Episodio 4 仏教と神道(Miyako)

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 もう秋の気配濃厚とはいっても、都の周囲の山々が紅葉に染まるにはまだかなり間がありそうだった。

 私が教会に入ると、日本人の同宿の少年たちがすぐに水の入ったたらいを持ってきてくれて、足を洗ってくれるのである。

 もうすっかり慣れた日本の風習だが、それでもまだ奇妙な思いを感じる。自分たちの文化と違うというだけなら、こういうものなのだと割り切ってしまえばいい。日本はエウローパとは違って履物を脱いで裸足で屋内へ入るので、足を洗うのだということは分かる。エウローパでは履物はいたままだから、いちいち足は洗わない。

 ただ、奇妙なのは、「福音書エヴァンジェリウム」などを見ると、イエズス様の頃のユダヤではどうも日本と同じ習慣があったようなのだ。

 我われが復活祭バスクアの前の聖週間に特殊な儀式として洗足式を行うが、それは最後の晩餐でイエズス様が弟子の足をお洗いになったというところにあるのであって、足を洗うというその行為自体はなんら特殊なことではなく、むしろあの時代のあの地域では普通の習慣だったようである。

 それが、日本でも同じというのが不思議だ。

 実はほかにもいろいろ感じたことがあるのだが、ここでは割愛する。

 だが、我われの国々ではすでに失われた古代ユダヤの風習が、この地球の裏側の日本では行われていることが不思議で。そこに天の摂理さえ感じたりする。


 教会では出迎えに出てくれたカリオン師に、私はオルガンティーノ師のいいつけで仏教や神道の諸宗派を学ぶために派遣された旨を伝えた。

「大坂のオルガンティーノ神父様パードレ・オルガンティーノからは、すでにこちらにも手紙が届いていますよ」

 マカオ以来の旧知のカリオン師は、そう言って笑っていた。

 私は旅装を解くや、ヴィセンテ兄とともに早速に歩いて三十分ほどのベルシオール道三先生の屋敷へと向かった。

 我われは初めてここを訪れた時のあのけんもほろろの扱いとは打って変わって、取次に出たベルシオール先生の弟子たちは我われの姿を見って瞬間に親愛の笑顔を見せた。

「これはこれはバテレン様、さ、どうぞどうぞ」

 弟子は奥に取り次ぎの伺いに行くこともなく、我われはすぐに中へ通された。

 小部屋に通され、ほとんど待つこともなくすぐにベルシオール先生は弟子たちに体を支えられて姿を見せた。

「おやおやおや、これは高槻に行かれたバテレン様とイルマン様ですな。お懐かしい」

 ご高齢の方にしては、はっきりとわれわれのことを覚えておいてくれた。

「お久うございます。もう十カ月にもなりますか」

 私はベルシオール先生の耳の遠さを気遣って、神学校セミナリヨの何十人も学生がいる教室で彼ら全員に語りかける時と同じくらいの音量で話した。ベルシオール先生は自分の耳後ろに手をあてて音声を拾い、いちいちうなずいていた。

「いつ、都へ?」

「さっき着いたばかりです」

「それですぐに私の所に来はったいうことは、どこか体のお具合でもお悪うて?」

「いえいえ、すこぶる元気です」

「元気な人が医者のもとに?」

 ベルシオール先生は声を挙げて笑った。

「では、何かまたありがたいお話が聞けるのですな」

「いえ。今日は逆に、我われが先生に教えを請いに参りました」

「なんと」

 私は手短に、オルガンティーノ師からこの国の宗教の諸宗派を学ぶように命じられてきた旨を告げた。

 もっとも、仏教の教えを知りたいのなら仏教の寺に行くのが最善の方法だが、我われがこの顔とこの格好で寺に行ったら、僧侶たちは我われが論争を挑みに来たと構え、ひどい時には門前払いの可能性も大きい。だから、ベルシオール先生に学べということなのだ。

「その目的は何どす? 他の寺の僧などが論争を挑んできた時に論破するためですか? 唐土もろこしの『孫子』という兵法書には『彼を知り己を知れば百戦殆あやうからず』とありますしな」

「モロコシ」とはチーナのことだろう。

「まあ、彼を知らずして己を知れば一勝一負ってところどすな。知っておいたに越したことはない」

 私は実際に目撃したことはないが、確かにこれまでも仏教の僧侶が多く教会に来て論争を挑んできたことがあったという。

 そしてそれをいちばん多く論破して引き下がらせるか、逆に感化させてキリストの教えに改宗させてきたという経歴を持つのは、あの大坂にいるロレンソ兄だとも聞いている。

 だが、ロレンソ兄は日本人だ。日本人の修道士は若い人は別として、年のいった人ならかつては仏教徒であり、改宗してキリストの教えに入った人たちだ。だから、仏教の教えも熟知している。

 我われエウローパからの宣教師である司祭も、彼らと同等の知識を身につける必要がある。これが、かねがねオルガンティーノ師が主張していたことだ。

 そして、元仏僧でもあった経歴を持つベルシオール先生は、教えを受けるのに最適な人であるというのも、オルガンティーノ師の考えだった。なにしろ博識であり、さらには権威もある。

