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 次の日曜日は九月の最後の主日で、しかもちょうど大天使ミカエルの祝日でもあった。奇しくもかつてザビエル師が初めて日本での布教許可を取り付けたのがこの日で、それが聖ミカエルの祝日でもあったことから、ザビエル師は聖ミカエルを日本の守護者と定めたのであった。

 毎週のことだが巨大な聖堂であるにもかかわらず、入りきれないほどの領民の信徒クリスティアーニであふれた。しかもこの日はダリオとともにジュストもひさしぶりに参列しているのである。領主の殿も領民も分け隔てなく主のみ前に肩を並べて座っている。

 司式はフルラネッティ師だった。

 これだけ参列者が多いと一番時間がかかるのが聖体拝領だが、ようやくそれも終わって普通ならそこで司祭の退場となるところで、フルラネッティ師は会衆の方を向いて立った。

「今日は皆さんにお知らせがあります」

 ゆっくりとフルラネッティ師は、日本語で言った。

「実は国替えで、皆さんの殿様のジュスト高山右近様は、播磨の明石に国替えとなります」

 突然の知らせに、人々は一斉に騒ぎ始めた。しばらくは何も言えない状態だった。

「聞いたところですと、今回関白殿下は大々的な殿の配置換えをするようです」

 こうして領主の異動が領民に告げ知らされるというのは、ほかの土地ではない異例のことのようだ。

「殿様、行かないでください」

「我われを見捨てはるおつもりでっか」

「お願いです。行かんでください」

 人びとは口々にそう叫んでいた。

「ほな、それやったら我われもみんな殿様について明石に行こう」

「そや、そや」

 人びとの騒ぎはなかなか収まりそうもなく、フルラネッティ師は困っていた。他の土地のように、領民の知らない間にジュストは旅立ってしまえばよかったのだろうか。

 その時、ジュストが立ち上がって人々の前にあった。

「ここは聖なる場所です、お静かに」

 ジュストのひと声で人びとは急に波を打ったように静まった。そして、ジュストに向かって頭を下げた。

「ここで私に頭を下げるのもやめてください。主の御前では私もあなた方も平等です」

 人びとは言われて、ゆっくりと頭を挙げだした。

「皆さん、よく聞いてください。このたびか関白殿下は私への褒美として、加増のために国替えを命じました。私が明石に行くのはそのような収入みいりを増やすのが目的ではありません。もちろん、皆さんを見捨てるわけではありません」

「ほな、なんでですか」

「まあ、関白殿下の仰せには逆らえないというのも一つあります。でもそれだけではない。私はそこに『天主デウス様』のみ意を感じました。高槻のキリシタンはもう大丈夫だから、新しい土地で福音を述べ伝え、キリシタンを増やしなさいと」

「いや、大丈夫ちゃいます」

「そうです。殿様がおられなくなったらこの南蛮寺は?」

「それは大丈夫なのです」

 凛としてジュストは言った。

「関白殿下にはくれぐれもキリシタンの皆さんとこの南蛮寺のことはお願いしてあります。確実にお守り下さると、約束くださいました。皆さんを導いているのはどなたですか? 私ではないでしょう? 私が師と仰いでいるのはこの南蛮寺のバテレン様方です。私がいなくなっても南蛮寺はこの地にあり続けますし、皆さんを導くバテレン様方はずっといらっしゃいます。何を恐れることがありますか? そして究極は、皆さんは『天主デウス様』にお仕えする身でしょう? 私もそうです。皆さんと私は西と東に離れても、心は一つ、そうでしょう?」

 人びとの騒ぎはすすり泣きの大合唱に替わった。

 もう、その時私も次から次へとあふれる涙をどうしようもなく、まだしゃべり続けているジュストだったが、その後の言葉は耳に入っていなかった。

 ミサが終わってからジュストは司祭館の方へ来て、まだ大坂に帰らずに残っていたオルガンティーノ師に言った。

「一つだけ、お願いがあります」

「なんでしょう?」

「私はすぐに船上フナゲという城には入らず、同じ明石の枝吉エダヨシ城にとりあえず入って、船上の城と街を造るつもりでいます。そうして街が完成したら、徐々に福音宣教を進めていきたい。そうなると、戦場にも南蛮寺が必要です。それは私がなんとかしますから、ぜひどなたかバテレン様を派遣して頂きたいのです」

