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 こうして約二週間の学びが終わった。

 かなり長時間を勉学に当てたので、期間は二週間だったけれど神学校セミナリヨの学生が一年かかって学ぶほどの情報量を学んだ気がする。

 一応勉学を終えたし、高槻に戻ろうと思ってその旨を大坂に手紙で伝えた。だが、三日後に大坂のオルガンティーノ師から来た手紙には、大坂の神学校セミナリヨの完成までまだ一月以上かかるのでそれまで都にいるようにとのことだった。

 それ以外のことは何も書いていなかったが、私にはその行間が読み取れたような気がした。

 もしかしたら……

 私は胸が熱くなるのを感じた。

 それからは都の教会でカリオン師の補助をしたりで毎日を過ごした。カリオン師もここでは司祭は一人で、あとは修道士と同宿がいるだけだったので助かると言ってくれた。

 ベルシオール先生の所にも、最初の二週間のように入り浸りで勉強をしに行くことはなくなったが、時折ふとまた疑問な点が浮かんだりしたらお邪魔して教えを請うたりしていた。


 そして秋も深まった十一月の下旬、いよいよオルガンティーノ師から手紙が来て、「神学校セミナリヨが完成して学生たちも呼び戻すので大坂に来るように」とのことだった。「高槻に戻れ」ではなかった。やはり、人事は私の願いどおりになりそうだ。

 私は暇乞いのため、ベルシオール先生の元を尋ねた。

「そろそろ紅葉の時期や。せっかくなんで紅葉を見てから行かはったらよろしゅうおす」

 そう言って、ベルシオール先生は一つの寺を紹介してくれた。

「紅葉を見に行くだけと違うて、やはり学んだ以上実際に寺を見ておいた方がいい。できれば大坂に行く途中少し寄り道して、奈良にも行かれたらええ」

 奈良にはかつて帝が仏教を国教としていた時代に建てさせた巨大な仏像があるという。そのような大きな仏像は、都では見られないというのだ、

 そういえば昔、天草で亡くなったアルメイダ師が修道士時代に奈良でそれを見たと語っていた。

 やはり文字と言葉で学ぶだけではなく、実際に目で見る必要があるだろうと、私はその提案を受けることにし、オルガンティーノ師の承諾を得るために大坂に手紙を書いた。返事はすぐに来て、承諾してくれるとのことだった。

「大いによろしい」

 手紙にはそう書かれていた。


 まずは奈良を経て大坂に帰る予定の二日ほど前に、私はヴィセンテ兄とともにベルシオール先生から紹介された寺へと向かった。教会からだと南東の方角にあり、歩いて一時間ほどだった。まずは南北に伸びるストゥラダ・プリンシパーレ《(メイン・ストリート)》の烏丸通りをひたすら南下し、やがて左に折れて鴨川を東へと渡ってまたしばらく南下すると、その寺の山門が見えてきた。

 その寺は東福寺トーフクジといった。この寺も、かつてフロイス師が訪れたことがあるということで、話には聞いていた。さらにあの信長殿が、本能寺の屋敷ができる前に何度か宿所にしたこともあったという。

 門はとてつもなく巨大だった。二階建てのような構造になっていて、一階部分は何本もの柱に支えられていた。

 中央が門になっていて人々が通れるようになっており、この時は紅葉の季節もあって多くの都の市民たちが自由に出入りできるようになっていた。

 人が通るといっても、普通の人の背丈の三倍くらいある巨人がいたとしても、楽にくぐれるほどだ。

 驚いたのは、その左右にある二体の巨大な仏像だった。あまりにも大きいので、見上げてしまう。

 まさしく悪魔だ……ベルシオール先生は、寺の仏や神社の神を悪魔と称するのは控えるようにと言っていたし、私自身も何でもかんでも悪魔とする考え方は腑に落ちずにいた。だが、今我われが見上げている像は非常に恐ろしく醜悪な憤怒の相をしており、悪魔以外の何ものでもなかった。

 同行しているヴィセンテ兄も、日本人ながら寺には初めて参るようで驚きの声を挙げていた。

外国とつくにの方がご覧にらはったら、恐ろしう思いますやろな」

 いきなり話しかけられて、私はどきっとして振り向いた。そこにはひとりの老齢の僧侶がにこにこして立っていた。

「南蛮寺のバテレン様どすな」

 私は少々身がまえた。私がこの寺に論争を挑みに来たと思われたのではないかと身構え、そうでないことをいかにして分かってもらうか頭の中で瞬間に考えていた。だが、僧侶は依然にこにこしている。

「曲直瀬道三先生よりご連絡いただいております。ご案内させていただきます」

 私の身構えは不要なものだった。ほっとして、私も笑みを漏らした。

「これはかたじけない。よろしゅうお願い申します」

「ほう。聞いてはおりましたが、やはり日本語は達者でいてはりますな」

 まずはすぐ近くの巨大な悪魔(?)の像を見上げた。

「これは人びとは普通仁王さんと呼んでますけれど、正式には金剛力士いいます」

「なぜ、こんな怖い顔を? 悪い仏様ですか?」

 私はあえて悪魔とはいわなかった。僧侶は声をあげて笑った。

「あなた方から見れば妖魔か悪鬼のように見えますやろな。でも、なんでこの仏さんはこんな怖い顔してはるかといいますと、ほんまに悪い悪鬼などがが寺に入って来いへんように守ってはるんどす。優しい顔してはったら、悪鬼に軽う見られますさかいな。つまり、悪に対して睨みをきかせとるんどす」

