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 そして夕食もそこそこにジアンを待っていると、かなり暗くなってからジアンは迎えに来た。私とトスカネロ兄は共に外に出た。

 もうかなり涼しくはなっているが、夜でもまだ寒いというほどにはなっていない。ちょうどあと少しで満月だというくらいの月が煌々と照らしていたので、ジアンの持つ提灯チョーチン一つで不自由なく道を歩けた。

 道は海沿いに続いており、視界は開けている。港のある集落を出てからは海岸は砂浜になっているようだった。海を右に十五分ほど歩き、川を橋で渡るとまた集落があった。

 やがて一軒の門のある小さな屋敷に着き、庭の方から縁側の中の部屋に向かってジアンは、

「おっかあ! ばさぁ! バテレン様を連れて来たど」

 と声をかけた。だがすぐに大きなしわがれた声で、

「会わんと言ったら会わん。そげな人たちの話なんか聞かんど」

 と返事が返ってきた。                         「こんばんは」

 と、私が声をかけてみた。すぐには返事はなかった。しばらくしてから小さな声で、

「あれま、日本語をしゃべるのかね」

 と、小さな声が聞こえて来た。

「おばあさんはおいくつですか?」

 と、私はジアンに聞いた。

「もう、八十は過ぎとります」

 そうなるとかなりのご高齢だ。

「今すぐどうこうということではありません。今すぐキリシタンになってくださいなどとは言いません。ただ、話を聞いてもらいたいだけなのです」

 中へ向かってそう言ってから私は、日本語がよく分からないトスカネロ兄に、

「だいぶ頑固ですね。でも、『天主ディオ』の素晴らしい教えをちょっとでも聞いてくれたら、それで魂が感化されて真理に目覚めてくれると思うのですが」

 とイタリア語で言った。業を煮やしたジアンが縁側に上がり、閉まっていた障子を開けた。

「ひええ」

 と声をあげて、老婆ともう一人の女、これがジアンの母だろう、は布団をかぶって部屋の隅に逃げた。

「もう、ここから大きな声でお話しになったらどうですか」

 と、トスカネロ兄は言ってくれた。

「では、そのままでいいですから、聞いてください」

「聞かん!」

 と、布団の中の声は言った。

「我われの信じる『天主デウス』という方は、この大空と大地と、そこに芽吹く草々や動物、そして我われ人類すべてお創りになってくださった創造主なのです。すべて『天主デウス』のみ手によらないものはこの世には何もありません」

 返事はなかった。そこで私は続けた。

「ですから、『天主デウス』を信じてそれにすがれば人は幸せになりますし、死んでからも天国ハライソに行かれるのです」

 私は実は、この国の神や仏がもたらすと彼ら異教徒が信じているいわゆるご利益ゴリヤクというものを前面に押し出したような話はあまりしたくなかったが、この場合仕方がない。

「何を言うだ」

 やっと返事が返ってきた。

「人は死んでも阿弥陀様アミダ・サマにすがれば西のほいある極楽き往生でくっ。あんたがたの話など必要ないわいなあ。あてや、もう四十年よんじゅねん以上もめにっめにっ朝起きたらいっきちんたか水を全身に浴びて、阿弥陀様におすがりすう行をしておるんじゃ。今さら異国の神か仏か知たんが、そげなもんの話を聞いて四十年よんじゅねんも積んできた功徳がねごっなってしもたら、そいほどあったらしこちゃあうかい」

 はっきり言って、私は老婆が何を言っているのかほとんど聞き取れなかった。年寄りの言葉であるのに加えて、初めて聞くこの土地の訛りがきつくて理解できずにいた。

「まあ、阿弥陀仏を信仰していれば、死んでも極楽往生でくっちゅうことです。祖母うんぼ四十年間毎朝めあさ全身に冷水をかぶる苦行をしっきたとのことで、ここでキリシタンの話をたらそん四十年の苦行の功徳が無駄になっとています」

 ジアンの言葉もなまってはいるが、気を使ってわざと我われが分かるように言ってくれていた。そのジアンが、自分の祖母の何が何だかわけのわからない言葉を通訳してくれた。

 同じ日本語なのに通訳が必要だということも奇妙ではあったが、私たちの国でも似たような状況はないこともない。そもそもイタリア語もイスパニア語もポルトガル語も、すべてラテン語の方言なのだ。

 私はジアンが伝えてくれたその祖母の言葉に、我われが行う鞭打ちの苦行のような行をこの老婆はしているのだと感じた。それは無駄にはならないし、ましてやキリシタンになったから無駄になるということもないように私は感じた。

