3

 上陸したヴァリニャーノ師は上機嫌だった。だが、積み荷を降ろしている間にも噂は広がって、多くの信徒たちクリスティアーニが港に群がり、歓声を上げ始めた。

 全員が上陸すると、ヴァリニャーノ師はともに船で戻った司祭も残留した司祭も、そして修道士もすべての聖職者を集め、

 「これから、荘厳な行進を行って教会に入ります。聖歌を歌う準備をしてください」

 と、歌うべき聖歌を支持した。

 「そして集まった信徒クリスタンの皆さんも一緒に行進に参加するよう、呼びかけてください」

 と、言った。

 そうして、港から教会まで、距離にして短い道のりではあったが前に教会の御聖堂から持ち出した祭壇の木彫りのキリストの絵を掲げ持つ修道士を先頭にすぐにヴァリニャーノ師が続き、そのあとにコエリョ師、そして私を含むその他の司祭、修道士の順で、その後ろを一般市民の信徒クリスティアーニが続く形だった。

 信徒たちクリスティアーニはラテン語で高らかに聖歌を歌いあげ、厳かな中で行進は続いた。沿道にはいまだ異教徒のままの一部の市民や日本全国から南蛮貿易のためにやってきた商人たちでひしめき合い、その中にはポルトガルの商人たちの姿もあった。

 ポルトガル商人の中でも信仰熱心な人は、一緒に行進に加わっていた。

 やがて坂を上って教会の門をくぐり、御聖堂前の広場に一同は群がって止まった。

 そのまま大衆は待機させ、司祭団は御聖堂に入り、キリストの木彫りの絵をもとの位置に掲げると祭壇の上の装飾も原状を回復した。そして、ヴァリニャーノ師は聖堂内を見渡した。そこは信徒たちクリスティアーニの手によって見事にリノヴァメント(リフォーム)され、畳も新しくなっていい香りを放っていた。

 私はこれまで畳は薄茶色だとばかり思っていたが、本当の新しい畳は緑色なのだということを初めて知った。時がたてば自然に茶色になるようだ。障子もすべて張り替えられて、むしろ従来よりも新築家屋のようなたたずまいを見せていた。

 ヴァリニャーノ師は満足そうにうなずいてから、再度我われは大衆の待つ表の広場に出た。

 そこには死んだ深江様以外の頭人中のメンブロ(メンバー)全員がおり、さらに長崎の町の信徒クリスティアーニの市民、そしてカピタン・モールのイグナシオ・デ・リーマをはじめとするポルトガル商館の商館員たちの姿もあった。

「皆さんにお話があります」

 ヴァリニャーノ師が声を張り上げ、それをサンチェス師が通訳した。

「先日、非常に悲しい出来事が起こり、私たちの教会の聖堂が血で汚されました。それはあってはならないことです。ここで皆さんと共に、もう一度教会の聖堂の神聖さについて考えてみましょう。そもそも教会というのは単なる建物ではありません。それは一つの共同体であり、我われキリスト者が主イエズス・キリストとつながる一致の場でもあります。その意味で、教会はキリストのからだともいえます。それは聖パウロがその当時の信徒クリスタンたちに宛てた手紙の中で盛んに述べています。そしてそのからだにとってかしらはキリストご自身なのです。例えばエペソ人への手紙では『天主デウス』は『キリストをよろずのものの上にかしらとして教会に与えたまへり。この教会はキリストのからだにしてよろずの物をもてよろずの物を満たしたまふ物の満つる所なり』と聖パウロは書いています。そのかしらであるキリストとつながるからだであり、聖霊の神殿でもある教会は決して汚されてはならないもの、その尊厳が守られなくてはならないものなのです。そこで、信徒クリスタンの皆さん」

 ヴァリニャーノ師はそこに集まっている信徒クリスティアーニの人びとを見渡し、それから次に、

「この長崎の町を昔から預かって来られた頭人中トーニンチューの皆さん」

 と言って、頭人中の人びとを見渡した。

「今、両者の方々はこのきよく尊い教会の聖堂の前の聖なる広場に共に会しておりますが、ここで両者ともども多くの方々が見守る中で、我われ教会との誓約を交わしてもらいたいと存じます」

