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 その日は全く風がない日で、本当ならば風待ちをしたいような日であったがそうも言っておられず、帆はおろして漕ぎ手が一斉に船を漕いで進んだ。そのお蔭で、帆に風を受けて進むよりはいくぶん早く船は進んだ。そして兵士たちは常に甲冑を着け、武装した状態で待機しつつの航海であった。だが気持ち的にはもはや毛利領ではないとのことで、我われが甲板に出て景色を見るのも解禁になった。

 本当に島が多い海である。これからは四国ではなく四国の北の対岸の備前ビゼン下津井シモツイ瀬戸内セトウチに浮かぶちょっと大きめの島である小豆島ショードシマと泊まりを重ね、船は播磨ハリマ室津ムロツへと向かった。ここには多数の信徒クリスティアーニがいるとフロイス師が言ったこともあるし、また海上交通の要所でもあったので船宿も完備されているとの彦左衛門の助言もあってそこに停泊することとしいた。

 だが、室津に近づくと急に西風が吹き始め、かなりの強い風となった。この波穏やかな瀬戸内の上でこれほどの順風が吹くことはめったいないという。

「この追い風を逃す手はねえぞよ。明日になりよったらもう吹かんかもしれん。今日このまんま行けば堺に着くのもかなり早くなるっちゃ」

 ヴァリニャーノ師は不服そうだったが、彦左衛門にそう言われたら従うしかなかった。

「まあ、確かに今日は金曜日だし、万が一堺に着くのが枝の主日を過ぎてからだとまずい。急いだ方がいいかもしれない」

 ヴァリニャーノ師は自分で自分に言い聞かせるようにそうつぶやき、結局は室津への寄港は急遽取りやめとなった。


 帆いっぱいに風を受けて船はかなりの速さで進み、やがて夕刻前には目の前には陸地が横たわった。

 もう堺なのかと、誰もが思った。いくつかの山が乗るその陸地が横たわって、そこで海が終わったいるからだ。瀬戸内の海を地中海に例えるなら、いよいよユダヤの地に着いたのかもしれない。

 だが、我われの勘違いは初めてここに来た者ならだれでもあることのようで、フロイス師だけが笑っていた。

「あれは島ですよ、この瀬戸内の海でいちばん大きな島、淡路島アワジ・シマです」

 どう見ても行く手をふさぎ、海の終点を示すような大地が島なのだという。そう言われて見ると、向かって左手の方に陸の切れ目がある。

 船はその方へと進む。やがてほんの狭い海峡を船が通過すると、その向こうにはまた海が広がっていた。そして船は島の向こうへと回り込み、最後の宿泊地となろう場所へと進んでいた。

 船は最初に見えた位置からだと大きな島である淡路島アワジ・シマの向こう側にある岩屋イワヤという港に入った。もう翌日ははサカイだという。日出ヒディを出港した日を含めて、ちょうど十日目であった。


 実は私は、なんとかある機会をうかがっていた。どうにかして彦左衛門をつかまえて、彼が信じる一向宗イッコーシューとういう教えについてその内容を聞いてみたいと思っていたのだ。この日も船宿での夕食後に、私はふとそんなことを何気なく言ってみた。するとヴァリニャーノ師が、

「直接本人に聞いてみたらいい。我われに聞いても『悪魔崇拝だよ』としか言えないからね」

 と、言って笑った。フロイス師も私に向かって、

「都へ行ったら、あなたにも日本のあらゆる宗派の教義について学んでもらいます。私たちもそうしました。神道シントーゼン一向宗イッコーシュー法華宗ホッケシュー真言宗シンゴンシューなどいろいろありますけれどね。そうしないとそういった宗門の方々と話をして、そして我われの教えを伝えることもできませんから」

 と、言っていた。それを聞いて、

「たしかに、それは大切なことです」

 と、ヴァリニャーノ師もうなずいていた。

 そこで翌朝、船に乗ってから帆柱の下あたりで出航の準備をしていた彦左衛門を捕まえた。

「船頭さん、今日はいよいよ堺なのですね」

「はい。あんたどうも、ご苦労やったね」

 彦左衛門はよく日焼けした顔にしわを作って笑いながら、こちらを振り向いた。こんな明るくて陽気な、気さくな男も異教徒なのだ。こんなに近くで、しかも親しく、まるで長年の友人と接するかのように異教徒と話をするのは私は初めてであったし、何か不思議な感覚で、むしろ新鮮ですらあった。まだ司祭への召命を感じる以前の子供の頃は、自分が異教徒と会話をするなどという状況が自分の人生に訪れるなど夢にも思っていなかった。