 うなずいて、オルガンティーノ師は隣にいたセスペデス師を見た。セスペデス師はあの小西殿ドン・アゴスティーノに請われて、いつか小豆島に赴くことになっている。

「いいでしょう」

 オルガンティーノ師は明るく言った。

「その時には司祭を派遣します」

「それはありがたい。私は大坂に戻るとすぐに、船で明石へ向かいます。関白殿下が船を二百艘もご用意くださるそうで、何から何まで破格の待遇です」

「一切が『天主デウス様』ですね。『天主デウス様』に感謝申し上げましょう」

 ジュストはその場で深く頭を下げて祈っていた。


 翌日、城の家臣団とその家族全員が大坂に向かうので、おびただしい数の行列となった。また城内の家財道具を運ぶ人足の列も長きに至った。

 両親や妻そして子らをつれて最後に教会にあいさつに来たジュストは、その足で総ての家臣団とともに高槻の城を後にした。

 なにか一つの時代が終わるというような感じさえ受けた。

 教会も神学校も、これからもこの高槻にあり続ける。教会までもがジュストについて明石に行ってしまったら、それこそここの信徒たちは取り残されて路頭に迷うことになる。

 後は、新しい城主である関白殿下の、その代理人の到着を待つばかりであった。

 

 関白殿下の代理人である代官ダイカンが高槻に着いたのは、その二、三日後だった。ジュストの家来たちほどの大人数ではないようだった。城主ではなく、あくまで留守番なのだ。

 ジュストが城主のときは常に自ら教会に足を運んでくれたが、城代は到着した旨を教会に知らせて来ただけで、我われの方からあいさつに出向かねばならぬようだった。

 フルラネッティ師とフランチェスコ師、そして私の三人で城の方へと向かった。

 もう何度も来慣れた、勝手を知り尽くしている城である。それなのに、我われを迎える相手がすでにジュストではなく見ず知らずの他人だということで、まるで初めて訪れる場所のように我われは緊張していた。

 広間でもジュストは決して我われを下座に座らせることはなく、むしろ自分の方が下座について、我われを師として迎えてくれた。だが今回、我われが案内された席は下座だった。

 現れた代官は、まだ若者だった。見た目は十二、三歳に見えたが、我われの目からは日本人は実際よりも若く見えてしまうので、本当のところは十五、六歳といったところだろうか。ただ、特徴は目が悪いのか、左眼には黒い革製の丸い眼帯を着けていた。

「私が関白殿下よりこの城を預かります三好小吉と申します」

 上座からではあるが、一応我われに頭を下げた。

「叔父上であります関白殿下からは、南蛮寺とセミナリヨ、それとキリシタンの領民たちを保護するようにと強く言われております」

 さすがにジュストがきちんと言ってくれたことが反映されていてうれしかった。だが、この三好殿はさりげなく気になることを言った。

「あの、今、関白殿下のことを叔父上と?」

 フルラネッティ師も同じことを疑問に持ったようで、すぐに聞いていた。

「はい。私の母は関白殿下の姉でございます」

「ほう」

 関白殿下は自分の身内を代官として送り込んできたということは、この高槻をよほど重要視しているのだろう。

「南蛮寺は城中にありますが、これまで通り南蛮寺で儀式がある際には城門は開放し、町方の人々や百姓が出入りするも苦しからずとの関白殿下の仰せでございます」

 これはありがたかった。つまり、状況はジュストんが城主の時となんら変わらないということだ。我われは礼を述べてから城を退出した。

 城の屋敷のある部分の門を出れば目の前が教会だが、歩きながらフルラネッティ師が教会の隣の三階建ての神学校セミナリヨを見上げた。

「これで教会はこれまで通り安泰です。でも、一つ心配なのは神学校セミナリヨですね」

 私の眉が動いた。歩きながらすぐにフルラネッティ師を見た。フルラネッティ師はまだ神学校セミナリヨを見上げている。

「教会はどのような場所でも大丈夫です。他の教会は領主が未信者のところ、領主の城のそばではない所などいろいろな所にあります。でも、神学校セミナリヨはやはり領主の庇護がないと経営が厳しい」

 たしかに有馬の神学校セミナリヨはすぐそばに信徒クリスティアーノの殿であるドン・プロタジオの居城があって、直接にドン・プロタジオが庇護してくれている。

 府内の学院コレジオも大友殿ドン・フランシスコが側にいる。

 ここの神学校セミナリヨも安土にあった頃は信長殿が信徒クリスティアーノではなくても庇護してくれた。

 そして高槻に移ってからは当然ジュストが、彼が大坂住まいになってからはその父のダリオが実質上神学校セミナリヨを管理運営してくれていた。だが、ジュストもダリオもすでにいない。