 これからこの教会の領地である長崎の長であり「殿」ともいえるヴァリニャーノ師からどのような制約の内容を言い渡されるのか、だれもが息をのんで静寂の中でヴァリニャーノ師の次の言葉を待った。

「まずは、先ほどお話したことを踏まえて、教会、とりわけ聖堂はキリストの体としての尊厳をもつ神聖な場所であり、尊崇されるべき場所であることを再確認願いたい。これは信徒クリスタンの皆さんはもとより、この町を預かってこれまで治めてきた頭人中の方々もです」

「意義なかとです」

 頭中人の一人が大きな声で言った。彼は武士サムライではなく豪商のようで、中年の恰幅のいい男だった。

「そんで、実は我われでも話し合ったことですばってん、我われ頭人の全員がキリシタンの洗礼ば受けようっちゅうこつになったとです」

「おお」

 ヴァリニャーノ師は満面の笑みを見せ、信徒クリスティアーニの間からも喝采が起こった。

「やはりすべて『天主デウス様』のみ旨ですね」

 本当にヴァリニャーノ師は満足そうだった。そしてさらに話を続けた。

「次に、二度と今回のような事件が起こらないために、もし聖堂の中に逃げ込んだ者がいたとしたら、その人の自由と権利が保障されなければならないのです」

「それなら仏教の寺院でもそぎゃんこつなっとりますばってん、南蛮寺も同じっちゅうこつですな」

 頭人の一人が言うのを聞いて、私も驚いた。仏教のテラにも、我われの教会と同じようなディリット・ディ・アジーロ(アジール権)がすでにあるということになる。ヴァリニャーノ師の笑顔がさらに輝きを増した。

「その通りです。どんな罪びとでも『天主デウス様』の前では平等です。その罪びとが教会の庇護を願って訪れたのなら、教会はそれを護ります」

 つまり、教会は世俗の法律は入りこめない聖域なのである。この国の人びとも仏教の寺をそう考えていたのなら、話は早い。それと同じですと言えば、たちまち理解するだろう。

「そして最後に、この長崎の町の皆さんは今回の事件のようなことがさらに起こらないように、暴力をふるまうものには皆さん方が楯となり、教会や我われ司祭を護ってもらわねばなりません」

 これにも、人びとは喝采を挙げた。

「教会だけでなく、長崎の町の皆さんの土地と財産も保護されなければなりません。この長崎では今後、例えば今回のような復讐という名目の仇討ち《アダウチ》を含め、一切の私的な暴力や武力の行使はすべて禁じられます。つまり、この秩序が乱れている今のこの国の今の時代、つまり乱世ランセの中にあってこの教会と教会領内は絶対的に平和であることを宣言し、また皆さんはそのことをここで誓っていただきます」

 これにも喝采が上がった。

「ただし、この平和を脅かす者には、それがいかなる存在であろうとも、あなた方で戦って平和を護らねばなりません。そのため、市民の皆さんの十五歳以上の男性はそういった有事に備えて組織化して、いつでも招集がかかれば集まれるようにしてください」

 これも人びとには抵抗はなかったようだ。どんな殿の領地の民であっても、その殿が他の殿と戦争をするということになれば兵士として駆り出されるのはその殿の治める町の市民や周りの農民たちで、だから彼らはそういうことには慣れているようだ。

 その流れを聞きながら、私はなんとも不思議な感覚だった。今目の前で繰り広げられているやり取りは、まるで昔フランスで盛んだった「教会会議」にて教会の権限で一切の暴力を禁じたあの『天主の平和パックス・デイ』運動に他ならない。

 今やエウローパではどの国でも王権が強くなってこの運動は下火になっているが、それを地球の裏側のこの国で、今の時代に実現させてしまうヴァリニャーノ師はやはり敏腕であると実感した。

