Episodio 5 本能寺屋敷とチルコ・マッシモ(Miyako)

1

 そんな騒ぎの翌日が、信長殿と会う約束をしていた日だ。さすがにもうヤスフェは置いていくことにした。身支度を整え、信長殿への献上品を引き車に乗せて、我われ六人、すなわち昨日とはセスペデス師とオルガンティーノ師が入れ替わった六人は徒歩で本能寺の一角にある信長殿の屋敷へと向かった。なにしろ本能寺は教会から目と鼻の先なので、馬に乗るほどでもない。

 門を出て蛸薬師通りヴィア・タコヤクシを右手に西へと進んで最初の四つ辻からウンブロッコ(ワンブロック)先の、最初の曲がり角がもう本能寺の東南角なのだ。そこを右に曲がって本能寺の塀沿いの西洞院通りヴィア・ニシノトーインに出た時に、我われは思わず歓声を上げた。塀は白い土壁の上に瓦が乗ったものだが、その内側の境内に塀に沿ってずっと桜並木サクラナミキとなっている。枝は塀の上に頭を出しており、満開の花が道に覆いかぶさるように咲き誇って、塀にそって延々と続く。まさに桜のアーチの中を進んでいるようだ。

「なんだ。わざわざ清水キヨミズまで行かなくても済みましたな」

 ヴァリニャーノ師は桜を見上げながら、そう言って笑った。

「いやいや、清水の桜は、こんなものではありませんよ」

 と、フロイス師も桜を見上げて歩きながら言った。

「まあ、都にいる間にもう一度行きましょう。と、言っても早くしないと桜はすぐに散ってしまいますけどね」

 そんなことを話しているうちにまだ次の角まで来ていない途中で塀は途切れ、その先は堀に囲まれている一角となった。堀といっても城の堀のような大きなものではないが、堀の向こうは腰の高さくらいまでの石垣もあって、その上に真新しい塀が造られていた。その塀の中が本能寺の北東の一角、すなわち信長殿の屋敷のようだ。

 やがてすぐに六角通り《ヴィア・ロッカク》に出たが、そこを左に曲がってすぐに門があった。教会からここまで、わずか三、四分ほどしかたっていない。教会からこんなに近くに、信長殿は滞在しているのだ。驚いたことに、こうしてみると本当に小さい。本能寺自体は二ブロッキ(ブロック)を占める広大な境内があって、多くの大きな屋根が並んでいる。信長殿の屋敷はその境内の四分の一を占めているわけだが、つまりは半ブロッコ《(ブロック)》しかないということになる。我われの教会よりはずっと広い敷地だが、例えば府内の大友館オートモヤカタに比べればかなり縮小された規模だ。これで日本全体をその掌中に収めようとしている覇者の屋敷とするにはあまりにも釣り合わない。

 そんなことをふと漏らすと、フロイス師は、

 「まあ、信長殿は、ここを本拠地とはしていませんから」

 と言った。そんなこんなで、門の中へと入って行った。

 

 通された部屋も、屋敷全体と同様に小ぢんまりとした部屋だった。いかにもまだ新築という感じの木の香りがする。日本では木材で建築物を建てても、その木の柱や壁を塗装するということはあまりなく自然の材質のままだ。これまでは建ってから数十年を経たような建物ばかり見てきたので柱も壁も茶色く変色していたが、建ったばかりの建物はそれらが自然のままの白っぽい色合いだ。

 これまでの信徒クリスティアーノの殿との会見では殿が玄関まで迎えに出ていたり、自分が我われよりも下座に座ったりなどいろいろと型破りの方が多かったが、さすがに信長殿はまだ信徒クリスティアーノではないだけに、会見も型通りのものとなりそうだった。

 果たしてしばらく待たされること十数分、その緊張の時間のあと

「上様のお出ましでござる」

 という武士サムライの声で我われが座って頭を垂れると、大きな足音がして上座に人が座る気配がした。信長殿がようやく我われの前に座っているようだ。

「お顔を上げられよ」

 その声にようやく顔を上げて、信長殿の姿を見た。これまでの殿とわけが違う。今やこの日本の大部分を支配し君臨する帝王なのだ。フロイス師などから気難しい人だと聞いていたし、多くの家臣から恐がられている厳しい人だという前情報があったので緊張していたが、そのにこにこと笑っている顔を見るとその前情報との差異に不意を突かれた気がした。だが、まだ油断はできない。

