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 そして今日中に堺に着くというので我われは積み荷を降ろす準備などをしていた。すると昼過ぎに船はゆっくりと、ある港へと近づいて行った。我われは甲板代わりに張ってある板敷きの上に出て、海を眺めていた。まだかなり風は冷たいが、よく晴れた空の下、ほんの少し春が感じられるような気候だった。

 港の背後はわずかな平地越しに、すぐに山となっている。このあたりは海岸線もまっすぐで、海も広々とした本来の大海原という感じになっていた。

「もう、あれが、サカイですね」

 彦左衛門の隣に立っていたヴァリニャーノ師が、日本語でそう聞いていた。だが意外にも、彦左衛門は首を横に振った。

「いんね、あれは兵庫ヒョーゴの港ですやに」

兵庫ヒョーゴ?」

 ヴァリニャーノ師が首をかしげていた。間違いなく船は、その港に向かって進んでいるのだ。

「あの港に寄りますか? あなたは、今日は堺に着くと言いました」

「着きますが。兵庫にはちぃっと立ち寄るだけですけん。関銭セキセンを払わんでといけませんが」

 彦左衛門は、平然とした感じでさらりと言った。関銭セキセンとは通行税ペダージョのことのようだ。

「どうしても寄らないと、いけませんか?」

 ヴァリニャーノ師の顔は曇っていた。

「今はとてもいい風が吹いています。しかし、あそこに寄っている間に風が変わったらどうしますか。今日中に堺に着かないと、とても困ります。出迎えの人たちも来ています。風がある今のうちに、堺に行きたいです。あの港には寄らないで」

 我われの到着は、すでにドン・フランシスコが堺に一報をいれてくれているはずだ。

「いんね、それはちぃっと。関銭を払わなかったら、いろいろとよだぎいこつになるりますが。ま、そげに時間はかからんですけん」

「お願いしますよ。本当に、とても困りますから」

 ヴァリニャーノ師の顔は、本当に困っているという様子だった。彦左衛門はしばらく考えていた。そしてぽんと手を打った。

「分かりました。そこまでおっしゃるのなら、関銭はあとで堺から届けさせましょう」

「かたじけない」

 そういった感じで話がついたようで、兵庫ヒョーゴの港には寄らないことになった。もう一度その港の方を見てみると、やはり大きな有名な港であるらしく、かなりの数の船が停泊しているのが見える。もちろんここまで来ると我われのナウ船、日本人はこれを南蛮船ナンバンセンと呼んでいるが、当然のことそのような南蛮船ナンバンセンの姿などなかった。

 彦左衛門の指示で舵が切られ、帆も角度を変えて、船は舳先を回して兵庫ヒョーゴの港から沖の方へ向かう航路をとった。それからしばらくして兵庫ヒョーゴの港がだいぶ小さくなった頃に、

「あの船は何ですか?」

 と、ずっと小さくなっていく港を眺めていたメシア師が、叫ぶような声で言った。彦左衛門はそれがポルトガル語だったから分からなかったであろうが、それでもその口調に異変を感じてメシア師が指さす方を見た。そしてすぐに、

「うわ、こらいけんわ!」

 と、叫んでいた。

 もう船室に戻ろうと、私やヴァリニャーノ師は下に降りる梯子を下りかけていた時である。もう一度戻って船の後方を見ると、なんとかなり大きく頑丈が軍船が二艘、ものすごい速さでこの船を追ってきていた。帆ははっておらず、漕ぎ手が櫓をこいで走行しているようだ。

「あれは?」

 と、私が彦左衛門に聞いてみた。彦左衛門の顔は蒼ざめていた。

「関銭を払わずに通ったから、関所の役人が追いかけて来たのですか?」

 しばらく二艘の船に目が釘付けになっていた彦左衛門だったが、

「違う! あれは海賊カイゾクだが!」

 と、叫びをあげた。カイゾクとはすなわち海賊ピラータである。

「この船の知らせを聞いて、海賊どもが兵庫の港の外で待ちぶせしていたんでしょうな」

 そんな所へのこのこと自ら入港していたらこの船はどういう運命になっていたのかと思うと、背筋が寒くなる。そして天を仰ぎ、間一髪で一厘の救いの業を示してくださった『天主ディオ』に黙って深々と頭を下げ、感謝の祈りを捧げた。


 だが、まだ事態は終わっていない。海賊の二艘の船は全速力でこちらに向かっている。この船を追っていることは間違いない。待ち伏せをしていたつもりがこの船が入港しなかったため、その彼らにとっては想定外の事態に慌てて追ってきているのだろう。

