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 翌日、朝のミサでは主日ではないにもかかわらず神学校セミナリヨの礼拝室は満席となった。神学校セミナリヨの学生が全員毎日にミサにあずかるので、この状態なのだという。従って日曜日は学生のためと一般信徒のためと、ミサは二回行われるのだそうだ。

 そんな若い神学生の中に豊後から高槻まで行動をともにしてきた伊東ジェロニモの姿もあった。今は剃髪しているが元気そうで、我われを見ると懐かしそうに駆け寄ってきて、笑顔で近況報告などをしていた。もうすっかり仲間とも打ち解けているようだ。

 オルガンティーノ師の司式によるミサが終わってからヴァリニャーノ師をはじめ我われは庭に出て、神学校セミナリヨの建物に見いっていた。オルガンティーノ師が、その屋根が青色であることについて、

「実はこの神学校セミナリよの建築の時に、信長殿からの特別な計らいで、城と同じ瓦を使うことを許されたのです」

 と、ヴァリニャーノ師に説明していた。さすがに金の縁取りはなかったが、青が美しいその屋根が同じ青の空によく映えていた。

 続いて我われは同じ建物の上の階の神学校セミナリヨへと案内された。

 やはり中は清潔だった。真新しい木材の香りに、有馬よりも古いのになぜだろうと思っていたら、最近拡張して建て替えたばかりなのだそうだ。

 我われはぞろぞろとそんな神学校を見学していると、庭の方で呼ぶ声があった。

 行ってみると、城からの使者ということで二人の武士サムライが控えていた。風格のありそうな、おそらく信長殿の近くに仕える身分の高い武士だろう。

「都にてお会いしたバテレン様たちが昨日こちらにお着きと聞き、上様はぜひ城を案内したとのことでお招きでございます」

 どうしてそんな情報がもう伝わっているのかと思ったが、ヴァリニャーノ師を中心とする我われがいつ安土に着くのか、毎日のように信長殿から神学校セミナリヨの方へ使者を遣わしての問い合わせがあったそうだ。

「できればバテレン様方のみならずイルマンの方も、同宿の者たちもすべてということでござる」

 急な話ではあるが、信長殿の膝元にいる以上、申し出を断るわけにもいかない。

 我われはすぐに身支度を整えて、神学校セミナリヨにいるすべての修道士や同宿も共に神学校セミナリヨを後にした。


 城までどう行けばいいかなど、案内は全くいらないほどだった。なぜなら、安土の町のどこからでも否応なく城のある山と多くの石垣イシガキや屋敷の屋根、そして丘の上にそびえる天主閣テンシュカクを仰ぎ見ることができたからだ。

 神学校セミナリオから城の左側に向かって歩くことほんの五分。そこがこの城の門であるが、正門である大手門オーテモンではないようだ。

「こちらは百々橋ドドバシ口と申します」

 先を歩いていた案内の武士サムライが振り返ってそう説明してくれた。

「大手は今大変混み合っておりますのでこちらから。城下からお城に登るには、一般的にはこちらより入ります」

 混み合っているという意味がよく分からなかったが、とりあえず従うことにした。門を入るとすぐに急な石段の坂道になる。幅はそう広くはなく、それが山の木々の間をまっすぐに延々と続く。

 武士サムライの足があまりに速いので、まだ腰を痛めたまま回復しきっていないヴァリニャーノ師は時折、少し待つように頼んでいた。

 司祭ではいちばん年長のフロイス師は元気なものだった。だがさらに年長で体は元気でもいかんせん盲目のロレンソ兄は同宿の若者たちの介添えで歩いていたが、メシア師も介護の手を差し伸べていた。しかしそれでも、到底武士サムライの足の速さには追いつけずにいた。

