3
翌日は一日
「ちょうど今、
と、フロイス師も賛成してくれた。
「
「寺?」
メシア師が、
「どうしてそのような悪魔崇拝の場所に?」
といぶかしげに聞いた。
「景色がきれいだからですよ。別にそこに参拝に行くわけではないし、都の市民も参拝というよりも桜の花が目的で大勢出向いているはずです。日本にはこのわずか一週間の桜の花が咲いている時期に
たしかに桜を見に行くだけなら、寺へ行ってもかまわないだろう。
「私はこの都の寺も神社も、ほとんど行きましたよ。ここから南にある
フロイス師が言うと、そばでオルガンティーノ師がにこにこしていた。
「私も、そのような場所はなるべく行ってみるといいと思います。日本人の精神と文化を知る上でも大事です」
「それだけではありません」
フロイス師はまずは私を見た。
「
まだまだ勉強を続けないと、私はこの国では使い物にならないらしい。日本語がしゃべれるようになっただけではだめのようである。
午前中にセスペデス師の案内で、ヴァリニャーノ師と私、メシア師、トスカネロ兄、そしてフランチェスコ師という
「都は、総ての道に名前が付いています」
門を出た時に、セスペデス師が説明をしてくれた。
「この道は
セスペデス師が我われを誘導したのは左手、つまり東に向かう。つまり、清水とは東にあるようだ。門を出て最初の四つ辻、つまり教会の敷地の南東角に当たる所で、セスペデス師は交差した道を右に折れた。
「この道は
我われは南下していることになる。だが、二つ目の四つ辻は話が違った。そこまでほんの二、三分でたどり着いたが、今度の東西の道はかなりの道幅があった。
「これが
その四条通りを左に折れて、東に向かって進む。そしてすぐに同じような幅の大通り同士が交差する四つ辻に出た。その南北の道はかなりの広さだった。
「この道は
その四条烏丸の四つ辻を越えた頃から道の両脇には店が並ぶようになり、人びとの往来も増えた。やはり一つの国の
歩くと結構砂埃が上がるが、それでも多くの人がいる中をかき分けてということになった。
私は歩きながら、何か違和感を禁じえなかった。だがすぐに、それが何だか分かった。日本ではこれまでどの都市へ行っても、必ず
だが、そんなふうに思っていたのはその時までだった。四条通りを東にほんの数分歩いただけで、どうも人びとの視線を感じた。それはこの都に住み慣れたセスペデス師も異様に感じていたようだ。そこで私は、
「やはり都の人びとにも、我われ司祭は珍しいのですか」
と、セスペデス師に聞いてみた。セスペデス師は首を横に振った。
「いやいや。たしかに都はこれだけ多くの人がいる割には信徒は少ないのです。だけれども、我われの姿は彼らも見慣れているはずだし、いつもはこんなふうに奇異の目で見られたりはしない」
その瞬間、我われを囲む人びとの間でキャーッという悲鳴が上がった。その悲鳴は次々に連鎖していった。そしてようやく、事態の真相が分かったのだ。
人びとの奇異の目が向けられているのは我われで司祭ではなく、ヤスフェだったのだ。悲鳴は最初にヤスフェの顔を覗き込んだ者から上がったからだ。
「鬼や。黒い鬼がいてますえ」
「ほんま、鬼や。鬼がおる」
そう叫んで逃げていく者と、その声に好奇心から見に来る者とがぶつかり、騒ぎが大きくなるとますますそれが人を呼び、騒ぎに拍車をかけていくのだった。
我われを囲む人はどんどん増えていく。囲まれて見られているだけならいいのだが、ヤスフェの顔を一目見た者は恐怖のあまり駆けて逃げていくから、人と人がぶつかり合ってますます混乱してしまうのだ。
我われはもう前へ進めなくなった。ヤスフェ自身も途方に暮れているようで、兜を脱いでその黒い顔をさらし、わざと笑って見せて、
「皆さん。おいは鬼ではなかとですたい」
と、九州訛りの日本語で叫んだ。
「あ! しゃべった!」
と、また人びとは大騒ぎになる。
「道ば開けてくれんね。通してくれんね」
ヤスフェがしゃべればしゃべるほど逆効果だ。しかも、笑えば歯が白く浮かび上がって、それがまた人びとの好奇心を駆り立てる。
「まあ、行きましょう」
セスペデス師は苦笑しながら、なんとか人混みをかき分けて前へ進もうとした。しかし、もう一歩も進めないほどの状況だ。人垣はどんどんどんどん大きくなる。
「これは、今日はもう無理だ」
とヴァリニャーノ師も苦笑しながらつぶやいた。
「だめですね。中止にして帰りましょう」
それにはセスペデス師も賛成したが、また帰るにも道がふさがれていてひと苦労だった。いったいどこから人が湧いて出てきたのかと思うほど、広い四条通りが人で埋め尽くされた。ヤスフェが先頭で歩くと、なんとか道が開けられたが人びとはそのままついてくる。だが、人垣の後ろの人が前へ出たがって押すものだから、また混乱になる。ようやく四条烏丸の四つ辻まで戻った頃は、さらに多くの人に取り囲まれていた。
だが、なんとか室町通りを曲がることができた。ところがここからは狭い小路なので、さらに混雑は激しくなる。そして人びとの騒ぎ声はそこら中に響いていたので、民家ひしめき合うこの地域では家の中にいた人々まで何事かと顔を出し、それでまた騒ぎが大きくなる。中には多くの人に知らせてやろうという心づもりか分散してかけていく者たちの姿も多い。そういった人びとの知らせを聞いてかなり遠くからもまたヤスフェめがけて人びとは押し寄せ、お祭り以上の騒ぎとなった。
