Episodio 2 再会・小西弥九郎の受洗・ゴアの惨劇(Ohzaka)

1

 ジュストの言葉だと羽柴殿はすぐにでも三河に引き返すはずのようだったが、実際は一ヵ月ほど大坂にいて、再び出陣して行ったのは八月の中旬だった。

 だが、今度はすぐに、十日ほどでまた大坂に戻ってきた。ジュストもことごとくそれに同行しているようだが、彼は羽柴殿とともに大坂に戻るときは自分の居城である高槻を素通りすることはなく、そのたびに必ず教会にも顔を出した。


 そんな八月も下旬の頃、オルガンティーノ師から我われ三司祭に大坂へと招集がかかった。留守は修道士たちに任せて、フルラネッティ師とフランチェスコ師そして私は、召集の伝令を伝えてきた同宿の少年が到着した翌日の早朝には淀川を下る船に乗り込んだ。

 なんでも今回の招集は我われだけではなく、都の教会のカリオン師、セスペデス師も同時に大坂に招集したという。

「なんだか途方もない大きな動きがあったのではないですかね」

 船の中で、フルラネッティ師が言った。

 教会や神学校セミナリヨではポルトガル人や日本人の修道士も多いのでいつもポルトガル語で会話をしているが、この三人だけの時は心置きなくイタリア語で会話ができる。やはり、かなり気が楽である。

 だがこの時ばかりはことがことだけに、私はフルラネッティ師の言葉に思わず緊張していた。そうでなくても、布教区長のオルガンティーノ師が招集をかけたということは、ただ事ではあり得ない。それだけにもうほとんど緊張でこちこちのまま船に乗っていた我われだった。

 とにかく、どんな話があるのか気になって仕方がない。

 そうしているうちにやがて川幅がぐんと広くなり、ほとんど湖のような様相を呈し始めた。そして、左手からの別の大河との合流地点の向こうの岸の高台の上に、十字架が見えてきた。

 この行き方で来れば、大坂の町に入る前に先に教会に着くことになる。

 周りには無数の帆船が相変わらずおびただしい数で停泊し、あるいは航行していた。


 天満の橋のたもとの船着き場で船から降りて、そのそばの石段を登ればすぐに教会だ。

 高台の向こうに大坂の町が広がっていることになり、一時は雑賀衆と根来衆によって焼き払われたと聞いていたが、今見る限りその爪痕もあまり見られず、町は見事に復興していた。

 そしてすぐそばに新しい城の巨大な石垣がそびえているのが見える。大坂の城は安土の城などのように山の上ではなく、ほんの少し高台になっている上に造られ、ほぼ平らな城といえた。その意味では、高槻の城と同じだ。だが、高槻の城とは比べ物にならないほどに石垣は高かった。

 まだ、天守閣のような建物は見当たらないが、そのうち着手されるだろう。

 そんな大坂の町と城を見物しながら、都から陸路で来るためまだ到着していなかったカリオン師とセスペデス師を待った。

 そこに、さらにもう二人、別の司祭が顔を出した。

 一人はヴァリニャーノ師とともに長崎からマカオに行ったモレイラ兄だった。マカオで叙階を受けて今は司祭となり、ゴメス師とともに再来日していたことは長崎からの手紙で知っていた。