 さすがにそのようなベルシオール先生だけに、オルガンティーノ師の意図は伝えずともすでに悟っていた。

 ただ、私には、ほんの少しだけ違う考えもあった。

 論破というと、相手の主張の誤りを突き、非を指摘して自らの主張の正しさを突きつけて相手を納得させる、つまり、相手に自分の非を悟らせるというところにある。

 だが私は自らの体験として、ヴァリニャーノ師もともにいたあの豊後から薩摩を経て長崎への船旅の途中で、薩摩のある老婆を改宗させたときのことを思い出す。

 その老婆は一向宗の門徒だったが、私は幸い豊後から都へ行く時の船の船頭が一向宗門徒で、その船旅の途中に瀬戸内海上で一向宗の教えのあらましを聞いていた。だからその知識を利用して、一向宗の教えとキリストの教えは何ら矛盾しないということの方を強調して、結果改宗へと導いたのである。

 このやり方はその時同行していたフロイス師からは、邪道だと徹底的に批判された。彼は私のやり方を妥協だと言った。適応主義と妥協とは違うとも言っていた。だが私はあれを妥協とは思わない。では何いなのか……分からない。

 ただ、改宗させる相手の信じるものを知ることで、何か不思議な力が働くような気がした。スパーニャがインカで行った強制改宗とは似ても似つかないもの……そこまで考えてふと大村のことが思い出されたが、あえてそれは封印した。いや、したかった。

 私が仏教の諸宗派や神道のことを知りたいのも、論破するためというのとはちょっと違うのである。

 だが、今それを言うと話がややこしくなるので、言わなかった。

 しかし、フロイス師が考えるように、そしてカブラル師もそうだったであろうしコエリョ師もそのような節があるが、仏教の仏や神道の神はすべて悪魔であるという考え方はどうも腑に落ちないのである。

 天地の創造主、全能の父なる唯一の『天主ディオ』以外を崇拝することは、確かに悪魔崇拝ということになろう。そう教えられてきた。だが……。

 それ以上は、私の立場で言えることではない。とにかく、今はベルシオール先生に学ぶことが先決だ。そのベルシオール先生も、神や仏を悪魔と称することは控えるよう言っていた。それは福音宣教に妨げになるということだった。

「まず仏教は大きく分けて三つの流れがあります」

 私がそんなことを考えていると、いきなりその場ですぐに講義が始まった。

「一つは一向宗のような阿弥陀を信奉して極楽往生を目的とするする流れ。もうひとつは私がかつて所属していた寺の禅の流れ。そして日蓮の教えを汲む法華宗ですな。それらは皆三百年ほどの歴史しかありません」

 意外と新しい。十三世紀初頭というところか。

「もっと古いところでは高野山の真言宗の教え、そして比叡山の天台の教え、これらは密教で、この都が作られたころに唐土より伝えられしもの」

 つまり八世紀か九世紀、それでも新しい。

「そもそも、日本に仏教が伝えられたのは?」

「千年ほど前ですかね」

 六世紀ごろとなる。もうローマ帝国も滅んで、ゲルマン人の国家が栄えている頃だ。そもそも仏教の開祖であるゴータマ・ブッダという人はキリストご降誕よりも五百年か千年かも前の人と聞く。今のゴアのあるインディアの地に始まった仏教が日本に伝わるまでにかなりの名が時間を要したことになる。そうなるとそれまでは日本は神道だけだったはずだ。

「仏教が来た時に、日本の神道は抵抗しなかったのですか?」

「もちろん、大騒動だったようどす。それに関しては、あとで日本の歴史書を提供しますさけ、それを読まはったらよろしいでしょう」

 それからまずは、ベルシオール先生が属して禅の宗派の話から始まった。

 話は決して専門的にならないように噛み砕いて、分かりやすく話してくれた。時には、我われがこの国の人々に福音を告げ知らせる時の話よりも分かりやすいのではないかと思うくらいだ。

 ただ、ずっとベルシオール先生が話してくれるという形ではなく、時に弟子に何冊かの書物を持って来させ、それを閲覧するようにと言って席をはずすこともあった。

 それらは入門書のようなたぐいの本だが、量が半端なかった。

 それから数日、私は毎朝のミサの後で朝食をとるとすぐにベルシオール先生の屋敷を訪ね、途中聖務日課のお昼の六時課、午後三時の九時課はヴィセンテ兄と二人でベルシオール先生の屋敷で行い、そのほかの時間は勉学に当てた。そして日没の晩課ヴェスピリまでには教会に戻るという毎日だった。

 ただ、ベルシオール先生の話をずっと聞いているわけではなく、提供された書を披見する時間の方が圧倒的に多かった。ベルシオール先生も医者としての仕事がある以上、一日中私たちにつき合っている暇はないはずだ。

 書物を見るときは、ヴィセンテ兄がいてくれて大変助かった。私は一応日本語の読み書きはできるが、書物を読むとなるとまた大変で、特に日本の本はチーナ語で書かれている者も多い。

 書かれている文章はチーナ語なのだが、日本人はそれをチーナ語の発音ではなく日本語で読んで意味を理解してしまうからすごい。それらは決してチーナから来た本ばかりではなく、日本人が日本で、日本人対象に書いた本もチーナ語なのだ。

 ヴィセンテ師は器用にそれを日本語で読んでくれるが、その日本語がまた今の日本語ではなく古代日本語であったりするので、ヴィセンテ兄が現代の日本語に直してくれたり、時にはポルトガル語で言ってくれたりした。

 それでもどうしても分からない専門的なことは、夕方にベルシオール先生にまとめて聞くという形になった。

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