6

 

 翌日の土曜日は、また例によって道三先生は教会に来るのを休んだ。また、ラポルト(レポート)したためているのだろう。

 だが、一日おいて来るとなれば主日となってしまう。待降節アドベント第三主日で、司式司祭はバラ色の祭服を着るいわばバラの主日だ。

 待降節アドベントの主日では唯一オルガンが奏でていい日だが、残念ながら都の教会にはオルガンはない。高槻の教会では、高らかにオルガンが奏でられているであろう。

オルガニ(オルガン)がなくても私がいればいい。なぜなら私はオルガンティーノ」

 オルガンティーノ師は高らかに笑う。それで皆も明るく笑ったが、私にとってはどうも前に聞いたことがあるような冗談だった。

 だが、ポルトガル語ではオルガーノはオルガニになってしまうから少し苦しい。

「ただし、ペペロンチーノ(唐辛子)ではない」

 この冗談は逆にここでは私とパシオ師、つまりイタリア人しかわからない。だからオルガンティーノ師は、これだけはイタリア語で言った。

 そんな陽気なやり取りで笑っていたが、道三先生にはその次の日の月曜日に来てもらうことになった。

 そしてその前の、第三主日のミサの前、ある情報がミサに与るためにやってきたドン・ジョアキムを通して教会へももたらされた。

 ドン・ジョアキムはミサが終わるとすぐに集会室棟へやってきた。

「やっといくさが終わりました」

 我われの顔はぱっと輝いた。

「どちらが勝ったのですか?」

 モレイラ師が、身を乗り出した。私もそれが気になっていた。この戦争の結果によって、次の天下人テンカビトが誰になるか決まるのではないかという予想は十分にできたからである。

「羽柴様と御本所様は和議を結びました。羽柴殿が示された講和条件を御本所様は呑んで、和議が成立したいうことです」

 つまり、どちらが勝ってどちらが負けたというわけではないようだ。しかし、信長殿の次男である御本所殿はもはやその父を継いで天下人になる望みは断たれ、今後は一人の殿トノとしてわずかな領国を治めていくことになろう。

「で、徳川殿は?」

 カリオン師が聞いたが、実はこちらの方が気になる存在である。

「同盟者である御本所様が羽柴様と和議を結びはったさかい、もはや徳川殿に戦を続ける大義はありませんわ。そこで和議は結んでへん状態ですけど、とりあえずは軍勢を引き上げて本国の三河へと戻りました。そこで羽柴様も武装を解除し、大坂へ戻らはる途中で今この都にいてはるいうことでんな」

「戦争は終わったと思っていいのですね?」

 私が念を押した。ドン・ジョアキムはうなずいた。

 だが、羽柴殿と徳川殿はもう戦争はしていないにしろまだ講和はしていないのなら、敵対関係は解除されていないことになる。

 そしてその羽柴殿がこの同じ都にいるというが、全くそんな気配は感じられない。それほど都は巨大だということになろう。

 いずれにせよ、あと一週間後のナターレ(クリスマス)までに一応世の中は平和を取り戻してくれたようだ。羽柴殿も徳川殿も未信者だからナターレ(クリスマス)のための休戦というのはあり得ないが、自然とそういうように世の中が動いたのも『天主ディオ』のみ摂理かもしれない。

 キリストの誕生を羊飼いに告げた天使たちは、「天のいと高き所には『天主デオ』に栄光グローリア」と歌った後、「地には善意の人に平和あれ」と歌った。だから、ナターレ(クリスマス)は平和なのである。