「どうでしょう。教会はそのままここにあるとしても、神学校セミナリヨだけは大坂に移した方がいいのでは?」

「それは……」

 私は頭の中がさっと白くなった。

 それは私とあの学生たちとの決別を意味するのか…私もともに大坂に行けるかどうかは、人事権は上長のオルガンティーノ師にあるのだから、我われからは何ともいえない。

 その前に、神学校セミナリヨ移転は我われの一存で決められるものではなく、オルガンティーノ師が決めることである。

「皆さんはどう思われますか?」

 すぐにフランチェスコ師は答えた。

「私は賛成です」

「私は……」

 私はやはり口ごもってしまった。

 だが、客観的に考えれば、フルラネッティ師が言ったことはどう考えても妥当なのである。ダリオ夫妻なしで神学校セミナリヨの運営は難しい。

「いや、私も賛成です」

「それでは、早速相談の手紙を書いてみよう」

 その言葉の最中に、我われ三人は司祭館の玄関に吸い込まれた。

 

 オルガンティーノ師からの返事はすぐに来た。

 そもそも最初の大坂の教会を建てる際、羽柴殿より賜った土地の半分は今でも空き地になっているという。将来そこに新しい神学校セミナリヨを建てるつもりで、そのためにわざわざ空地にしているそうだ。しかも、そのための資材も若干ではあるがその空き地に積んであるという。

 かつて羽柴殿が雑賀を攻めた時に、雑賀にある大きな寺を攻略し、その寺は焼かずに建物の木材を教会のようだ手にせよと大坂に運んであった。もちろんそれだけでは足りないが、高槻の神学校セミナリヨを解体移築するので、その木材と合わせれば十分に立派な神学校セミナリヨが大坂に建つ。

 だが、もっともその間は、学生たちは郷里に帰し、遠方の者は司祭館で過ごさせるしかない。

 オルガンティーノ師の考えでは、長期にわたって神学校セミナリヨを休校にするのは忍びないので工事をすぐに始めるという。

 フルラネッティ師が呼びかけると、高槻の領民の信徒クリスティアーノの中で大工や職人はすぐに集まった。だが、実際に作業するのは農民たちなので、これに関しては代官である三好殿の許可が必要だった。

 これまでならジュストのひと声でそれは可能になったが、今はそうはいかない。

 だが、そのことを代官の三好殿にお願いに行ったところ、三好殿はすんなりと快諾してくれた。折しも稲刈りも終わって農閑期に入り、農民たちの農作業にも支障はないはずだった。

 さて、私である。

 司祭館に残った学生はほんのわずかで、私は神学校セミナリヨに携わることができなくなった。もっとも大坂に新しい神学校セミナリヨが完成して開講しても、私の人事がどうなるかはまだ分からない。

 そんな時、私宛にオルガンティーノ師から手紙が来た。それは驚くような内容だった。

 私に都へ行けというのである。

 ちょうど神学校セミナリヨも休校であるし、この機会に都で仏教や神道などいろいろな日本の宗教について学んでくるようにとのオルガンティーノ師の指示であった。

 それは決して降って湧いたような話ではなく、私はかねがねそのような希望を持っていることをオルガンティーノ師には話していたし、オルガンティーノ師もそれに賛同してくれていた。いや、むしろオルガンティーノ師の方からその必要性を説かれ、学ぶことを勧められていたのだ。

 日本で福音宣教を進めるに当たっては、日本の仏教の諸宗派や神社の神道について熟知しておく必要があるとオルガンティーノ師はかねがね主張していたし、自身もすでにかなりの研鑚を進めてそれらに精通していた。

 かつて豊後からフィゲイレド師が都に来た折に私も都に行き、その時に受洗した曲直瀬道三ベルシオール先生からも、仏教の諸宗派を学ぶことを進められ、その希望を高槻への帰途にオルガンティーノ師に話していた。

 だが、私には神学校セミナリヨの仕事があったのでなかなか実現できなかったが、今がいい機会だとオルガンティーノ師の方から勧めてくれて、上長の指示という方たちにしてくれた。私にとって、それはとてもありがたいことだった。

 早速日本人修道士のヴィセンテ兄とともに、私は都に向かった。

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