「今日はわざわざのお越し、痛みいる」

 信長殿が直々に声をかけてくれている。それがまた実に甲高い大声であった。

「お久うございます。上様ウエサマもお変わりございませんでしょうや」

 まずは、フロイス師が声をかけた。フロイス師は信長殿を、上様ウエサマという聞きなれない呼称で呼んだ。信長殿は微笑んだままうなずいた。年の頃四十代くらいであろうか、しかし日本人は実際よりも若く見えることが多いので正確には分からない。面長の割と整った鼻筋の通った顔で、髭はほとんどないが鼻髭だけは立派なものだった。

「変わるも何もまあ、上り詰めた感はあるかな。いや、年がでござるぞ。人間五十年というが、そろそろその五十路いそじの声も間近に聞こえ始めた。バテレン殿も予よりも少し若いくらいでほぼ同じ年であったのう。九州の方へ行かれていたと聞いたが、いろいろとご苦労も多いと思うが」

「はい。しかし、そのようなことも申しておられません」

「であるか。互いに多忙だのう。上り詰めたと申したが、この天下においてはまだまだ予は上り詰めてはおらぬ。これからやらにゃあならぬことも山積みで、その山をもっともっと上まで上り詰めないとならないしなあ」

 信長殿は声を上げて笑った。気難しいどころか気さくな人のように思えてならなかった。だが、どんなに笑顔であったとしても、その眼光だけは獲物を狙う鷹のように鋭かった。

「時にあの四つ目のバテレン殿は息災か。かのバテレン殿も今は九州だったよな」

「はあ」

 フロイス師も少し笑った。

「九州で、元気で活躍しております」

 四つ目の司祭パードレとは、カブラル師のことだろう。かつてカブラル師が眼鏡をかけていることで、眼鏡を知らないこの国の人びとがカブラル師には目が四つあるといって驚いたという話を聞いたことがあったような気がしたのですぐに分かった。

 それからローマからの巡察師ヴィジタドールとしてヴァリニャーノ師が紹介された。

「お初にお目にかかります。ヴァリニャーノと申します」

 それだけを自分で日本語で言ってから、自分はまだ日本語が達者ではないのであとはフロイス師に通訳をしてもらう旨をポルトガル語で話し、それをフロイス師が伝えていた。

 それからフロイス師によって、オルガンティーノ師をのぞき信長殿とは初対面の私やその他の司祭たちが軽く紹介された。

「ようこそ来られた」

 と、信長殿は慈愛の目ともいえるようなほほ笑んだ目で一人ひとりにうなずいて聞いていた。

 それからヴァリニャーノ師によって信長殿への献上品の説明があった。すでに我われが別室で信長殿の家来ケライに渡していたエウローパの君主が着用する衣服、その玉座ともなるべき金細工を施した赤いヴェルート(ビードロ)で覆われた椅子、地球儀グローボ、時計、クリスターロ・ヴェートロ《(クリスタルのグラス)》などが家来によって信長殿の前に並べられた。

 信長殿が最初に手に取ったのは、地球儀だった。

「これは何か」

「はい、グローボと申すもので、我われが今住んでおります地球テーハをかたどったものでございます」

 と、フロイス師が説明した。

「我われがこれの上に住んでいるだと?」

「はい。私どもが住んでおります大地は、実はこのような球体であることが分かっております」

 信長殿の顔が一瞬曇った。

「それはまことか」

「はい。大地は球体で、これが太陽の周りを回っております。そして球であるこの大地の周りをまた月が回っております」

「たしかにのう」

 やっと信長殿も笑ったので、一瞬緊張した空気が走った我われだったがとりあえず安心した。

「たしかに、太陽も月も球だな。それならこの大地が球だったとしても理にかなっている」

 私はこの言葉に、少なからず驚いた。信長殿はこのとき初めて地球が球であることを知ったはずだ。我われのエウローパにおいてでさえ、頭の固い人たちはまだ天動説を信じている。つまり、地球が球であることはほぼ確証されてはいるものの、まだその論争に決着はついていない。カトリック教会の中においても然りで、ただ、我われイエズス会はこうして船で地球の反対側に来ているわけだし、すでに地動説を受け入れているが、教会にはまだ頑なに否定している人たちもいる。それなのに信長殿はほんのひと言ふた言の説明で、いとも簡単に地動説を受け入れてしまったのだ。まさに天才としかいいようのない頭の柔軟さだ。