 久し振りに見るモレイラ師だった。

「準管区長の命で、都布教区付になりました」

 その人事はオルガンティーノ師も初めて聞くようだったが、準管区長の命となればオルガンティーノ師も異論ははさめない。

 そしてもう一人の司祭……その顔を見て、私はあっと驚きの声をあげてしまった。

パシオ神父パードレ・パシオ!」

「おお、おお、おお、おお!」

 懐かしいパシオ師も私を見て相好を崩し、我われは軽くハグを交わした。

「なぜこちらへ?」

「つい先月、長崎から着きました。今、堺です」

 もう、思い切りイタリア語で会話をした。

「五年ぶりですね」

「もう、そうなりますか」

 私は驚いた。彼は私より年下なのに先に司祭になった、いわば年下の先輩だった。ずっとリスボンからゴアまでともに船で旅をしてきた。そしてゴアで別れたのが五年前だ。

「いやあ、ずいぶん変わったので驚きましたよ」

 あの頃はまだ彼は二十代で、青年という感じだったがすっかり大人になっていた。

「立派になった。あ、司祭としては私よりも先輩なのだから、そういう言い方は失礼かな?」

「何を言います。わたしは昨年日本に来たばかりで、この日本ではあなたの方がずっと先輩だ」

 確かに去年、ゴメス師とともに日本に来た司祭たちの名の中に、モレイラ師とともにパシオ師の名前もあった。だから私は早く会いたいと思っていたのだ。

 それが、私が長崎に行ってではなく、パシオ師の方がこのミヤコ布教区に来ることになるなど、『天主ディオ』も粋なお仕組みをなさると思った。

リッチ神父パードレ・リッチからの手紙は届きましたね?」

「あ、わざわざことづかってくれてありがとう」

「彼もルッジェーリ神父パードレ・ルッジェーリとともに、もうおととしにはチーナ大陸の方へ行きましたよ」

「すると、ともにリスボンを出航した五人のうち、今でもゴアにいるのはアクアヴィーヴァ神父パードレ・アクアヴィーヴァだけですね?」

 今のイエズス会総長の甥である。だが、その名前を聞いた途端、パシオ師の顔が曇った。

「それが、実は」

 その時、都の教会からのカリオン師たちが到着した。

「その話は、また後で」

 私は何かあると、胸騒ぎがしたものだった。

 カリオン師らがが到着したので、オルガンティーノ師は早速我われを教会の司祭館の大広間に集めた。

 エウローパ式の大きな円卓を囲む椅子に腰かけた我われを、オルガンティーノ師は見渡した。いつもの陽気な面立ちの中にほんの少し翳りが潜んでいるのを私は感じた。

「皆さん、今日は突然お集まりいただき恐縮です」

 ポルトガル語で話し始めたオルガンティーノ師の声は、いつもと同じ張りのある明るい声だった。

 まずはオルガンティーノ師によって、モレイラ師とパシオ師が一同に紹介された。私以外の司祭では、彼らと初対面という人も多いのだ。

モレイラ神父パードレ・モレイラは都の教会に行ってもらいましょう。パシオ神父パードレ・パシオには、これまで司祭不在の教会の巡回をしてもらっていましたが、このたび堺の日比屋ディオゴの邸宅内の教会に来てもらいました。これで、ディオゴの屋敷の御聖堂おみどうも、正式の教会となりました」

 オルガンティーノ師の説明に、私はあの城のような三階建ての屋敷を思い出していた。ヴァリニャーノ師とともに初めて堺に着いた時に招かれたあの屋敷だ。

 熱心な信徒クリスティアーノである堺の大商人の日比屋ディオゴは、自分の屋敷のひと部屋を聖堂としていた。そこで枝の主日のミサを行ったのを覚えている。

 だが聖職者が常駐するか、近隣の教会から司祭が巡回するかしない限り、ご聖体を安置できないので正式の御聖堂おみどうとはいえなかった。

 これで晴れてディオゴの屋敷の一部が、正式の御聖堂おみどうとなったのである。パシオ師はそのディオゴの屋敷に一室をもらって住んでいるとのことであった。

パシオ神父パードレ・パシオはまだ長崎から来たばかりなので、あとでシモの布教区の方の話をしていただきたいと存じます」

 オルガンティーノ師は、その後で少し言葉のトーンを落とした。

「悲しいお知らせです。マカオの前の司教様が、実は昨年八月に天に召されておりました」

「え?」

 私は目をあげた。

「前の司教様って?」

「カルネイロ司教様です」

「ああ」

 私がマカオ滞在中に、非常にお世話になった方だ。そしてカリオン師を見た。カリオン師も驚いていた。なにしろ私とカリオン師の司祭叙階をしてくださった司教様なのだ。背はお小さく丸顔で、ほとんど頭髪がない状態の老人だったが、気さくな方だった。前の司教様ということは、すでに司教を退任されたのだろう。

「帰天されたのはいつですか」

 パシオ師も知らなかったようで、驚いている。

「去年の八月十九日だそうです」

「ああ、やはり私がマカオを発ったすぐ後ですね。もうほとんど寝たきりで、そろそろ危ないという状況でしたから」

「まあ、次の司教様のフェルナンデス司教様がすでにゴアから到着しておられるとのことですから、司教座の方は大丈夫ですがね」

 それから、皆でカルネイロ前司教様のため位に黙とうを捧げた。

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