Episodio 9 宣教の旅と小西弥九郎(Murotsu)
1
岩見の漁村から四十分ほどで、次の港が見えてきた。ここも小さな岬の付け根で、向こうのもう一つの岬との間の入江の奥に当たる。
確かに先ほど見た漁村よりは活気だっていて、ここも漁村でもあるようだったがそれ以上に町であった。板葺きの民家ばかりではなく、大きな寺や神社の瓦屋根も見える。そしてあちらこちらにある蔵や屋敷は、ここの港が単に漁村だけではなく貿易港であることを物語っていた。
港には私たちが豊後から堺まで乗ってきたのと同じような帆船がいくつも停泊していた。港には商人の姿も多数見られ、堺の港に変わらないくらいの慌ただしさと活気を感じた。
ロレンソ兄の介添えの少年はここへ来たことがあるようで、黙ってロレンソ兄の馬を引くので、私もそれに着いて馬を進めた。やがて我われは一つの門の中に入り、こぢんまりとした屋敷の玄関で馬を下りた。たしかにまだ空は明るく、日が西に傾くまでにはまだ時がありそうだった。
「たのもう」
と、ロレンソ兄が大声で中に向かって叫んだ。すると一人の
やがて出てきたのは、最初に出てきた武士よりは身分が高そうな、二十代前半と思われる若い武将であった。
その若者はまずロレンソ兄を見るやすぐに草履をはいて玄関から外に出てきて、我われのそばに立った。
「これはイルマン了斎様、お久しうございます」
そしてすぐ次の瞬間には、隣の私をも見て、
「バテレン様」
とひと言だけ声を挙げ、満面の笑みを見せた。この国では誰もが我われ司祭の顔を見ただけで身分を知ることができるので、便利と言えば便利だ。
「ようおいでくださいました。この地にバテレン様がおいでくださるのも久しぶりで、キリシタンたちも喜びましょう。さ、どうぞ、どうぞ、中へ」
「あなたは、
若者は興奮のあまり、初対面である私に自分の名を名乗ることすら忘れているようなので、私から確認の意味で聞いた。彼があの都で我われと親しくしているドン・ジョアキムの、その息子である弥九郎殿であろうことは一目見た時から分かっていた。
ヴァリニャーノ師は彼がまだ
「はい。申し遅れました。
通された屋敷は弥九郎殿の私邸でもあり、また仕事の場でもあるようだった。
客間のような部屋で我われは上座に据えられた。その前で、弥九郎殿は平伏した。まだ若いということもあるがそれだけではなく、元来腰が低い男であるようだ。
「ようおいでくださいました」
と、もう一度同じことを弥九郎殿は言った。
「まあまあ、弥九郎殿、おもてをあげなさい。それでは話もできません」
気配を察してか、苦笑しながらロレンソ兄が言ってくれた。
そこでまず、
「私は」
と、私の方から自己紹介をすることにした。
「ジョバンニ・バプテスタ・コニージョというバテレンです。ヴィジタドールのバテレン・ヴァリニャーノと共に九州からこちらに来ました。都でお父上にお会いして、それから安土へ行き、安土からこの地に来ました。バテレン・ヴァリニャーノからの言いつけで、あなたに会い、そしてこの室の港のキリシタンたちの告解を聞き、話をします。また、多くの洗礼志願者がいると聞きました」
「はい。もう、みんな大喜びです。実は私も洗礼志願者の一人です。よろしくお願いします」
また、弥九郎殿は頭を下げた。彼の父のドン・ジョアキムは堺の大商人で、その息子だから腰が低いのも理解できる。しかも腰の低さは武士が主君に対するそれとはいくぶん異質の、店主が客に対するような感じであった。顔に愛想の笑みを浮かべているのだ。
彼のだいたいの素性はここで来るまでの道すがら、ロレンソ兄から聞いていたのでだいたいは知っていた。一度は岡山の
「この屋敷にはバテレン様がお泊まりになる部屋もありますさかい、どうぞおくつろぎください。また後ほど、夕食を共にしながらお話を伺いたい思います」
到着したばかりの我われを気遣ってか、すぐに弥九郎殿は我われを案内してくれた。そこは屋敷の中ではあるが、我われ司祭がいつ立ち寄っても泊まれるようになっている、いわば住院のような感じになっていた。部屋は普通の日本式の畳の部屋ではあったが、十字架や御絵が飾ってある祭壇がしつらえてあった。
なんだか弥九郎殿がまだ
弥九郎殿の家来と思われる
食事の前に弥九郎殿は妻の
お菊さんは挨拶をするとすぐに奥へと入った。まだ日本へ来たばかりの私だったら、なぜ妻も共に食事をしないのかといぶかっただろう。今はもう、日本では特に
妻は後ほど台所近くの別室で、この屋敷で働く女たちと共に食事をするのである。
妻のお菊さんが奥へ入ると入れ替わるように、家来たちが挨拶に来た。皆二十代か三十代であった。
食事が始まってからまずは、弥九郎殿のこれまでの経歴のことが話題になった。
弥九郎殿は笑っていた。
「驚かはったでしょう」
「だいたいのことは、イルマン・ロレンソから聞いています」
「そうですか」
そうは言ったものの箸を運びながらも、弥九郎殿は実によくしゃべる。
「私は次男坊ですさかい岡山の同じ薬屋の
驚くべき転身振りである。
「そして宇喜多様の使者としてその頃三木城を攻めてはった羽柴様のもとに遣わされましたら、羽柴様がこれまた私に目を止めてくださって、羽柴様にお仕えすることになったのです」
なるほどロレンソ兄から聞いていたのより、本人から聞くとまた詳しく正確である。
「今では羽柴様からこの
そこまで一気にしゃべってから弥九郎殿は食事の方に専念し、すぐに目を挙げた。
「それにしても、このたびはようおいで下さった。実はバテレン様方が堺に向かわれる途中、この近くを船でお通りにならはりましたやろ」
たしかに、この室津の沖合を通過した。
「あの時はバテレン様がこの港にお寄りなさると知らせがあって、キリシタンどもみんなして心待ちにしておりましたけれど、急に素通りされて行きましたさかい、あまりの心落ちで寝込んでしまった女もおりましたよ」
そう言って弥九郎殿は笑う。
「そうでしたか。それは申し訳ありませんでした。あの時は急に追い風が吹きましたので、この風を逃したらもったいないとのことで、こちらには寄らずに先を急ぎました。なにしろどうしても枝の主日までには堺に着きたかったのです」
「まあまあ、済んだことです。それよりもバテレン様。話は変わりますが、まずは明日早速で申し訳あらしまへんけど、キリシタンたちの罪を聞くのと、これから洗礼を受けようという人たちへのお話と、どちらになさいますか?」
私は少し考えて、
「まずはキリシタンの方たちとお会いしたいですね」
と、率直に告げた。
翌朝、早くから多くの人がこの屋敷に訪れた。そこで順番に、告解の秘跡を授けているうちに日が暮れた。
その翌日は日曜日だった。
この町には教会はまだないようなので、弥九郎殿の屋敷の広間でミサを執り行った。村中の
そしてその翌日、空はどんよりと曇っていたが、雨が降りそうな気配はなかった。
その日から、毎日弥九郎殿の屋敷を訪れるのは、これから洗礼を受ける志願者たちとなった。
私は弥九郎殿を含む彼らを前に、
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