ついに押すな押すなであちこちで殴り合いの喧嘩も始まったようだ。
それを見るとまたヤスフェもそっちに歩み寄り、
「喧嘩ばやめんね」
と声をかけるから、またそこへと人が集中する。
「あんさん、どこから来はったんかえ?」
と、ヤスフェに話しかける女もいた。
「モサンビーキ」
とヤスフェもまたそれに答えたりする。そこで我われの歩も止まる。ますます人が集まるという悪循環だ。そのうちとうとう後ろから押された勢いで、前の人たちが倒れ、その上に後ろの人たちが覆いかぶさるようになってものすごい砂埃が上がった。その倒れている人びとを踏みつけるように、後ろからさらに人びとは前に出ようとするのだ。下敷きになった人びとの悲鳴も上がって、さらに喧嘩の声がそれに重なる。
その中にあって私は、全く気が動転していた。いや、私だけではなく、ヴァリニャーノ師はじめ他の司祭たちも同様であっただろう。何をどうしたらいいのかも分からず、ただうろたえていた。一つだけ言えるのは、今我われを取り囲んでいる人びとは我われやヤスフェに対し悪意があるわけではなく、危害を加えようとしているわけではないということだけが救いだった。ただの珍しいもの見たさの好奇心だけで殺到しているのだ。だから、ひたすら『
そんななんだかんだで教会に戻るまでになんと二時間以上かかってしまった。行く時はほんの数分で行った距離である。
我われが教会に入っても人びとは教会を囲んで大騒ぎを続けていた。さすがに教会の門から入ってくる者はいなかったが、騒ぎはいつまでも教会の中へと聞こえ続け、ようやく下火になったかなと思えたのは夕刻になってからだった。
「申し訳ない」
と、ヤスフェはひたすら謝り続けていた。
「いやいやいや、あなたのせいではないから、そんなに気にしないでいい」
ヴァリニャーノ師は何度もそう言って、ヤスフェを慰めていた。
だが、事態は一変した。
用があって外出していた修道士の一人が報告したところによると、昼間のヤスフェの騒ぎで人びとがなだれて倒れこんだ際に、下敷きになった人びとの中から死者が出たということだった。
「分かった。その話はヤスフェにはしないように」
と、ヴァリニャーノ師が修道士に言いかけた時、すでに部屋の外で音がした。そこでは、ふとそれを耳にしてしまったヤスフェが膝を折って崩れていた。
「申し訳ない。ああ、申し訳ない。私のせいで」
ヤスフェはポルトガル語で叫んで、泣いていた。そして、
「庭を貸してください。それから鞭も」
と言って、もろ肌を脱ぎ、我われがする苦行である自らの体を自ら鞭でうつ鞭打ちの苦行を泣きながら始めた。しばらくは我われはそれをただ見ていたが、あまりに激しいので私が止めようとすると、ヴァリニャーノ師は、
「やらせてあげなさい。ただし、度を過ぎるようだったらそこで止めるように」
と言った。そのヴァリニャーノ師の隣にオルガンティーノ師が立っていた。オルガンティーノ師は近くにいたフロイス師をちら見しながらも、イタリア語でヴァリニャーノ師に、
「どうですかね。あの黒人、洗礼を授けてあげたらいかがですか」
と言った。ヴァリニャーノ師は、あごに手を当てて考えていた。それから言った。
「私もそれを考えていました。人種も奴隷であるなどという身分も関係なく、等しくみな平等に洗礼を受ける機会は与えられる、それが『
「ただ?」
「
「ああ、あのお方ですね」
あのお方で、二人の間では分かってしまう。いや、聞いていた私にも分かった。たしかに黒人でしかも奴隷の身分のヤスフェに洗礼となると、あのお方は目くじらを立てるだろう。
「どうでしょう。
「そうですね。彼の意向も聞いてみたいと思いますし、彼がいなくなるのは私は寂しいのですが、もしその方が彼にとっていいことならば。総ては主の思し召しのままに」
そういうことで話は着いたようだが、まだヤスフェの泣きながらの鞭打ちは続いていた。そこでそろそろと思って、私はやめさせた。彼は庭にある自分の小屋へと帰って行った。
その時、私の背後でこの教会に居住している日本人の同宿が、私に声をかけてきた。さっきまで、ヤスフェの苦行を見ていた少年だ。
「バテレン様に一つお聞きしたいんですが」
「何でしょう?
「なぜ、あのような黒い肌の人がいるのですか? だって、『
私がいきなり難しい命題に面喰っていると、ヴァリニャーノ師がそこへ顔を出した。私は手短にその同宿の疑問をヴァリニャーノ師に告げた。ヴァリニャーノ師は笑って言った。
「すべての人間は同じ一つの幹から出た被造物です。人間の種はいろいろな種類があっても、その大元は一つです。だから肌の黒い人も白い人もいる。すべて『
その時は私がそのヴァリニャーノ師の言葉を同宿に通訳したが、通訳しながらその「元一つ」という言葉が私の魂に深く刻み込まれた。
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