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 それからというもの、私は毎日修練院ノビツィアードの聖堂で祈った。

 司教はすぐにでも船の便があり次第、マラッカにオリーブ油を取り寄せるための書簡を送る手はずを整えたが、予定通りの復活祭での叙階式というのはもはや物理的に不可能であった。

 それでも私は祈った。

 ちょうど霊操で身につけたばかりの、『天主ディオ』との対話という方式で祈った。

 まずは司祭となって日本に赴かなければ、福音宣教の活動も制限されてしまう。だが、今自分と共に叙階しようとしている諸兄はそのような限定された条件下でも日本で十年も二十年も、あるいはアルメイダ兄のように三十年も福音宣教に従事して来られた方たちである。その方たちがやっと叙階を受けようという時のこの障害を取り除いてくださるのは『天主ディオ』のお力以外にはないと、もう頭から湯気が出るのではないかと思われるくらいに毎日毎日私は祈った。

 自分のためだけではなく、すでに日本で福音に従事して来られた諸先輩方のために祈った。

 そこにあったのは、『天主ディオ』に対する絶対的な信頼であった。

 それでも『天主ディオ』は霊操の時と同様、沈黙を保たれたままだった。

 

 そうして祈り続ける日が過ぎていき、マカオの町もかなり春らしい様相を呈してきた。

 いつしかもう、三月の中旬を過ぎていた。復活祭まであと半月しかないが、そんなある日、とうとう結論が下された。

 皆を集めた席で、アルメイダ兄は厳かに言った。

「ここはやはりゴアまで行って、叙階を受けようではないか」

 誰もが涙を流しながらも、それに賛同した。だが少し間をおいてから、

コニージョ兄イルマン・コニージョ、あなたはどうします?」

 と、私に聞いてきた。そう、私だけ彼らとは立場が違うのだ。

 だが、何も考えないうちに、私の口はほとんど勝手に答えを言っていた。かつてはいろいろと悩んだりもしたが、今となっては答えはひとつだったからだ。

「私は日本へまいります」

 この私の決意にも、誰もが納得したようにうなずいていた。さらに私は話を続けた。

「私の目的、いえ、『天主デウス』が私にお与えになった使命は日本の地での福音宣教に他なりません。ここでゴアに逆戻りして日本へ行く時期を遅らせるのは、み意にかなっているとは思えないのです。皆さんは司祭に叙階されるためにマカオに来られたのですから、その目的を果たすためにさらにゴアに赴くのは仕方がないことだし、また当然のことだと思います。でも、私の場合は違う。ここで皆さんとはお別れすることになりますけれど、単身で日本に渡るべきだと思うのです。日本では司祭にはなれないでしょうし、いつまたこのマカオに来て叙階を受ける機会があるかは分かりませんが、今は私が司祭になるかどうかよりも日本での福音宣教の方が先だと思うのです」

 最初はサンチェス兄が、次にアルメイダ兄が拍手をしてくれて、それはすぐに全員に広がった。

「先に日本に行って待っていてください。我われもなるべく早く日本に向かいますから」

 サンチェス兄が、涙ながらにそう言って手を握ってくれた。

 そうなると、どうしてもマカオでこの復活祭に叙階をというこだわりは吹っ切れ、一切の執着は断ち切れた。その分、私もそうだったが彼らもだいぶ心が軽くなったようだった。

「どんな状況でも、すべて『天主デウス』のみ意のままです」

 アルメイダ兄がそう言って何度もうなずいた。すべてが『天主ディオ』のみ摂理としてあるがままに受け入れる。そこには『天主ディオ』の計り知れない遠謀がおありになるに違いないからだ。だから、もはやマカオの復活祭での叙階を願う祈りはしなくなったが、それでも『天主ディオ』に対する絶対的な信頼は何一つ揺るぐことはなかった。


 するとその翌日のことである。

 司教座の方に数名の、イエズス会とは別の修道会に属する司祭や修道士が訪ねて来ているという知らせを受けた。彼らはチーナ大陸の方から陸路マカオに到着したということで、その知らせに私は奇異な感じを受けたのである。

 そもそもイエズス会がマカオに教会を建てているのは、チーナ大陸への福音宣教の基地とするのが目的であった。だがチーナ大陸を領有しているミングという国はかなり強硬に国を閉ざしており、外来勢力が入りこむのには大きな壁があった。このマカオの司教座からもミングへの福音宣教はほとんど足踏み状態になっているのである。それを明のあるチーナ大陸の方から宣教団がマカオに来たというのはどうにも不思議な話である。