 そういわれてみれば理屈だ。つまり、寺を守る衛兵のような像で、確かに衛兵は侵入者に対しては憤怒の形相でにらみつけるものだ。

「このお像が造られたのは、今から三百年ほど前どすか。ようごらんなさい。右の方は口を開けてはる。左のは口を閉じてはりまっしゃろ。右のは『』、左のは『ウン』を表しとります」

「『ア』と『ウン』?」

「梵字の最初と最後ですな」

「梵字とは古代インジャの言葉です」

 ヴィセンテ兄が私の耳元で補足して、ポルトガル語で囁いてくれた。その古代インディア語である梵語、つまりサンスクリット語のアルファベットの最初と最後……私は思わず心の中で唸っていた。それはギリシャ語のアルファベットの最初と最後の文字と同じではないか……すなわちアルファとオメガ……。

 ――今いまし、昔いまし後来たり給う主なる全能の『天主デウス』言い給う「我はアルファなり、オメガなり。……はじめなり、おわりなり――。

 ヨハネの「黙示録アポカリプシス」にある言葉だ。そのアルファとオメガをこの二体の像が表しているとすれば、これは悪魔などではない。むしろ、キリストの教えと根本でつながっている証拠だ。

 私は僧侶にはそのことはあえて言わなかったが、内心うれしくなった。

「こちらのお寺の宗派は何ですか?」

  私はその代わりに話題を変えていた。

「臨済宗どす。禅の一派でんな」

 かつてベルシオール先生が仏僧であった時に属していた宗派だ。だから顔が聞いたのだろう。仏教の中でも我々と一番友好的な宗派が禅宗だ。だからこの僧侶もベルシオール先生の口添えだけでなく、禅宗ということで我われを親切に迎えてくれたらしい。

「この門が三門どす。ほかの寺は山という字を書いて山門といいますが、この寺では三つという字で三門どす」

 その巨大な門はくぐることはできず、その脇を通って中に入るとそこは寺の境内である。

 私は日本に来たばかりで長崎にいた頃には、仏教の寺は悪魔崇拝の場所という概念を植え付けられていた。

 だが、今その悪魔崇拝の場所に足を踏み入れても、なぜか心がすがすがしく感じるから不思議だった。だが、建物から感じる雰囲気の違和感はあった。だがそれは霊的に悪魔崇拝云々の問題ではなく、単に文化の違いによるものにすぎないようだった。

 すぐにまた巨大な建物があって、そこが本殿のようだ。

 中には奥に仏像が祀られていた。中央に立っている一体と、左右に小型の仏像がある。先ほどの仁王像に比べると、さほど大きな仏像ではなかった。

「釈迦三尊像です」

 僧侶が説明してくれる。つまり、仏教の開祖であるゴータマ・ブッダである。この寺が祀っているのは阿弥陀アミダ観音クヮンオンというホトケではなく、人間が祀られているということになる。

 確かに私がベルシオール先生のもとで学んだことによるろ、禅は他の仏教の宗派のように仏に礼拝するよりも、座線という修行で悟りを開くことを主眼とするとあった。

 本殿を出ると普通の寺ならこれで終わりだが、この東福寺に関しては終わりではなかった。三門と本殿は全境内の一角に過ぎなかった。実に広大な敷地のあちこちに巨大な建造物が点在しているのである。それ全部を含めて東福寺であった。

 まずは三門や本殿を含め、それらの巨大建築がすべて木材で造られているのは、城の天守閣と同じだ。

 安土で巨大な天主閣を見た時、天を衝くような巨大な建物がすべて木材で造られていることにはすでに十分驚いていた。エウローパにも巨大な教会はあるが、皆石造りである。さらにはエウローパの教会はどんなに巨大でも、単体で存在する。このように広大な敷地に巨大な建物がいくつも点在するという光景はない。

 それらの建物とは禅寺であるだけに座禅の道場であったり、ほかの仏像を祀ったり、僧たちの住居であったりとさまざまだ。

 そしてかなり歩いて、それでもまだ寺の境内だったが、ちょっとした庭園まで造られていた。そこは谷間になっていて、その谷間の木々がみごとなほど真っ赤に紅葉していた。もうどちらを見ても真っ赤な世界だ。花も美しいが、木の葉でもここまで色がつくと見事に美しいものである。

 春の桜も美しいが。桜は日本じゅういたるところで見ることができる。だが、紅葉はこのように限られた場所に出向いてこないと見られないので貴重な体験だ。

 さらに谷間を横断するように屋根の付いた橋がかけられており、渡り廊下のようにもなっていた。その上に案内された。そこから見下ろす谷間の紅葉は、これまた見事だった。庭園は人工のせせらぎや池と、みごとに大きな石が配置された日本独特の庭園造形美だ。

 そもそも宗教の施設である寺に子のような見事な庭園があるということ自体が不思議だ。もちろんエウローパにも見事な庭園はたくさんある。だがそれらは教会の中ではなく、王侯貴族の宮殿の中にある。エウローパでは庭園は、王などの地上の権力者がその力を誇示するためのものだ。

 日本に来てから五年もたって、やっと得られた貴重な体験に私の魂は揺さぶられていた。

 いくつかの建物には天井に龍という生き物の絵があった。かつてフロイス師が日本の寺の天井には巨大なトカゲの絵があるなどと言っていたが、トカゲなどではない。エウローパのドラーゴ《(ドラゴン)》とも違う。それは決して「動物」ではあり得ない。むしろ神々しさを感じるものだった。

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