「ならば、我が日の本はどこじゃ? 苦しゅうないから近くにお寄りなされ」

 信長殿にそう言われてフロイス師が一礼してから立ち上がり、信長殿のそばまで行ってまた座った。

「こちらでございます」

 フロイス師が一角を指すと、信長ははっと笑った。

「これか。こんない小さいのか。では、そなたたちが来た天竺テンジクはどこだ?」

 またフロイス師は地球儀を少し回して、ゴアの地を指差した。

「ほう、こんなに遠くからか」

「実は、私どもは確かにそこからまいりましたが、本当の生まれ故郷は」

 そう言ってからさらに地球儀を少し回して、フロイス師はまた指差した。

「このポルトガルという国が、私とあちらのバテレン・メシアの生まれた国でございます」

「この陸地の先っぽか。なんだ、日の本よりも小さいではないか。ほかの者たちは?」

「ほかの四人はこちら」

「この岬のような国か。これなら日の本と同じくらいの大きさだな。もっともっと大きな国から来られたのかと思っておったが、大きさは日の本と変わらないのか。それにしても、この球では日の本のちょうど反対側ではないか。こんな遠いところから…しかも、我が日の本とそれほど大きさは変わらない国から…いや、恐れ入った」

 フロイス師は元の位置に戻った。

「気に行った。これは頂戴しておこう。それとこの服と椅子もな頂戴するぞ。いやあ、これは立派な椅子だ。お国の帝王は皆、このような椅子に座っておるのか?」

 信長殿は上機嫌だった。

「はい。まあ、似たような椅子には座っております」

 ヴァリニャーノ師の答えがはっきりしないものであったのは、私も知っているある事実がある。その椅子は実はポルトガルから持ってきたものではなく、マカオで入手したもの、すなわちファット・イン・チーナ(メイド・イン・チャイナ)だったのである。

「して、これは?」

 次に信長殿は、目覚まし時計ズベーリアを手に取った。

「時間を計るジスペルタドールという機械マーキナでございます」

「なに? すると、時計トケイか。どういう仕組みになっているんだ? マーキナとはなんだ?」

「説明が難しゅうございます。後ろの面のつまみを回して時刻を定めれば、その時刻に音を鳴らして、朝目覚めさせてくれます」

「そうか」

 信長殿はその時計を持ちあげて表にしたり裏にしたりして眺めていた。

「このジスペルタドールはポルトガルの王族のブラガンサ公ジャイメ一世の子息でのテオトニア大司教様より頂戴したものです」

 ヴァリニャーノ師がそう言った言葉をまだフロイス師が通訳する前に信長殿は時計を、近くに控えていた少年を呼んで渡した。

「これも大変有り難いものではあるが、何しろ使い方がよく分からない上に壊れたら直すのも大儀であろう。非常に残念ではあるがこれはお返しする」

 少年は信長殿から受け取った時計をフロイス師のもとへ持ってきた。

「それではそちらのバナナはいかがでございますか」

 フロイス師は房ごとのバナナの山を示した。

「これは何か? 果物か?」

「はい、バナナという果物でございます」

「どのように食すのだ?」

 そこでオルガンティーノ師が一礼して立ち上がった。

拙者セッシャがお毒見ドクミ致しますゆえ、このようにお召し上がりください」

 バナナのそばに座って一本取ったオルガンティーノ師は、皮をむいて、

「失礼つかまつります」

 と、言っていから一口かじった。

「さ、上様もどうぞ」

「であるか」

 信長殿も見よう見まねで同じように皮をむいて口に入れた。

「ん、甘い! 甘くてうまいぞ。これまで食したどの果物よりも甘くてうまい!」

 ますます信長殿は上機嫌となった。そしてその上機嫌のまま、ヴァリニャーノ師にいくつかの質問をし、フロイス師がそれをポルトガル語で伝えた。ヴァリニャーノ師の答えも、フロイス師によって日本語に通訳された。

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