「追いつかれたら総てが奪われる。へたをしたら船もだ」

 前にアルメイダ師が、その恐怖の場面に遭遇したことを語ってくれたのを思い出した。

「帆をおろせ!」

 と彦左衛門の叫び声がした。さらに、彦左衛門の叫び声は続く。

「漕ぎ手、用意!」

 同乗していた三十人ほどの漕ぎ手が一斉に飛び出し、所定の場所に走った。海に次々に櫓が降ろされ、漕ぎ手たちは座って、そして一斉に櫓が動き出した。手漕ぎで逃げるのである。たしかに、この方が絶対に早い。

 船はみるみる海面を、すごい速度で滑り出した。その速さといったら、船というものがこんなにも速度が出るものかと驚くほどであった。まだいくつか空いている櫓があったが、その時我われの中から空いている櫓に走り出して、一緒に見よう見まねで漕ぎだしたのはヤスフェであった。ヤスフェ一人で、四人分くらいの漕ぎ手の力が加わったようなものだった。

 ところが、二艘の船はどんどん我われに追いついてくる。こうなると、堺に着くのが先か追いつかれるのが先かということになる。こうしてもう二時間以上も漕ぎ続けているのだから、どんなに屈強であろうといい加減漕ぎ手たちも限界に近くなってきているだろう。

「もっと陸地に近い方を走るぞ。やつらの船は大きくて、これ以上陸地に近い方は走れん。こっちん方が小回りが利く!」

 と、彦左衛門はそう言って漕ぎ手たちを励ましていた。だがもう、二艘の船はほぼ至近距離まで迫っており、向こうの船の漕ぎ手たちの顔も見えるくらいであった。そしてかなりの人数が船の上にいて、こっちに向かって囃し立てている。

「もう、間もなく堺やに!」

 と、彦左衛門が我われの方に向かって叫んだ。

 たしかに、左手の陸地の前方に港が見えてきた。ここはちょっとは広い平地になっていて、横たわる丘陵は遠くにかすんで見える。港はどんどん近付いてきた。するとそこに大勢の群衆がいるのが見えた。しかも十字架の旗を立てたりしている人もいて、我われの出迎えの人びとだということはすぐに分かった。ヴァリニャーノ師が先ほど、出迎えの人たちが来ているとは言ってはいたが、これほどまで大人数だとは思っていなかった。しかも、我われが海賊に追われているという情報まで伝わっていたのか、皆手に鉄砲などの武器を持っていた。

 そして港の入り口寸前のところで、海賊船は我われの船をはさむような形となって追いぬき、その先で漕ぎ手を止めた。我われも船を止めるしかなかった。

 ところがその時、港の方から多くの小船が一斉に漕ぎだしてきた。我われを出迎えに来てくれていた堺の人たちだ。その多くの小船が我われの船を守るようにして取り巻き、その一艘に乗っていたきちんとした身なりの初老の男が小舟の上に立ちあがって、

「バテレン様方!」

 と、叫んできた。

「おお、ディオゴ様!」

 その顔を見るやフロイス師が顔を輝かせて返事をした。フロイス師の知り合いらしい。

「早うこちらの小船に!」

 ディオゴと呼ばれた男は我われをそう促すが、この船と小舟の間には相当高さの差があって、飛び込むにはためらってしまった。

「早う!」

 ディオゴがさらにそう叫ぶので、まずは私とトスカネロ兄、ヤスフェが先に飛び降り、他の年配の司祭パードレたちを下で受け止めるかたちとなった。それでも受け止めきれずに重なるように倒れ込む形となって、小舟は大揺れに揺れた。転覆して海に放り出されなかっただけ奇跡であった。

「荷物が、荷物が」

 と、ヴァリニャーノ師はそれを心配していたが、今は荷物を下ろせるような状況ではない。

 海賊船の舳先に、毛むくじゃらの大男が現れた。海賊の首領だろう。

「この船には珍しい天竺のバテレンが莫大な財宝を積んどると聞いている。もうここまできたら逃れらへんで。大人しく財宝を引き渡すか、さもなくばそれと同金額の金子を支払え。どちらもいやと申すなら、命をいただく」