 そこはロレンソ兄に合わせて、ゆっくりの登山となった。実際は登山というよりも坂道を上っているという感覚だ。

 やがて、大きな門が見えてきた。だがその門の姿は城門というよりも巨大な寺院の三門であった。門は二層で、一層の左右に大きな像がある。それを見たフロイス師は、露骨に顔をしかめ、

「悪魔の像だ」

 と吐き捨てるように言った。しかし、その門をくぐらなければ城には行かれないらしい。

 果たして門の中はこれも城というより仏教の寺院で、それもかなりの規模があって大きな屋根がひしめき合い、三重塔も建っていた。このテラを通らないと城には行かれないというのが奇妙だった。できれば足早に通り過ぎたかったが、やはりロレンソ師の足に合わせてではそれは無理であった。

「なぜ、このようなところにテラが?」

 ヴァリニャーノ師は訝しげだった。フロイス師も首をかしげた。

「信長殿は比叡山ヒエイザンという山全体が寺となっている大きな仏教勢力を、兵を差し向けてすべてを焼き尽くし破壊した男です。それなのに自分の城の区域内にこのような大きな寺が存在するのを許すというのは分かりませんね」

 もちろん我われはポルトガル語で話しているので、案内の武士サムライの耳に入ったところで彼は我われが何を話しているかわからないはずだ。

 そこでフロイス師はその武士サムライを呼びとめて、

「この寺は昔からここにあったのですか?」

 と聞いていた。武士サムライは言った、

「いいえ。上様がこのお城を築きなさったときに、同時に建てられたのです。いわば上様のお寺です」

 我われはわけが分からなくなったが、とにかくそのまま歩いた。

 その寺を過ぎたらようやく石垣が頂上に向かって何重にも重なり、その上に武士サムライの屋敷の屋根が並ぶようになって城らしくなってきた。織田家の家来の屋敷は、ほとんどがこの山の中腹に建てられているようだ。

 最初に、すでに寺の建物ではなく武士サムライの屋敷だと思われる建物の脇を通過した。

「上様のご嫡男、岐阜中将様の御屋敷でござる」

 案内の武士サムライは、こういった細かい説明までしてくれた。

 寺の山門からこの屋敷の脇まではしばらく平らな道であったが、屋敷の脇を過ぎるとまた急な石段となった。その石段の上のひときわ高い石垣に囲まれた上に、あらためて間近にこの城の天主閣テンシュカクの威容が現れた。これまで見てきた城は、天守閣テンシュカクといってもいくつかのヤグラの中の一つで、ちょっと大きいくらいだった。

 こんなほかの櫓よりも並外れて巨大な天主閣テンシュカクを持つ城はこれまでに見たことがない。

 石段の上はいよいよ高い石垣の上に登るための門だ。ここで道は、正面の大きな門から上ってきた道と合流する。城内なのになぜかその道には、多くの庶民がうろうろと行ったり来たりして見物をしていた。

 我われはまたゆっくりと、石段を登り始めた。最初の石段よりも、かなり急だった。だが、振り返るとこの山のすぐ麓までを洗っている湖水と、さらには自然の堤防のような区切りの向こうの大外湖とが一望できた。湖の対岸の山並みまでがよく見える。そんな景色を楽しみながらようやく石段の上まで来ると、門があった。門の左右はかなりの高さの石垣、で、こんな巨石をこんなにも多数、よくもまあこんな山の上で壁のように見事に積み上げたものだと感心してしまう。

 門をくぐると正面の石垣の上に横に細長い櫓があり、その手前で道は左に折れていた。

 ここは石垣とやぐら、塀に囲まれた閉鎖空間だ。左には櫓の下に大きな黒いもう一つの門があって、その門は鉄でできているようだった。我われがその門をくぐると、我われを待っていたかのように背の高い人物が何人かの供とともに我われの前に立った。

「おお、よう来られた。バテレン方」

 よく通る、聞きなれた甲高い声が周囲の石垣に響いた。それはあの馬揃えウマゾロエツェーレブラッチオーネ(セレブレーション)の時の顔ではなく、本能寺で初めて会った時のあの慈愛に満ちた信長殿の顔であった。

