Episodio 4 高槻のセミナリヨ(Tkatsuki)
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それから急に、秋は深まっていったような気がした。
連日晴天が続き、都の周りの山々も赤く色づき始めた。教会の三階のオルガンティーノ師の部屋の窓からは、その様子が手に取るように見える。
そんな頃に高槻の教会のフルラネッティ師から来た手紙では、いよいよ高槻の
そしてその日はあっという間にやってきた。
それまでに、いつも逐次情報をもたらしてくれていたドン・ジョアキムのその情報によると、どうも世間では三七殿と羽柴筑前殿との対立がますます激化したようだ。
清洲で会議を開いた長老のうち、柴田殿を除くあとの二人、つまり丹羽殿と池田殿はすべて羽柴殿の側についてしまったという。だが、越前に帰った柴田殿もその家来の前田又佐殿という殿を羽柴殿のもとに遣わして、なんとか和解が成立したらしいとのことであった。
我われは一応胸をなでおろした。我われの祈りが『
羽柴殿にあれだけ怒りの炎を燃やしていた三七殿が、柴田殿と羽柴殿が和解したからとてあの炎を消すだろうかということだ。それどころか、逆方向へ向かいそうな情報もあった。
羽柴殿の陣営は、どうも三七殿の兄の茶筅殿、今は
織田家当主である三法師殿は、御本所殿と三七殿が共同で後見ということになっていたから、兄が羽柴側についてしまったら三七殿としてはかなり不利になる。
そんな気がかりもあったが、待降節に入る前の週、つまり最後の年間主日の翌日の二十六日の月曜日には、いよいよ私はこの都の教会で狭い思いをしていた
また、
学生たちの引率は私とシモン・アルメイダ兄、そして日本人修道士のヴィセンテ兄の三人だった。二人の修道士とも安土からずっと学生たちの指導に当たってきた人たちで、このまま高槻の
他にはかつて長崎からた来たジェロニモ・ヴァス兄や今回私とともに有馬から来たバリオス兄が強力な
近隣の住民に目立たないようにと、早朝に我われは出発した。早朝ともなると少し寒さを覚える季節になっている。安土にいた時の学生三十人ほどは、そのまま都の教会を後にした。四条通りまで見送りに出たオルガンティーノ師やカリオン師にエウローパ式に手を振りながら、我われはまずは道を西へと向かった。
そして川沿いに南下すれば約五時間くらいで高槻には着く。かなり早朝に出発したので、大勢でのんびり歩いても昼過ぎには目指す高槻の城が見えてきた。
高槻の城は山の上ではなく平坦な土地にある。しかも大きな天守閣もないので、見えたといっても堀と塀と櫓が見えたくらいだ。
船で川から上陸した時とは違って街道からだと北側から城に入ることになる。そうなると、北の城門を入ってほど近い所に教会と新しい
この大人数でぞろぞろと街道を歩いてきただけに我われの到着はすでに教会に知らされており、教会前の大きな十字架のそばには大勢の信徒が出迎えてくれていた。
どの学生の顔にも、喜びがあふれていた。
「周りが山に囲まれてへんいうんは、なんとも開放感があるなあ」
そんなことを満願の笑みで言っていた学生もいた。
「うわあ、大きい!」
新しい
迎えに出たフルラネッティ師も笑顔で嬉しそうで、
「あさって、開校式をしましょう」
と言っていた。なぜあさってなのかと思っていたが、
「まず明日は、殿であるジュストにご挨拶でしょう」
と言われ、なるほどそうかと思った。
翌日、フルラネッティ師とフランチェスコ師および私と、今度あらためて高槻に来たアルメイダ兄やヴァス兄、ヴィセンテ兄で城に上がり、殿であるジュストに面会することを私は想像していた。
ところがその会見を申し入れた時、ジュストの方からの返事は、今度来た神学生約三十人全員を連れてきてほしいとのことだった。
