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 その一週間の間に、ヴァリニャーノ師は豊後の全教会の司祭たちに協議会の招集の手紙を書き送っていた。

 次の日曜日の主日のミサは、あの海戦から一週間目だった。司祭館の屋敷の敷地内の御聖堂おみどうには朝から次々と町中の信徒クリスティアーニが押しかけ、有馬と同様にここでも全員が聖堂に入りきれない状態だった。司式司祭はヴァリニャーノ師だが、ほか私を含めすべての司祭が登壇した。ここでも日本人少年の聖歌隊による聖歌の合唱が見事だった。

 この教会では十数年前からナターレ(クリスマス)には日本人信徒による聖劇や、聖歌隊の合唱、ヴィエラ・ダ・アルコという弓で弾く弦楽器の演奏などが披露されていたという。

 そして我われが安岐アキで海戦を目撃してからちょうど十日後、この日は風が強い日だった。知らせによると、毛利の船手衆はさらに数を増やして、再度安岐城下に押し寄せたそうだ。それより先に若林殿の船手衆は再出撃していたが、再び激戦になったという。しかし、今回は折しもの強風に毛利の船手衆は体勢を崩し、その大部分を若林殿の船手衆は撃沈せしめたという。

 人びとはその風をカミの風と呼んだが、我われにしてはまさしく『天主ディオの風』であった。これで安岐城への物資食料の補給ペルコルソ( ル ー ト )は断たれたことになるので、落城も時間の問題だということであった。

 こうなると、豊後ブンゴの地域の平和も恒久的なものになると安心したかったが、まだまだ佐賀サガ竜造寺リューゾージ薩摩サツマ島津シマヅと、大友オートモの敵は多い。いずれも今はとりあえずの小康状態が続いているにすぎないようだった。


 そして十月に入ると、我われは臼杵へと向かった。気候は急速に、昼間でも涼しくなっていた。

 府内から臼杵までは朝出発すれば、夕刻までには着ける距離だという。府内も臼杵も海沿いにある港町だが、海岸線にそって行くと間にある小さな半島の先端までぐるりと回ることになりかなりの遠回りとなるので、普通はほぼ直線距離である半島の付け根の峠道を越えていくことになるという。

 ヴァリニャーノ師とメシア師、トスカネロ兄、私のほかにカブラル師、フロイス師、フィゲイレド師、ラモン師の総勢八人が馬で、あとにヤスフェがまた同行していた。

 これで府内の司祭は全員臼杵に行ってしまうわけで、留守は修道士たちに預けてきた。十人ほどいる修道士は全員がポルトガル人で、四十代半ばのクラスト兄以外は皆二十代前半の若者だった。中には本国のポルトガルに行ったことがなく、ゴアで生まれ育ったというポルトガル人も含まれていた。

 そんな修道士たちに後を託してきた我われ司祭団が進む道は、二時間ほどは平坦な土地を山の方へ向かって進んでいた。のどかで素朴な田園風景が広がり、田の稲もだいぶ色が緑から黄金色に変わり始めている。民家はほとんどなく、時々地主階級の家かと思われるような蔵のある農家に出くわすくらいだった。

 やがて山にぶつかると、これから後は峠道だ。なだらかに登って行くのであまり峠ということは感じないが、それでも山に囲まれた山間部を道は続く。

 夕刻、道が下り坂になり、また周りに田んぼが見え始めて平らになり、川沿いに道は進むようになると臼杵はもうすぐだという。そして共に歩んできた川から離れて右に折れ、しばらく行くともう少し大きな別の川にぶつかり、その川を渡るとすぐ川岸に屋根の上の十字架のある教会があった。ここでも建物自体は日本式家屋で、十字架だけが教会であることを示していた。

 府内の教会のように塀にかこまれた屋敷ではない。教会の前を流れる川にはちょうど教会の前の所に小さな中州があって島のようになっており、川はその右手ですぐに河口となって海に注いでいる。

 ひと頃よりはもうすっかり日が短くなり始めており、着いた時点でかなり暗くなっていたので休む暇もなくすぐ夕食の準備ができていると案内された。我われを迎えてくれたのはゴンサーロ・ラベロ師とアントニーノ師の両司祭で、二人ともほぼ私と同世代であり、アントニーノ師は私と同郷だった。

 ほか、かなりの数の修道士がいた。ここに普段よりも司祭が八人増えたのだが、さらにこれから協議会のために何人かの司祭が合流する。賄いの日本人信徒クリスティアーニの女性たちも大変だなと思わず同情してしまったりした。

 食事は私とトスカネロ兄、そしてアントニーノ師の三人で、もうここは神学校のある有馬ではないので思う存分イタリア語で盛り上がった。イエズス会にはいろいろな国の人が参加しており、本部はローマにあってそのローマのジェズ教会ではそのようなことはなかったが、いざ海外に出るとやはり共通語はポルトガル語になってしまう。日本に来ているイエズス会士のほとんどがポルトガル人なのだから、仕方がないといえば仕方がなかった。

