Episodio 4 神宮寺焼き討ち(Nagasaki)
1
次の事件は翌月曜日の夜に起こった。
夕食も終え、聖務日課の
もう暗くなった町の方も、なんだか活気が出てきている。廊下を歩きながらふと外を見ると、月のない夜ではあったが高台の司祭館の窓から見える町ではあちこちで
だが不思議なことに、その松明は一体の行列となって堀の向こうへと静かに移動して行っていた。私は何か日本独特の行事でもあるのだろうと気にもとめず、部屋に戻った。
それから一時間くらいだっただろうか、
「山の麓が火事です!」
という同宿の叫びに外へ出てみると、すでにヴァリニャーノ師をはじめほかの司祭たちも皆廊下に出て、町の方を眺めていた。
遠くの高い山の麓がたしかに燃えている。しかも炎の柱がしっかりと立っているのが見え、その炎に照らされてさらに上天まで黒煙が上がっているのもしっかりと見えた。しかも火は一つの建物ではなく、かなり広範囲が燃えているように遠目でも分かった。しかも、木材の燃える臭いが強烈に漂ってくる。
「あの距離なら、この町に飛び火することはないだろう」
と、ヴァリニャーノ師は落ち着いて眺めていた。たしかに燃えているのは遠くの山の麓で、そこから長崎の町までの間には田畑が広がっているだけでほとんど建物も森もないので、火がこの町に燃え移ることはなさそうだった。
だから、自然と鎮火するのを待つしかない。だが、田畑が広がる地域なのにあれだけ燃えているということは……しかも、あの方角のあの位置といえば……私だけでなく、誰もがそのこと気付いたようだ。
「
ヴァリニャーノ師はそう言って、自分は先に広間へと向かっていた。庭の方も何ごとかと様子を見ているポルトガル商館員の人たちであふれ、誰もが遠くの、そのおそらく現場は地獄であろうその情景を凝視していたが、ヴァリニャーノ師と同様にここには燃え広がらないであろうという安心感からか皆落ち着いていた。
広間の中にまで、木材の燃える臭いは入りこんできていた。そこに集まった面々を見渡してからヴァリニャーノ師が、
「おや?
と、聞いた。たしかにコエリョ師がいない。
「先ほど、食事の後にカピタン・イグナシオ・デ・リーマと共に出かけました」
と、一人の修道士が言った。
「カピタンと?」
「はい。もう一人商館員がいましたけれど、あの人は日本語がペラペラの人ですから多分通訳でしょう」
ヴァリニャーノ師の顔が曇った。通訳も連れていたということは、だれか日本人に会いにいっているはずだ。
「司祭が外出の時は必ず複数の司祭かもしくは修道士を連れてということになったのだが」
そこまで言ってから、ヴァリニャーノ師は言葉を止め静かに首を横に数回振った。その規定はヴァリニャーノ師が豊後に於いて言い渡したことであって、こちらの司祭にはまだヴァリニャーノ師自身が伝えてなかったのだろう。そのことに、気がついたようだ。
恐らくはもうすぐ始まる協議会で伝えるつもりだったようだ。
「ま、それはいいにして、あの火事ですが」
「神宮寺ですね」
と、サンチェス師が言って、皆うなずいた。
「これはどういうことでしょう?」
ヴァリニャーノ師が言うので、私は恐るおそる手を挙げた。
「先ほど多くの松明が、町から出ていくを見ましたが」
少し首をかしげて考えてから、
「まあ、それはあまり関係ないのでは?」
と、ヴァリニャーノ師は言った。
「それよりも、今この時点で、つまり名実ともにこの長崎の町が我がイエズス会の知行地として確立したこの矢先に、いちばん近い悪魔崇拝の
「『
ミゲル・ヴァス師の言葉に皆同調し、
「そうでうな。『
と、メシア師をはじめ皆口々に言った。
「ただ、たしかあの寺の近くには町がありましたね。異教徒の町ですが、もしかしたら飛び火して家を焼かれた人もいるかもしれません。我われはイエズス様の精神にならってそういった隣人にも御大切の手を差し伸べなければなりませんから、明日から救済に向かいましょう。皆さん、ご異存は?」
「では
私は了解した。その時に
「どこへ行っていたのですか?」
咎めるようにヴァリニャーノ師が言っても、コエリョ師はうすら笑いを浮かべているだけだった。そしてそのまま座った。
「悪魔崇拝の寺院が燃えています」
コエリョ師はそれだけ、ぽつんと言った。
「それで、我われは集まっているのですよ」
ヴァリニャーノ師の言葉にコエリョ師は黙ってうなずいた。それからすぐに口を開いた。
「これで、この長崎の町も、その周辺も異教徒の力は弱くなるでしょう。ただ、ご存じのようにこの長崎には他のあちこちの土地からどんどん人びとが流れ込んできていて人口は増えるばかりだ。その大部分は
「ちょっと待ってください。今回の異教徒一掃とは?」
ヴァリニャーノ師に突っ込まれて一瞬躊躇したコエリョ師だったがすぐに居を正し、
「悪魔崇拝の寺院が燃えたことで、異教徒の力も弱まったということですよ。とにかく、今後は町の外でも我われが領する田畑の近辺の住民もすべて洗礼を受けてもらい、拒否したら退去というところまで持って行った方がいいでしょうね」
と、さらりと言った。
「信仰というものは」
口をはさんだのはメシア師だった。
「強制されて根付くものではないでしょう。まずはその人が心からキリストと出会わなければ、信仰というものは生まれない」
「高槻の
そう言ったヴァリニャーノ師に、コエリョ師は冷ややかな目を向けた。
「それはあなたがそう聞いているだけのことであって、実際はどうだったのかは分かりませんよ。私はそのジュストという殿には会ったことはありませんから、どういう人かは分かりませんがね」
「強制退去と言っても、簡単には応じないでしょう」
と、ミゲル・ヴァス師も口をはさんだ。少しだけコエリョ師の口元が笑った。
「この間の土曜日の
「
ヴァリニャーノ師は何か言いかけたが、コエリョ師は強引に話し続けた。
「私はずっとここの
ヴァリニャーノ師は微かに不快の顔つきをした。
やはり、この司祭を総布教長にというのはヴァリニャーノ師の本意ではないことは明白だ。本当はオルガンティーノ師に切実に引き受けてもらいたかったのだろうけれど、オルガンティーノ師からはああも露骨に辞退されては、他に人材がいないのでやむなくということなのだろう。
ただ、コエリョ師の言葉は自分が総布教長になるという内容にはひと言も触れていないので、おそらく彼はまだ自分の身に予定されている人事を知らないらしい。
これほどずっと一緒にいながらヴァリニャーノ師はそれをいつまでも彼に告げないでいるということは、よほどヴァリニャーノ師にとって不本意な人選ということなのだろうと私は推測していた。
ところが、
「分かった。そうしよう」
と、意外にもあっさりとヴァリニャーノ師は言い、時間的にも
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