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 そうして、ヴィジーリア・ディ・ナターレ(クリスマス・イヴ)の夜を迎えた。

 私にとっては、都の教会で迎える初めてのナターレ(クリスマス)だ。

 もちろん、パシオ師にとっても言うまでもない。そのパシオ師は、モレイラ師が司式した最初の日没後の前夜ミサの後、どうも物足りなさを感じているようだった。

 それはイタリア半島の教会ならナターレ(クリスマス)には必ず設けられるキリスト生誕の馬小屋のプレゼーピオがないということだけではない。パシオ師が感じている思いは、私にとってもも同じだった。

「都では、この教会の中だけがナターレ(クリスマス)なのですね」

 確かに、鋭い意見だ。私も日本に来て最初のナターレ(クリスマス)を迎えた豊後ではそこそこ信徒クリスティアーノもいた。最初だからよく分からなかった。

 だが翌年の大村は領民すべてが信徒クリスティアーノとあって、町中挙げての盛大なナターレ(クリスマス)で、その次の年の高槻もそうだった。

 だが去年の大坂、そして都はナターレ(クリスマス)のミサが行われている教会を一歩出れば、そこは全くの未信者たちの町なのだ。彼らにとってはただのいつもと変わらぬ日常が、ナターレ(クリスマス)とは全く関係なしに普通に営まれていた。

 国中こぞってナターレ(クリスマス)を祝うエウローパとは全く違う。

 そして長崎や高槻、大村とも違う。大村では四回あるミサを年齢別に振り分けた。高槻では御聖堂に信徒クリスティアーノは入りきれない状態で、教会の前の広場までが参列者でごった返した。

 だが都ではそれほど大きくない聖堂に、ナターレ(クリスマス)といえども信徒クリスティアーノは普通に入りきれていしまう。何だか毎週の主日のミサを、ただ夜にやっているというだけの感じですらあった。

「長崎ではローマやリスボンと同じで、みんな大騒ぎでしたけどね」

 あまりにも静かなナターレ(クリスマス)の夜に、パシオ師ははつぶやくように言った。

 たしかに大村でもそうだった。最初の日没後の前夜ミサと深夜ミサとの間の夜に、断食も明けたことから人びとは教会や開放された城内でフェスタを開き、日本人の信徒たちクリスティアーニによる聖劇も大盛況だった。

「長崎では町も大騒ぎするわけではありませんが、どの家も深夜まで明かりがともって、そのまま夜半ミサには皆大勢の人が集まりました。フェスタ(パーティー)で大騒ぎしていたのはポルトガルの商館員たちですが」

 パシオ師は苦笑混じりに言った。本来はミサの時以外は家族で祝うナターレ(クリスマス)だが、商館員たちは我われ聖職者とは違って家族を残して遠いこの国まで来ているのである。ナターレ(クリスマス)くらい騒ぎたくなる気持ちは分かる。

 だがそれと対照的に、都では教会の外の町は全く明かりが消えてあまりにも静かすぎるいつもの普通の夜だった。

 私は複雑な気持ちだった。


 カリオン師司式の夜半ミサに続き、ナターレ(クリスマス)当日の早朝のミサは私の司式になった。

 私は昨夜考えたことを説教の中で述べた。

「都では、教会の周りの町の人々にとっては全く何もない普通の夜を迎えていました。今、都は平和です。それはある意味では、ナタル(クリスマス)の夜にふさわしい姿であったかもしれません。なぜなら、ナタル(クリスマス)は平和だからです。でも、この平和は本当の意味での平和でしょうか」

 私は一度言葉を切った。

「今、日本は戦乱が続いています。あまり政治的な話はここではしたくありませんけれど、そんな日本だからこそ平和というものについて考えてみるべきだと思うのです。私たちバレテンは、この日本に宣教師として派遣されてきました。そして洗礼の恵みを頂いた皆さんも、日本で生まれて日本で育ってはいても、日本というこの国に派遣されたと考えてもいいと思います。派遣とは何でしょう。誰かが何らかの目的を持って人をその場所に行かせることですね。我われを派遣したのは、我われの国の王ではありません。形の上ではローマの教皇パーパ様という方ですが、実際はあくまで『天主デウス様』です。そして、皆さんも派遣された、誰が? 当然、『天主デウス様』ですね。皆さんはもともと日本に生まれたのですから、そのこと自体が派遣です。日本に派遣されたというより、この世に派遣されたと考えてもいい。何のために? この世に平和をもたらすため、人々を救うためです。その人々を救うために最初に派遣されたのが、『天主デウス様』の御ひとり子のイエズス様なのです」