 翌日は日曜日で、午前中は主日のミサがあった。ここでも日本人信徒が次々に押し寄せ、御聖堂はいっぱいになった。

 そのあとの午後には、ヴァリニャーノ師がついに大友宗麟ドン・フランシスコに初めて会いに行くことになっている。いつものメシア師、トスカネロ兄と私、およびフロイス師が同行するが、ここでもカブラル師は我われとは行動を共にしなかった。

 この臼杵の教会はもともとカブラル師の所属する教会であり、彼は「帰ってきた」わけだし、プリバート(プライベート)な自室も持っている。それにしても同じ教会の屋根の下にいながら我われ、正確にはヴァリニャーノ師と顔を合わせようともしないカブラル師だけに、彼は口に出してこそ言わないが有馬から豊後までの旅も仕方なく我われと同行していただけで、もう勘弁してほしいというのが彼の本音ではないかとさえ勘ぐってしまう。

 そんなことをぽろりと口にしてしまい、ヴァリニャーノ師からは叱られるかと思ったら、

「いや、私も息が詰まる思いだったよ」

 と、師も笑っていた。

 府内のように屋敷は教会の隣というわけではなかった。我われは徒歩で教会を出て、町中のほぼ一本道を歩いた。左右は商家が立ち並び、臼杵の町でも一番賑やかな通りのようだった。我われが歩く道はまっすぐな道だが、曲がり角のたびに左右を見てもここは府内のようにまっすぐな道が縦横にきれいにそろっているわけではなく、これまで見た多くの町と同様に道が複雑に入り組む町のようだ。

 平らな部分はそう広くはなくすぐ近くの三方を山で囲まれ、また小高い丘の上まで坂道で町は続いている。町の規模は三千人ほどの人口があるかと思われ、海がある以外は地形的にどことなくローマを連想させた。

 七分ほど歩くと海に出くわした。ここも大きな湾のいちばん奥に当たるらしい。右にも左も岬がすっと海へと突き出している。岬の上は海岸からすぐに山になっている。そんな海辺の目の前に、今までに見たこともないような巨大な軍艦が停泊しているのかと一瞬思うような岩石でできた大きな丘が海の上にあった。よく見るとそれは、洋上に浮かぶ楕円形の島であった。周囲は岩による断崖絶壁で、なぜこのようなものが自然にできたのか……その造物の妙に我われの誰もが舌を巻いていた。

 そしてその島は、楕円形の付け根の部分でかろうじて短い橋によって陸地とつながっていた。

 さらに驚いたことに岩石の断崖の上に人工の石を積んだいわば石垣イシガキと白い塀が、島の周囲に張り巡らされていた。その上に建物の屋根も見える。

「驚くでしょう、普通」

 そんな我われの様子を見て、めったに笑わないフロイス師も笑っていた。

「私も初めて見たときは、ドン・フランシスコの将来を見据えて『天主デウス』がお与え賜った自然の要塞かと思いましたよ」

「すると、この上が?」

 ヴァリニャーノ師の問いに、フロイス師はうなずいた。

「はい。ドン・フランシスコのシロです」

 府内の町中にあった大友の殿の屋敷とは全く異なり、これは間違いなく要塞、つまりシロ(カステロ)であった。だいたいこの国のシロは小高い丘か山の上であるが、このような海に突き出た島の上の崖の上というのは初めてだ。しかも人工の島ではなく自然の島だ。

「皆さんがシモからここに来る間に、大きな火山の阿蘇アソの山を見たでしょう? あの山が噴火した時の溶岩流でできたといわれています」

 そうすると、あんな遠くから空を飛んできた巨大な岩石がここに落ちたということになる。まさしく『天主デウス』のみ手によったものとしかいえないだろう。

 我われは三方を海に囲まれたこの城の唯一の陸地との接点にある門を入った。今でこそ橋がかかっているが、自然の状態のときは潮が引いた時だけ陸続きになり、満潮の時は海に浮かぶ独立した島となったのだという。だから、これまで見てきたシロにあった石垣を囲む人工の水溝であるお堀オホリは必要ないということになる。

 門のところからは何人かの武士サムライが我われを出迎えに出てくれていて、中まで案内してくれた。

 まずは橋を渡るとすぐに島の断崖がそびえている。その上まで登る人工の石段をまずは昇らないといけない。かなり苦労だった。

 我われの国であればにこやかに笑ってあれこれ話しながら案内してくれるのがいちばんの歓迎だが、この国では違う。武士サムライは腰を折って深々と頭を下げ、

「お待ち申しておりました。ご案内致す」

 と、にこりともせず歓迎の意を述べ、あとは動作を優雅に丁寧にして無言で我われの先を歩く、これが歓迎になる。

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