息をついていた。

「祈りましょう」

 オルガンティーノ師は読みかけ、我われみんな手を合わて目を閉じた。

 まずは教会のある都や大坂の被害を最小限に抑えていただいたことを『天主ディオ』に感謝し、いまだ苦しんでいる被害に遭った人々の救済と、亡くなった方々の魂の救われを祈った。

 その後も地震は毎日続き、翌二月の十日ごろまで地震がない日はなかったほどだった。だが、だんだんと地震の間隔も開き、規模も小さくなっていき、その月の十九日に灰の水曜日を迎えて四旬節クアレージマに入る頃には、ようやくほとんど収まっていた。


 その間も多くの人々を動員しての工事は延々と続いて大坂の城もほとんど完成に近くなってきており、それと同時に大坂の町もますます巨大な都市へと発展を続けていた。

 さすがに都にはかなわないが、かつての安土などは物の数ではないと言えるほどで、規模の面ではその比ではなかった。

 こうなると、関白殿下を直接感じ取ることはできない。今どこにいるのか、大坂にいるのかいないのか全く分からない。ただ、日用のミサにジュストやドン・アゴスティーノ、ドン・シメオンが顔を出せば、関白殿下も大坂にいるということになる。もし大坂を離れるときは、この三人は必ず身近に置いて連れて行くからだ。

 不思議なもので、都にいる時と同様にここでもさまざまな情報をくれるのはドン・アゴスティーノの父のドン・ジョアキムだった。

 それによると、実は関白殿下は今は都にいて、都にこの大坂城とは別に自らの巨大な屋敷を建築するため、その計画の下見に行っているのだという。

「また仰山な人々が普請のために駆り出されますやろな。まあ、関白殿下も花見の頃には大坂に戻って気はりまっしゃろ」

 ジョアキムはそう言って笑っていた。なにしろ関白殿下は、ひとところにじっとしていられない性格のようだった。

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