 その日のうちに、いろいろと情報は修練院ノビツィアードへももたらされた。

 彼らはカプチン会の司祭と修道士ということであった。カプチン会とはフランシスコ会から分派した修道会で、かつては教皇領やナポリ公国などイタリア半島内でのみ活動が許されていたが、五、六年前にその禁が解けて今やスパーニャなど世界に広がっている。そして今やそのスパーニャが領有するヌエバ・エスパーニャ(ポルトガル語でノバ・イスパニア新しいイスパニア=かつてアステカ文明が栄えた地)にも多くの修道院を有し、彼らはそのヌエバ・エスパーニャから来たスパーニャ人だということであった。

 その彼らがチーナ大陸の方からやってきた理由はミング広東カントンでの福音宣教を志して太洋はるばる西へと渡ってきたが、どうにも明の国の壁は厚く、ついに挫折してこのマカオへ退去してきたとのことであった。スパーニャ人だからスパーニャが領有するマニラに行きたかっただろうが、マニラまでは海を越えねばならず船の定期便もない。広東からマカオなら地続きで、徒歩でも一週間くらいで着く距離だという。それでとりあえずマカオを訪れたとのことであった。

 マカオには当然彼らの修道会はなかったが、彼らは異端というわけでもなく同じ教皇様に属する公教会カトリコの別の修道会というだけのことなので、イエズス会としても歓迎して我が修練院ノビツィアードに逗留してもらうことになった。

 彼らが修練院に到着した時にあいさつしてその風貌を見たが、茶色い僧服に先がとがった頭巾カプッチョを一様にかぶっているのが印象的で、それが「カプチン」という会の名前の由来にもなっているという。そのあと彼らは司教座での歓迎の宴に呼ばれていったが、アルメイダ兄が興奮した状態で私の部屋に駆け込んできたのはその宴も終わったであろうと思われる頃の時刻であった。

「みんな、みんな集まってください。朗報です!」

 その言葉通り、正確には私だけでなく他の日本からの助祭たちすべての部屋をイルマンは回っていたようで、広間に集まった我われにアルメイダ兄は説明を始めた。


 話は司教が催したカプチン会士たちの歓迎の宴のことで、宴では最初は広東における布教の様子に終始しており、特にこれからチーナ大陸での福音宣教を志すルッジェーリ師が中心となってあれこれ聞きだしていたようだが、が、やがてこの地での料理の味付けや、このチーナの料理についてのことに話題が移っていったという。その中で話が食用の油のことに及び、チーナでは動物脂ラルドやごまの油しかないということになって、司教がこの地ではオリーブ油が手に入らないことに言及されたという。

 そしてひょんなことから、彼らがオリーブ油を所持しているということが分かったということであった。さっそく司教が今のこの状況、すなわちオリーブ油がないために司祭叙階式ができずにいることを話すと、彼らはオリーブ油を提供してくれることを快諾してくれたとのことだった。

「『天主様ディオ!』」

 と思わず私は故郷の言葉で天を仰いで叫び、それから地に伏した。ほかの皆も手を取り合って飛び跳ねたり、アルメイダ兄は号泣していた。

 ひとしきりの興奮の後、司教座から使いの修道士が来て、明朝全員司教座に集まるようにとの旨を知らせてきた。もはや用件は行かずとも分かっている。まさしくそれは「よき知らせヴァンジェーロ」であった。

 その足で私は聖堂に向かった。そこでひざまずいて、涙と共に祈った。

 『天主ディオ』は沈黙などなさってはおられなかった。言葉での問いかけや対話には沈黙を守って来られた『天主ディオ』だが、まぎれもなく『天主ディオ』は実在しておられることを痛感した。『天主ディオ』は人間の思惑とは別のところで実在しておられる。そして強く祈れば必ず動いてくださる。『天主ディオ』におできにならないことは何もない。天地の創造主、全能の父である『天主ディオ』なのだから、できないことがあるはずがない。

 そんなことを、これほどまでに強く感じたことはなかった。

 全智全能の『天主ディオ』はまさしく『在りて有るものエゴ・スム・クイ・スム』、すなわち「厳としてお在します有力光」、実在してすべての力をお持ちのお方なのである。沈黙どころか、こんなにも雄弁に『天主ディオ』はご自身の実在をお示しくださった。

 私は顔が涙にぐしゃぐしゃになりながら、感動のうちに感謝の祈りを捧げ続けていた。

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