「それでは皆さん」

 ヴァリニャーノ師は一歩前へ出て、広場をまるく取り囲んでいる人びとの輪の中にたった。

「今回の事件も『天主デウス様』がこの町の皆さんを一つに結び付けてくれたお仕組みと、感謝しましょう。一見悪に見える出来事も、すべて『天主デウス様』がなされたみわざ、すべてがよくなるための変化あるのみ。ですからものごとの善悪を人知で判断してはいけません。さあ、信徒クリスタンの代表の方、そして頭人中の代表の方、どうぞこちらへ」

 ヴァリニャーノ師は、自分の前を示した。二人の男が、すぐにそこに向かい合って立っていた。

「お互いに右手を出して。それを握り合ってください」

 この国の人にとっては馴染みのない仕草をさせられ二人とも照れていたし、その動作はぎこちなかった。人びとの間からは、また喝采が上がった。

「ここに、この長崎の町に誓約共同体コムナが誕生しました。『天主デウス様』も大変お喜びでいらっしゃいます」

 私はその誓約共同体コムナ(コムーネ《(コミューン)》)という言葉を聞き、むしろこれは大村殿ドン・バルトロメウから土地の寄進を受けて長崎がイエズス会領になったとはいえ町の自治は従来通りの頭人中が行っていたという二重支配にペリオド(ピリオド)を打ち、名実ともにイエズス会がこの領地の「殿トノ」になった瞬間ではないかという気がしていた。

 

 その日の夜、頭人中の人びとと、これまでほとんどの住民が信徒クリスティアーノであった長崎の町で数少ない異教徒である人びとが全員教会に集まり、公教要理カテキズモの講義を受けた。

 全員が同じ場所で講義を受けるには人数が多すぎたので三つの大きな部屋に分け、私とサンチェス師、ミゲル・ヴァス師の三人で分けて講義は行われた。本来ならもっと時間をかけて行うべきだが、ヴァリニャーノ師はとにかく急いでいた。


 その翌日の日曜日、聖務禁止が解けた聖堂にて主日のミサが執り行われた。二週間ぶりに聖堂の鐘が打ち鳴らされた。

 その日はよく晴れていた。秋も深まった青空を背に、今高らかに長崎の鐘は鳴る。その鐘の響きが長崎にようやく戻ってきたのだ。そしてそのミサの中で、頭人中、さらにはこれまで異教徒だった人びとの会衆の洗礼が執り行われた。

 こうして、長崎の住民のほぼ全員が信徒クリスティアーノになったのである。

 だが、あくまで「ほぼ」なのは、まだ難しい人びとが長崎には一部いる。

 教会は高台になっているので、海と反対側の陸地はそびえる山の麓までよく見渡せる。

 その山の麓に大屋根を並べているテラがある。私が最初に長崎に来た時に、教会のこんなすぐそばに悪魔崇拝の場所があるとレオン師が言っていたあの寺だ。神宮寺ジングージというその寺は規模もかなり大きいが、その近辺に長崎の岬の上の六丁町とは別の集落が形成されていて、長崎の中に別の町があるという様相を呈していた。

 その町の住民は皆神宮寺の檀家で、日本語ではそのような町を寺のポルタ(モン)の前の町という意味で門前町モンゼンマチというそうだが、当然そこの住民はまだ異教徒のままで洗礼を受けには来ていない。

 イエズス会が領有しているのは先端にこの教会がある長い岬の上、つまり付け根の部分の堀と石垣のこちら側の六つの町、総称して六丁町という部分と、堀の向こうに広がる田畑であった。神宮寺の門前町は町としてはイエズス会の所領の外ではあるが、イエズス会が領有する田畑の真ん中にある。だから、イエズス会の所領とも言えなくはないのだ。ましてやもう一つの山の教会からは目と鼻の先である。

 そのようなところに、多くのイエズス会士の意識でいえば悪魔崇拝の場所があるというのはどうにも不都合だと、誰もが考えているようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る