 出迎えの信徒たちクリスティアーニは多くの小舟の上から大声で海賊たちに罵声を浴びせたが、海賊たちは聴く耳を持たない。

 その時、火薬のにおいがした。堺の人びとが我われの国のものと全く同じ火縄銃フチーレ・ア・ミーツァの雛輪に火をつけて構えていた。

 我われの船の上では彦左衛門が舳先に出て、

「分かり申した」

 と、やはり大声で叫んだ。

「検分されよ」

 すると海賊船からこれまた屈強そうな男が二人、我われの船に乗りこんだ。そこで我われの方としては、ヤスフェを一度船に戻して立ち合わせた。屈強な大男も、ヤスフェの姿には一瞬ひるんでいた。そして我われの土産用の積み荷を調べ、すぐに船室の外に出て自分たちの海賊船に向かい大声で、

「金三十七両!」

 と、叫んでいた。

「そないな程度か」

 と、少し落胆したような声が海賊船の方から聞こえたが、やがて、

「ほんで、ええわ!」

 という声もした。一度奥の自分だけの部屋に入った彦左衛門は、やがて大きな紫色の袋を重そうに持ってきた。

「お確かめを」

 海賊に引き渡された袋の中は、我われが知っているような四角い穴が開いたお金ではなかった。それは中指の長さほどの楕円形の輝くばかりの金貨で、しかもそれが何十枚も入っていた。

「間違いない」

 そしてその袋を持って海賊たちが自分の船に戻ると、海賊船の櫓が動きだし、海賊船はゆっくりと離れて、そしてすぐに速さを増して去っていった。

 船上の人皆が、その場に座り込んだ。彦左衛門も、ほとんど腰を抜かしたように座っていた。

 そのうち私が、顔を上げた。

「あのように、お金を払えば済むのですか?」

 それがとても不思議だったので、私は聞いてみた。彦左衛門は疲れ果てた顔にも、なんとか笑顔を浮かべていた。

「ええ、交渉次第ですな。財宝を奪うか、その代償の金額を払って見逃してもらうか、そこは交渉ですよ。彼らとて、財物を奪ってそれを金銀に換える手間が省ける」

 この国の「カイゾク」とは、我われの国のピラータ(パイレーツ)とはかなり違うものらしい。ピラータ(パイレーツ)に襲われたらこのような交渉の余地などない。ただ一方的に強奪し尽くされ、船は沈められてしまうのが落ちだ。このような略奪集団でさえ、この国のそれには霊性の高さを感じる。

 それにしても、彦左衛門の懸命の尽力には、感謝しても感謝し尽くしきれないと私は思っていた。するとヴァリニャーノ師がフロイス師に、

「彼はいくらお金を払ったのですか?」

 と、聞いた。

「三十七リョーといっていたから、約百五十クルザードですね」

「おお、そんな大金。教会の方から必ずお返ししますと伝えてください」

 そこでフロイス師は立ち上がって、彦左衛門の方へ行った。

「あのう、先ほどのお金は」

「ああ、あれ。あれはいいんや。皆さんの命代だし、しかもわしの命代も入っちょる。気にしなんな」

「いえ、そういうわけには」

「いいですけん! いらんっちゃ」

 と、あとは彦左衛門は何を言っても笑ってごまかしていた。

 私は、感動のため息をついていた。

 かつてエリコへの道で盗賊に遭い、傷ついた旅人を救ったのは誰だったか…当時の彼らが異邦人として蔑んでいたサマリア人ではなかったか。そして今、我われを命を懸けて救ってくれたのは異教徒だった。しかもキリスト教会をよく思っていない一向宗の門徒だった。

 イエズス様は言われた。「いずれか強盗に遭いし者の隣人となりしぞ」と。彦左衛門という一向宗の門徒は、まさしく我われの隣人となった。「己のごとく汝の隣人を愛すべし」とは、古いイスラエルの掟ではある。しかし、こうしてイエズス様によって新しい命が吹き込まれた言葉は、こんな地球の裏側の地でもその息吹を感じさせるのであった。

 フロイス師も戻ってきたので、私はそんなふうに考えていたことを、軽くつぶやくように言った。

「たしかに、まずは多くの櫓の漕ぎ手を乗せていたのは正解ですね。そして何よりあの船頭さんの懸命の努力で我われは難を逃れた。我われの船が小さくて岸辺近くを逃げられたということも幸いしたけど、でも、堺がもう少し遠かったら危なかったかもしれない」

 そして小声の早口で、

「あの船頭さんも、我われのためというよりも大友ドン・フランシスコへの忠義のために我われを守っただけかもしれませんがね」

 と言った。どうにも余計な付け足しを言ってくれるものだと私は思ったが、もしここにカブラル師がいたらその付け足しの部分が肥大して、話はそこに終始しただろうなと思うと私は思わず苦笑を洩らしていた。

「さあ、みなさん。上陸ですっちゃ」

 という彦左衛門の声に、我われは勢いよく立ちあがった。

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