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 その晩は、その五郎殿の本陣ホンジン、すなわち作戦本部で眠った。五郎殿たちもここで寝泊まりしているという。本陣とはいっても本来は民家であり、無人なのをいいことに勝手に入りこんで本陣にしているだけだ。しかもまだここで寝られるのはいいが、一般の兵隊たちはもう半月以上もこの周りで野宿しているのである。

 食事は城の中の兵士たちと違って、ここでは十分に与えられる。だがやはりその屎尿の処理が行きとどいておらず、城の中ばかりか村中にも悪臭が漂っていた。

 夜になるともうすっかり涼しくなり、虫の声がけたたましい。空には半月が中天に輝いていた。


 翌朝、陣営がやたら騒がしいので目を覚ますと、兵士たちは慌てふためいて走り回っている。五郎殿ももう起きていてすでに鎧を身に付け、

「落ち着け。落ち着くんだ。こういうことも手は打ってある」

 と、人びとに下知していた。

 そして我われの姿を見ると、

「海岸へ行ってみましょう」

 と、誘ってきた。この日は日曜日、すなわち主日なのでミサを捧げたいと思っていたが、どうもそれどころではないようだ。

 警護の兵の数名に囲まれた五郎殿と共に、我われも歩いてすぐの海岸に出た。

 沖には昨日我われをここへ運んでくれた船手衆の船が停泊しているはずだったが、さらにその向こうにおびただしい数の船団がこっちへ向かって来るのが見えた。

「あれは毛利の船手衆だ。親貫め。毛利モーリに援軍を要請したな」

 と、五郎殿が言っていた。毛利モーリとはこの海の向こう、昔ザビエル師の布教の中心地だった山口ヤマグチを含む地域の殿トノである。その毛利モーリからの船手衆が、大友オートモへの反乱軍を支援するためにやってきたのだという。

 そこでそのまま、この海岸に幕が張られ、五郎殿が座る小さな腰掛けが中央に据えられた新たな本陣が作られた。五郎殿はしっかりと兜までかぶり、その腰かけに腰を下ろしてじっと沖を見ていた。

 やがて戦いの歓声が上がり、たどり着いた毛利の船手衆に対して、若林殿の船手衆が戦いを挑んでいた。

 銃撃の音、ひいては大砲の音までが海上から響き、船と船の間に何本もの水柱が立っているのも見えた。

 戦争が打ち続くこの国に来て、これが私にとって初めて見る戦争の場面となった。しかもそれは、海戦だった。否、この国に来てからというのは正確ではない。日本でもエウローパでも私が生まれてこのかた、話の上ではなく直接この目で実際に見た戦争というものはこれが初めてだった。だからしばらくは茫然として、人の命の殺戮劇を見ていた。それが遠くの海戦であったため「目の前で」というわけではないことだけが幸いだった。

 一時間ほど戦闘は続いてだろうか、毛利の船手衆はどんどん後方へと退却を始めているようだ。


 午前中には片が付いた。

 時間としてはそう長くはなかったが、私にとっての衝撃は大きかった。足が震えて止まらない。話によればヴァリニャーノ師ら三人は私が日本に来る前に有馬における有馬の殿と竜造寺殿との戦争を間近で目撃しているというから、初めて戦争を見るのは私だけなのだ。

 

 その日の夕方、若林殿の船手衆は一度府内に戻るというので、我われはまた便乗させてもらうことになった。

 漕ぎ手以外の兵隊で特に負傷のないものはここに残していくというので、船内はけが人ばかりとなったが、来る時よりは若干船上の空間に余裕があった。しかし、足や腕に銃弾を受けたり破裂した船の破片で負傷した者など、白布で応急手当はしているもののそれでも血は止まらず、甲板の上は赤く染まり、あちこちに転がっている兵隊たちからのうなり声が船の上に充満していた。

 たどりつくまでの三時間、我われ四人はひと固まりとなってひたすら祈りを捧げていた。もう何をどう祈っていいのか分からないという感じなので、とりあえずヴァリニャーノ師がロザリオを取り出して十字を切り「使徒信条クレド」「主祷文パーテル・ノステル」から初めて「天使祝詞アヴェ・マリア」へと続く連環の祈りを唱え続けていた。

 やがて府内に着くと、負傷者は真っ先に病院へと搬送されることになった。

 実はその病院とは教会と隣接し、ちょうど大友屋敷と教会の間にあるのだが、ヴァリニャーノ師が府内に行ったらぜひ見学したいと言っていた病院だった。病院の敷地の南半分には孤児院もあり、また墓地もあった。そしてそれらを運営しているのはリスボンに本拠地のある信徒互助組織の慈善団体「聖なる慈悲の家サンタ・カーサ・デラ・ミゼルコルディア」の、いわば日本支部だ。そして、その日本の「ミゼルコルディア」の創立者こそが、今は口之津クチノツにいるアルメイダ師なのであった。