 敵があるのなら和解しなければならない。被造物である以上、信徒クリスティアーノかそうでないとかは関係ないのである。


 その時である。ミサが始まるまでにはまだほんの少し時間があったが、驚いたことに戦場にいるはずのジュストが都の教会に現れた。

 しかも私がちょうどドン・ジョアキムと話している最中に到着した形だった。

「おや? コニージョ様。今日は高槻ではなくこちらに?」

 その声を聞いて顔を出したオルガンティーノ師の姿も見て、ジュストはさらに驚いていた。

「ウルガン様までこちらに」

「はい。少し事情がありまして」

 オルガンティーノ師はそれだけ言って笑っていた。そしてカリオン師やモレイラ師も次々に出てきてジュストとあいさつを交わした。パシオ師も何ごとかと顔を出した。

 私はすぐに、パシオ師にジュストを紹介した。

 ずっとジュストと会いたがっていたパシオ師だが、突然にその願いがかなって感激し、パシオ師はジュストとしばらく話していた。

 その合間を見て、私が気になっていたことを聞こうと口をはさんだ。

「そういえば、戦争はなんとか終結したと聞きましたが」

 私は今、ドン・ジョアキムから聞いたばかりの情報をジュストに確認した。

「はい。ただ、徳川殿との講和はまだですが、御本所様が我われと講和した以上、徳川殿には戦を続ける名目がございませんので三河へと帰って行きました」

「羽柴殿はすぐに大坂に戻られなかったのですね」

「実は羽柴様は昨日朝廷より呼ばれまして、宮中に参内しました」

 つまり、ミカドの宮殿に伺候したことになる。

「羽柴様は朝廷より正式に、権大納言ゴン・ダイナゴンの位を頂戴されました」

「へ? へえ?」

 それを聞いて驚きの声をあげたのは、ドン・ジョアキムだった。私もその官職名には聞き覚えがある。

 昔、私が初めて都に来た時に、柳原というそんな官職の貴族ノービレと会ったことがある。その時聞いた説明では、権大納言とは大臣ミニストロに次ぐ高い地位で、我が国のグランデ・コンシリエーレに相当する。

 信長殿は右大臣であったが、その一つ下の権大納言に任じられたということは、羽柴殿ももはや武士サムライ殿トノではなくなく貴族ノービレになったということだ。つまり、御本所様や徳川様との戦争も終わったということで、信長殿にあと一歩のところまで追い付いたということになろう。

「こりゃもう、羽柴様が天下人テンカビトになられることは明らかでおます」

 ドン・ジョアキムは少々興奮していた。

 それにしても、昨日も一日静かで穏やかな都だった。その一角で歴史的大きな事件が起こっていたのに、これまた全く普段着の顔をしていた都に、私は先ほどにも増してさらに巨大な町だということを痛感した。

「高山様、お蔭さまでうちのせがれも洗礼の恵みを頂きました。すべて高山様がお導き下さったおかげと聞いております。真にかたじけない」

「例には及びませぬぞ、小西殿。ご子息は今や羽柴様の配下でも抜群のお働きで、羽柴様もお気に召しておられます」

 それから三人で少し雑談をした後に、思い出したようにドン・ジョアキムが私に聞いた。

「ところで、腰を痛めてはりましたバテレンさんは?」

「ああ、すっかりよくなりましたよ」

 カリオン師がうれしそうに報告した。

「さすが道三先生や。間違いおまへんどしたやろ」

「確かに。いい先生を紹介してくださいまして、ありがとうございます」

「時に、その先生はあれから二回もこちらに来られて、キリストの教えをまる一日中聞いていかれました」

「へ?」

 モレイラ師の話に、ドン・ジョアキムは目を丸くした。

「あ、あ、あ、あの道三先生が?」

「はい」

「ちょっと待ってください。道三先生って、まさかあの曲直瀬道三先生ですか」

 ジュストも驚きを隠せずにいたようだ。ジュストにとっても道三先生の名は既知のもので、やはりそれだけ偉大な方なのだろう。

 私は手短に、今道三先生が公教要理カテキズモを聞きに教会に通っていることをジュストに告げた。ドン・ジョアキムも驚いたままだ。

「いやあこれはえらいこっです。もし洗礼を受けはるなんてことになったら、こりゃすごいこっですぜ。あの羽柴様がキリシタンになったりするのと同じくらい、いやそれ以上の影響力がありますよってな」

「たしかに、千人の受洗よりも道三先生お一人の受洗の方が影響力は遥かに大きい」

 ジュストもうれしそうだった。

 そんなやりとりを傍で聞いていて、我われはすごい人に今教えを伝えているのだなと私は感じていた。


 翌日、月曜日にはこれまで通り、オルガンティーノ師と二修道士で講義に入り、ほかの我われはまたもや道三先生が書いてきたレポルトを感嘆しつつ読んでいた。

 夕方、講義が終わった。

 またもや御聖堂おみどうで祈りを捧げた道三先生は、戻ってくるやまた突拍子もない頼みごとをした。

「三日間にわたってイルマンの方から教えをお聞きしましたが、できればそのようなキリシタンの教えを記した書物がありはしまへんやろか。それを拝見したい」

 そういわれても困る。さすがにオルガンティーノ師も小首をかしげた。

「実は、申し訳ないのですが、一応そういった書物はあることにはあります。でもみんなポルトガル語か、あるいはラテン語で書かれています。まだまだ日本語で書かれたものはないのです」