 一同は静まりかえっていた。いつものことながら、このミサの説教の時は、まるで私ではないものが私の中へ入って、私の口を使って勝手にしゃべっているという感覚がある。

ナタル(クリスマス)が平和を表すのは、初めてイエズス様の誕生を羊飼いたちに告げ知らせた天使たちが、こう歌ったということにあります。『天のいと高き所には『天主デウス』に栄光、地には善意の人に平和あれ』と。つまり『いと高き所には栄光、『天主デウス』にあれ。地には平和、主の悦びたまう人にあれ』ということです。イエズス様の誕生を告げ知らせるに当たって、それが地に住む人々にとっての平和であると、高らかに宣言されたのです。そうして『天主デウス様』はどの天使に対しても、その御ひとり子を拝するように命じられたのです。天使の、羊飼いへのお告げはこうでした。『今日ダビデの町にて汝らのために救いの主生まれたまえリ。これ主キリストなり』と。こうしてイエズス様は派遣されました。そのことを記念して祝うのが、今日のナタルのミサです。そしてイエズス様は最後に我われを地の果てまで派遣したのです。救いの訪れを告げるため、そして救いの主として派遣されたイエズス様に倣って、多くの人々を救うためにに、です。具体的には、イエズス様は『汝らは世の光なり』と、また『汝らの光を人の前に輝かせ』と仰せになっています。つまり『これ人の汝らが善き行為おこないを見て、天にいます汝らが父を崇めん為なり』ということです。あなた方が日々の生活の中でキリストの教えを実践する、その姿を見て人々は『あの人のやっていることなら間違いはないだろう』と思うのです。つまり、口数よりも後ろ姿で導けということです。そんなに素晴らしい教えを伝えたところで『じゃあ、あなたはどうなの?』と相手に思わせてしまったら元も子もないですね。こうして、私たちは派遣されるのです」

 本当に私がしゃべっているのではないようだ。かといって、聖霊降臨ペンテコステの異言というような大げさなものでもない。だが、私がしゃべっているのに、その内容に私自身がはっとさせられたりするのだ。

「私たちは今、ミサに与っています。ミサという言葉は皆さんにとって、洗礼を受ける前には聞き慣れない言葉だったでしょう。ミサとはまさしく、派遣という意味なのです。『天主デウス様』がイエズス様を派遣されたように、イエズス様は私たちを派遣されました。それはすなわち、私たちが『天主デウス様』に派遣されたことにほかなりません。行きましょう、主の平和のうちに。『天主デウス』に感謝いたします」

 私は話を終わった。ミサの中で、会衆に日本語で話せるのはここだけで、あとは会衆に背を向けてラテン語で祈りを捧げるだけになる。

 そして、オルガンティーノ師が司式住る日中のミサに、なんと道三ベルシオール先生も姿を見せた。ベルシオール先生にとっては、洗礼式の時を別とすれば初めて与るミサだ。ミサの中の説教は、オルガンティーノ師は日本語でしたので通訳は必要ないのだが、ベルシオール先生は耳が遠いということで、そばにフィゲイレド師が付き添って耳元でその話の内容を伝えた。ベルシオール先生はいたく感動していた。

 そして驚いたことに、この日中のミサには普段はこの都の教会に通ってはいないような人々、私にとって懐かしい顔ぼれもそこにあったが、そんな信徒クリスティアーノの人々が押し掛けて御聖堂おみどうはかなり満員になったのである。

 都だけでなくこの布教区内の河内や、本当なら高槻や大坂の教会の方が近いであろうと思われる摂津や和泉の方の信徒クリスティアーノまでが押し寄せてきた。

 すべてがベルシオール先生効果だ。ベルシオール先生が洗礼を受けたということを聞いて驚き、一目お会いした遠くの人が都に集まったというような状況だ。

 これも、もしかしたら『天主デウス様』からのナターレ(クリスマス)レガーロ(プレゼント)かもしれなかった。

 私が会衆の中に見つけた懐かしい顔は、あの三箇の殿であったドン・サンチョである。その顔を見た途端私はうれしくて思わず声をかけた。

「今まで、どうしておられたのです?」

 すでに老人の域に達していたドン・サンチョは、かつての殿であった時の服装ではなく、ほとんど町の浮浪者のようないでたちだった。

「都大路を隠れ住む生活です。なにしろ、私の首には懸賞金がかかっている」

 彼は本能寺の事件の後、明智光秀の側についたことによって、その城は焼かれ、領地は奪われ、逃亡の日々を送っていたようだ。

「今日はそのようなことはとりあえず忘れて、共に主のご降誕を祝いましょう。ナタル(クリスマス)は恵み、光、希望です。イエズス様は『凡て労する者、重荷を負う者、われに来たれ、われ汝を休ません』と仰せになりました。今イエズス様は、あなたにこう言われていますよ。『よく帰って来たね。あなたを待っていたんだよ』って」

 ドン・サンチョはその場で大声をあげて泣き崩れた。これも素敵なナターレ(クリスマス)賜物たまものだった。

 こうして1584年のナターレ(クリスマス)も過ぎていった。

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