「おばあさん、あなたの気持ちは分かります。でも、私たちの話を聞いたからとて、あなたの功徳はなくなりませんよ」

 答えはない。なかなかの頑固である。

「もう帰れ。あて寝っど!」

 それからも長い時間、沈黙が漂った。

「今日はだめなあ。また明日いらっしゃっていただけもすか。祖母を説得すうにな長い時間がかかいそうです」

 ジアンは落胆するであろうことは分かっていたが、言わないわけにもいかないので、私はゆっくりと言った。

「先ほど、我われの長のバテレンが申しました通り、あしたの朝には私たちは船出してこの港から去るのですが」

「ああ、そげでしたな」

 案の定、ジアンはほとんど泣き出しそうな顔になった。

「そげん…。お願いござんで。もう一日でん二日でん、いっとっこん港にいてくいやんせ。そして時間をかけて祖母を説得してもれたかです」

「私が決めることができるのならそうしますが、船の日程は船頭さんと私たちの長が決めることですので私は口出しできません」

「ではもう、祖母や母はあきらめろとおっしゃうですか」

「いいえ」

 私もジアンも縁側に腰をかけた。そして落胆し続けるジアンを見ると本当に気の毒だった。

「私たちが去った後でもあきらめないでください。福音宣教というのは、まずは断られます。その、断られた時から、福音宣教は始まるのです。私たちが来たのは、種をまくためです。イエズス様のたとえ話にこんな話があります。私の国ではセナペといいますがラテン語ではシナピスという植物の種はもう本当に粒のように小さい。それが食物に辛い味をつける味付けとなりますが、この国でいうカラシに似たものです。そのシナピスの種は本当に小さい粒なのに、それが畑にまかれればやがて芽を出して茎をのばし、植物として生い茂ります。それが『天主デウス様』のなせるわざです。ふっと吹けば飛んでしまうよく見ないと目にも見えないほどの小さな種の中に将来大きい植物なる元がすべて入っている。そして『天主デウス様』が創造されたものは時間と共に生長するのです。今日、私があなたのお婆様とお母様に少しでも話をしたことは本当に小さなシナピスの種ですが、やがて時が来れば芽が出て大きくなって実を結ぶはずです」

「時が来ればって、いつですか。祖母はもう八十過ぎござんで。もうそれほど長く生きておらんでしょう」

「それは『天主デウス様』でないと分かりません。すべては『天主デウス様』にお考えがあります。ふさわしい時があるということです。今はまだ時ではないと『天主デウス様』がお考えになればまだ芽は出ません。人の寿命というものもすべて『天主デウス様』がお決めになることです。あちこちで遊んでいる小さなすずめは我われにとっては取るに足りない小さな存在ですけれど、そんなすずめでさえ『天主デウス様』がお許しにならないと空から落ちることはないとイエズス様は言われています。だから、すべて『天主デウス様』を信頼し、『天主デウス様』にお任せする、任せきる、これが信仰の極意です」

「では、全部『天主デウス様』がなさってくださうのを、待っていればよかちゅうのなあ」

「いやあ、それは」

 私はちょっと首をかしげた。

「『天主デウス様』におまかせするというのと、『天主デウス様』がなんとかしてくださるというのは紙一重で、実は正反対ですね。『天主デウス様』を信頼申し上げてお任せ致しますという想念の人を『天主デウス様』はかわいがりますが、『天主デウス様』がなんとかしてくださるという考えは『天主デウス様』がいちばんお嫌いになる考え方なのです」

「つまいのはて棚ぼたタナボタはなかちゅうことですね」

「タナボタ?」

タナに向かって口を開けていても牡丹餅ボタモチは口の中に落ちてこんってこっです」

「おもしろいたとえですね」

 私が少し笑うと、やっとジアンも緊張が解けたのかその顔が和らいだ。

「しかし、何もしないと芽は出ません。種はまかないと芽は出ません」

「人事を尽くして天命を待つちゅうこっですかね」

「それはつまり最善を行えば『天主デウス様』も最善を尽くしてくださるということですね。ただ、種をまくにしても時期があるように、まき方もあります。イエズス様はまた、こんな話もされました。ある人が種をまいたけれど、ある種は道端に、ある種は岩地に、ある種は茨の中に、そしてある種はよく耕された畑に落ちたということです。それで道端の種は鳥が食べてしまい、岩地の種は根が浅くてよく育たず、茨の中の種は芽は育ったけれど茨に邪魔されて伸びず、畑にまかれた種だけがよく生長して実を結んだということでした。イエズス様はこれが何を表すのかと弟子たちに問いかけました。あなたは意味することが分かりますか?」

 ジアンは少し首をかしげた。

「そいゃたしかに種が落ちた所がそげな所ほいならったら、それぞれ当然の結果でしょうが」

「でも深い意味までは弟子たちは分からなかったのでイエズス様に尋ねたのです。イエズス様は言われました。道端に落ちた種とは『天主デウス様』の教えを聞いただけで聞き流していた人で、世俗のことが教えを消してしまいます。岩場の種とは教えを受け入れはしたけれど深く根を張っていないので迫害を受けたらすぐに教えを捨ててしまう人、茨の種とは欲望や誘惑にがんじがらめになって信仰を育てられない人のことです。だから十分に時間をかけて畑を耕すように焦らずに、種をまいた後に芽が生長する下地を作ってからにしてください」

 私がジアンに言ってあげられることは、この時はこれくらいだった。背後の部屋の中はもう明かりも消されて暗くなっており、ジアンの祖母の母ももう本当に眠ってしまったようだった。

「あとは私は、あなたのおばあさんとお母様のために祈ってあげることくらいしかできないのが心苦しいのですが、今日はこれで帰ります」

 ジアンは私たち二人が海沿いの道に出るまで案内してくれて、その道で我われが見えなくなるまでずっと頭を下げて見送ってくれていた。


 宿に戻ってから事の次第をヴァリニャーノ師に報告すると、

「どうしても明日は出発しないといけない。やはり我われは祈ることしかできないな」

 ということで、全員が集まって、いつの日かジアンの祖母と母に『天主デウス』のお恵みがあることを共に祈った。

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