 オルガンティーノ師がそう話している間に、私はかつて今は高槻にいる神学生たちが時々使っていた図書室の本を二、三冊持ってきて、道三先生に見せた。

「今、オルガンティーノ神父パードレ・オルガンティーノが言われたように、こういった本しかないのですよ」

 道三先生はそれを手に取ってめくっていたが、自分が全く知らない文字と言語で書かれているので、少しため息をついてそれを私に返した。

「今、豊後の国で大急ぎで日本語で書かれた本を作成中ですので、しばらく待ってください」

 フィゲイレド師も申し訳なさそうに、道三先生の耳元で言った。

「いやいや、お気になさらずに。私も一刻も早く、日本語で書かれたキリシタンの教えの本を待ち望んでます。つきましては」

 次の道三先生のひと言で、教会内に一段と『天主デウス』のみ光がさした。

「私に洗礼を受けさせてくれませんやろか」

 もちろん、オルガンティーノ師は二つ返事だった。日にちは追って知らせるということでとりあえず道三先生には帰って頂いたが、問題はそこからだ。

 まず、いつを洗礼式とするかだ。

 一般的な復活徹夜祭ではあまりにも先すぎる。となるとナターレの昼のミサが適当だが、それでも一週間も先で遠すぎると感じる。道三先生をもはや信徒クリスティアーノ同然と何も知らないパシオ師は言ったが、我われにはその言葉がトラウマとなっている。

 かの信長殿の三男の三七信孝殿が、まさしくそれだった。ほとんど信徒同然と思われた彼は、洗礼を先延ばしにしている間に悪魔に入られ、洗礼を受けることもなく悲惨な最期を遂げた。

 道三先生は殿ではないから同じようなことにはならないとは思うが、羽柴殿以上に影響力もあるとドン・ジョアキムが言っていたくらいの大物だから、なんとか入信を阻止しようとする悪魔の働きが入るかもしれない。だから、早いに越したことはない。

 オルガンティーノ師も、そのように考えているようだ。

「今度の日曜日、第四主日に洗礼を授けよう」

 今年はその週の木曜日がヴィジーリア・ディ・ナターレ(クリスマス・イヴ)だから、いわば今年のナターレ(クリスマス)の幕開けの日と言っても過言ではない。

 待降節アドベントの主日に洗礼式というのはあまり聞かないが、しかし例がないわけではない。そもそも、洗礼は御復活で行い、その時以外の洗礼はしてはならないなどという決まりは一切ない。

 すぐに同宿を走らせ、次の日曜日に洗礼を授ける旨を道三先生に伝えさせた。

 そして当日、二十日の日曜日、我われはミサの前に緊張して道三の到着を待った。

 ミサの司式と道三先生への洗礼は、オルガンティーノ師が授ける。そして代父はフィゲイレド師だった。

 やがて道三先生も到着し、オルガンティーノ師の司式でミサが始まった。そのミサの中で、道三先生の洗礼式も無事行われた。道三先生は代父のベルシオール・フィゲイレド師の名前をもらい、その霊名はベルシオールとなった。以後、ベルシオール先生とお呼びすることになる。


 その翌日の昼間、昨日洗礼を受けた道三ベルシオール先生の弟子が教会を訪れてきた。

 ベルシオール先生が公教要理の講義を受けていた時に、常に同席していた先生の弟子の中の一人で、今日はベルシオール先生の使いだということだった。ベルシオール先生はキリストの教えを三日に渡って伝授頂き、洗礼まで授けてくれたお礼にと、なんと銀塊をその弟子に託してきたのだった。

 オルガンティーノ師は最初は固辞したがどうしてもということで、それは教会への献金としてありがたく頂戴することにした。そしてそのままその弟子は、未信徒ながらもナターレ(クリスマス)の前夜ミサに与って行った。あくまでベルシオール先生の名代なのだそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る