 そのことはマカオで当時はまだ修道士だったアルメイダ師とともにマカオのカルネイロ司教と談話中、カルネイロ司教がポロリと言われたのを思い出す。マカオの同組織のマカオ支部を発足させたカルネイロ司教と、日本で発足させたアルメイダ師は、いわば同じ業績を持つということになる。

 船から負傷者を下ろして病院へ運ぶのを手伝いがてら、我われはその足で病院に向かった。病院の建物の中央の屋根の上にはかなり大きな十字架があって、かなり遠くからでもその十字架は見えた。ヴァリニャーノ師が見学するつもりでいたというのだからこの府内滞在中にいつかはここを訪れたであろうが、けが人の搬送の手助けというまさかこのような形で来ることになるとは思わなかった。

 この病院は日本で初めてエウローパ式の医学で治療を行う病院として、多くの人がここを訪れているという。それに、マカオで司教から聞いた話では、アルメイダ師自身がイエズス会に入る前は商人であったばかりではなく医師の資格も持っているということだったが、そのアルメイダ師も修道士時代に自らここで医療行為に当たっていたそうだ。しかもその頃のアルメイダ師は、ちょうど今の私と同じ年くらいだったという。

 建物の外見は全くの日本家屋の屋敷で、中の部屋も畳だったり板張りだったりでそのままの部屋だったが、そこには多くの病人が布団に入って横になっていた。ここがもともとは府内の教会で、ドン・フランシスコから今の教会の土地と建物を献堂されて教会が今の所へ移ってから、その元教会が病院になったのだという。

 てきぱきと人びとを指示して医療行為に当たっているのは、皆日本人であった。ポルトガル人の医師は二人しかいないという。総ての薬品をゴア、マカオ経由でポルトガルからここへ取り寄せるのは至難の技で、一部は日本の地に生える薬草や、チーナの医学の薬も用いているということだった。当初は我われの技術による外科手術は、日本人の目には魔法に映ったらしい。

 その病院に隣接する「ミゼルコルディア」の建物も、当然日本建築の屋敷だった。ここでヴォロンタリアート( ボ ラ ン テ ィ ア )で働いているのもすべて日本人の信徒クリスティアーニであった。「ミゼルコルディア」の規則により、聖職者はその中で働くことはできないのだ。だがエウローパ各地のこの団体の互いの結束が、教会を陰から支えているともいえた。

 だが、日本においては別の意味があった。

 それについて教会に帰ってから、ヴァリニャーノ師が我われ三人に語ってくれた。

 つまりは福音書にあるように、「飢えているもの、渇いているもの、宿に困っている旅人、着る者もなく裸のもの、病気のもの、囚われのもの」などの弱者に手を差し伸べるというキリストの根本精神によるものであることは間違いないが、日本ではさらにそれが福音宣教の手立てでもあったのだという。

 たしかにキリストも使徒を宣教に派遣するとき、「汝ら行きてまず病める者を癒せ。しかる後に福音をつたえよ」と述べておられる。だが、使徒の時代はまだ奇跡の業があった時代なのだ。彼らは手をかざせば病は癒され、目の見えぬ者は見え、耳の聞こえない者は聞こえるようになり、歩けなかったものが歩いた。だが、今はそのような時代ではない。

「どうしても、病院に来るのは病気の人だけですからね。そのような人たちに福音を伝えるのはもちろんとても大事だけれど、それだけでは福音宣教は伸びない。健康な人は、福音を聞く機会を奪われてしまうのです」

 そうしたこともあって、この病院は病院として続けて行くけれども、日本における福音宣教の方針と針路は、影響力の大きい領主クラスの人の改宗へとベルサーリオ( タ ー ゲ ッ ト )を向けることになったということだった。その延長線上に今がある。だから私が来てからも有馬の殿に会い、昨日は大友の殿に会った。

 そして、次に会うべき人は分かっている。隠居したとはいえまだまだ実質上はこの豊後ブンゴの領主である大友宗麟オートモ・ソーリンドン・フランシスコだ。


 ドン・フランシスコはこの府内ではなく、ここから南に七時間ほど歩いた所にある臼杵ウスキという町にいるという。そこも港町だが、そこにも教会がある。府内に続いて豊後の第二の都市ともいえる町だそうで、ヴァリニャーノ師は豊後の協議会は臼杵でと考えているようだ。

 だから、早く臼杵へ行くべきなのだが、ヴァリニャーノ師には何か考えがあるようで、臼杵へ行くのはあと一週間ほど待てと我われに告げた。

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