学生たちは、皆緊張で身を固くした。安土にいた時も、安土の城で信長殿に謁見などということは全くなかった彼らである。ただ、安土の信長殿と違ってここの殿は熱心な
かつて都の教会の集会室に彼らが押し込められていた時、その部屋でジュストと我われは話をしていたこともある。だからその時にジュストの顔くらいは見たことがある者も多いはずだ。
だが、その時点で国元に帰っていた学生たちの場合は、ジュストと会うのは初めてのはずである。
我われとの対面の時は、三七殿もそうであったが、ジュストも自分が下座に座り我われ聖職者を上座に据えてくれた。だが今日は学生たちもいるので、城の
やがて
学生たちは一斉に畳の上に上半身を折って平伏した。
「ああ、ああ、ああ、ああ」
慌てたのはむしろジュストの方であった。
「みんな顔を挙げて」
そして立ったまま、
「今日は良く来られた。あなた方の顔を見ることができて、私はとてもうれしい」
と、ポルトガル語で言った。
学生ったちは驚きの声を挙げた。学生の中でもポルトガル語が分かる者は多い。全員が流暢に話し、聞けるわけではないが、かなりの割合のものが少なくとも少しはポルトガル語をかじってはいる。
さらには、これはもう全員といってもよいがローマ字は身につけていて、日本語をローマ字で書いたり読んだりすることは完璧にできるはずだ。
「都からはるばる、疲れたでしょう?」
「いえ、一晩寝れば元気になりました」
学生の中でもひときわ聡明なパウロがポルトガル語で答えたので、ジュストも満足げに笑顔でうなずいて学生たちのそばに歩み寄った。そして整列している彼らの真ん中に入った。自然と学生たちはジュストの方を向き直して、彼を囲む形となった。その真ん中に、ジュストはやっと腰を下ろした。つまり、学生の輪に囲まれている状態だ。
「さあ、みんな、畏まらなくてもよい。その元気な顔を見せておくれ」
言われたように顔を挙げたその学生一人一人を、ジュストは笑顔で見渡していた。
「やはり日本語で話そう。さすがにずっとポルトガル語では、私も疲れる」
そう言ってジュストが笑うので、学生たちもやっと緊張がほぐれてともに笑った。
それからかなり長い時間、ジュストは学生たちと問答をしていた。国はどこなのか、両親はどういう人かなどから始まって、キリスト教の郷里にまで話は及んだ。さらにはイエズス様との出会いや、日ごろ思っていること那うまく話を聞きだしていた。
そのうち、一人の少年は涙ぐみ始めた。
「ここで一緒に学んでいる人は、殿様の子やおさむらいの家の人が多いけど、我が家は百姓だ。戦の時だけ鎧を着て戦うけど、いつもは田んぼを耕してる。それなのに、誰も私を
もう、ほとんど嗚咽に近かった。
「主のみ前では殿も百姓もない。『
優しく、ジュストは言う。
「ここでの暮らしが始まるのだけど、私のことを殿様とかではなく、あなた方の父親だと思ってくれ。今日からは、みんなかわいい私の息子だ」
そうなると、涙にむせび始めたのだ一人ではなくなった。
ジュストはすくっと立ち上がった。
「ご足労かけたけれど、今から私があなた方の
それから全員で外に出た。学生たちが領主である殿を囲んで談笑しながら道を歩くなど、この国のほかの町では絶対にあり得ないことだろうと思う。いや、エウローパでさえあり得ない。それは実に不思議な光景だった。
本丸の門を出て教会まではほんの二、三分だ。教会も城の敷地内にあるのである。
新築の香りする
「いやあ、学生たちがうらやましい。私もここに入学してともに学んでもいいだろうか」
そんなことを言うので、案内していたフルラネッティ師も笑っていた。
「とんでもございません。殿にはぜひ我われとともに教壇に立ち、むしろ学生たちを教えてもらいたいものです」
それを聞いてのジュストの笑い声が、
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