「ここまで登って来られるのも大儀であったろう」

 そう言って、信長は笑っていた。

「特に、ローマからのバテレン殿、腰の方は大丈夫であったかな?」

 ヴァリニャーノ師は顔では笑いながら、

「おかげさまで」

 とひと言、日本語で言いながらも実は肩で息をしていた。その様子を見て、また信長殿は笑った。そして自らが我われを先導するかのように門の中へと招き入れ、インベルシオーネ( U タ ー ン )する形で石垣の下を歩いた。

「いかがであろう、我が天主閣テンシュカクは」

 信長が示した通り、もうまじかにその果てしなく巨大な生き物は、左手の石垣の上のその向こうにどっしり腰を据えていた。

「これまで見たどんなお城でも、こんなに大きな天守閣はありませんでした」

 そのヴァリニャーノ師の言葉を、フロイス師が信長殿に伝えると、信長殿はまた得意げに高笑いをした。

「そうであろう。当然だ。この日の本にはこのような大きな天主閣テンシュカクがある城は、ここよりほかにない。ほかの城のように天を守るのではなく、ここでは天のぬし(テンノヌシ=テンシュ)であるぞ」

 そうなると、我われはマカオでその文字を何度か見ていたが、天地創造主の『デウス』の御名をチーナの文字で表した『天主』と同じ文字ということになる。それについては。我われの誰もが感嘆の声を上げるだけで何もコメントできなかった。

「それであちらが本丸ホンマルじゃ。予は天主テンシュで待っているゆえ、各々方は無理をなさらずごゆるりと、思う存分見物されてから天主テンシュに来られよ」

 そう言って信長殿は踵を返し、左側の石垣にあるもう一つの門の方へとと速足で歩いて行った。

 我われの一団もそれを追うように、ゆっくりと石垣の上へと続くさらなる坂道の上にある門の方へと向かった。

 門をくぐると、いよいよ天主閣が何も遮るものもない状態で我われの視界のすべてを占領する勢いで迫ってきた。その土台の石垣は初めて見た。天主閣の建物のような四角ではなく変な形をした天主台の石垣の上に、天主閣はドンと乗っていた。

 我われはもう一度、天主閣を見上げた。楼閣は天にも届けとばかり聳え立って、最上階の黄金でできた階は陽光を受けて眩しいくらいに光を放っていた。

 近くで見ると、細部までもがよく分かった。壁は基本は黒だが、屋根の下のあたりだけ白くなっている。屋根は青っぽい瓦で縁の丸い部分は全部金だ。外観は五階建てのようで四階以上が楼閣になる。四階は八角の白壁に赤い柱、最上階は壁も手すりも屋根の裏側もすべて金だった。

 屋根には鯱鉾シャチホコといって、対になった二匹の金の魚の像が尻尾をふりたてて向かい合う形で据えられている。もはやそれは狂気を感じるほどの美しさだった。

 案内の武士サムライはその天主の石垣の下を進み、たくさんの屋根のあるアレア《(エリア)》へと我われをいざなった。

「ここが本丸でござる」

 武士サムライが言う。すべて平屋造りであったが、それはもはや屋敷というよりも宮殿パラッツォだった。

 ここがあれだけ苦労して登ってきた山の上だということも忘れてしまう。まるで下界とは別世界だ。宮殿の屋根は瓦ではなく茶色っぽい木の皮の屋根で、柱や壁は白木だが柱は太く、何もかもが絢爛豪華に造られていた。

 いったいこのような宮殿や天主のある城に住む信長殿という人物は、果たしてこの国の何なのか、あらためて考えさせられてしまう。

 ちょうど我われは立ち止まって宮殿の大屋根や天主を見ていたので、私は何気なくそんなことをつぶやいていた。

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