「あ、ほんじゃあけん、遠い天竺テンジクかから来られたあんたどうにとっちはこれくらいの船旅はどげんちうこつはないかえ」

 天竺テンジクとは日本でのインジャに対する呼び方である。我われはマカオを経由してゴアから来たという触れ込みになっているので、日本人は皆我われをその天竺の人だと思っている。もっともっと遠くのローマとかポルトガルとか言っても、日本人には認知の範疇を超えてしまうのだ。

「ところで、ちょっとお聞きしたいのですが」

「なんな?」

「あなたの信じる一向宗イッコーシューとは、どのような教えなのですか?」

 最初はこれから何を聞かれるのかと少しだけ緊張していたような彦左衛門だったが、私の質問の内容を知ってまた顔をほころばせた。

「そげなこつかえ。一向宗イッコーシューちうのは他からの呼び名で、我われは自分たちを決しちそうは呼ばんに。真宗シンシュー、もしくは本願寺の門徒といいますけんど、まあ、何といいちょこうか、阿弥陀様アミダ・サマちうホトケ様を信じ、阿弥陀様にすがっち極楽往生ゴクラクオージョーすんこつかえね。わしも不勉強でよく説明できんけれど」

 彦左衛門はにこにこしてそういうが、特有の用語が出てきてしまうとよく分からない。

「ゴクラク?」

「死んでから行く、素晴らしい世界ですよ」

 我われのいう天国と同じなのだろうか。やはり、よく勉強してから聞いた方がよかったかもしれない。

「阿弥陀様にすがっち、その御名を『南無阿弥陀仏ナムアミダブツ』と唱えれば、極楽浄土に転生でくん。要は阿弥陀様が極楽に連れて行っちくださるちうわけや」

 そういえば以前に彦左衛門は「ナンマイダー、ナンマイダー」と唱えていたが、実際は「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」と唱えていたのがそう聞こえたのだということをこの時初めて知った。

「阿弥陀様とは?」

「何でん永遠の命と無限の光ちう意味で、すべてん人びとを平等に救おうとされちょる。その本願にすがっち救っち頂く、いや、もうすでに救われちょるっちこつを自覚すんけんすな。阿弥陀様にすがっち『南無阿弥陀仏ナムアミダブツ』を唱えた瞬間にもう救われちょるちうわけや。どげな罪深いしもじゃ。いや、罪深いしほど救われは早いと教わっちょりますに」

「では、死んだあとに救われるためにだけ、その、ナム、ナム…」

「『南無阿弥陀仏ナムアミダブツ』やあ。それを唱えるのを念仏ネンブツっちいいます」

「ああ、その死んだあとのためにだけネンブツするのですか?」

「いや、また、その難しいこつは分からせんのですがね」

 と、彦左衛門は笑って、

「ただ、口先だけで念仏を唱えればいいっちこつではなくて、報恩感謝の生活の現れが念仏なんやに。そうすれば、生きちょるうちに人生の目的は達せられる、救われるっちこつなんっち。ま、それ以上こまけえこつはちぃっと」

「はい、かたじけのうございます」

 私は礼を言って司祭団の元へ戻った。

「どうです? 分かりましたか?」

 フロイス師が薄ら笑いを浮かべて迎えてくれた。

「いや、分かったような分からないような」

 私もはにかんで笑っていた。

「よく勉強することです。日本のあらゆる宗派の教えを知ることも、トーレス神父パードレ・トーレスが提唱された適応主義の一環ですからね。相手の教義をよく理解し、その上でキリストの教えがいかに真理であるかを伝えなくてはいけない。そうしないで、やみくもに『キリストの教えは正しい』と主張したって、誰も聞く耳を持ちませんよ」

 そのフロイス師の言葉に、またもやヴァリニャーノ師はうなずいていた。

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