とある司祭(パードレ)の憂鬱(メランコリア) ~聖なる侵略者~

John B. Rabitan

Capitolo 1 日本への航海 (Un viaggio in Giappone)

Episodio 1 旅立ち(Roma~Lisbona)

「私の意図するところは、異教の地を悉く福音化することである」(イエズス会創設者・イグナチオ・ロヨラ)


           ※      ※      ※


 私がイエズス会に入会して初めてこの天使像を見たのは、四年も前のことだった。その頃、ローマのこのイエズス・キリストの聖なる御名の教会はまだ建築中だった。

 巨大な伽藍も今はかなり完成しつつはあるが、それでもまだ建築は終わっていない。やがてここが完成したら、我らイエズス会の母教会になると神父様プレーテ方はおっしゃる。だが私はこの目で、その完成の日を見ることはないであろう。この天使像も、今日が見納めなのだ。

 明日になったら私、つまりジョバンニ・バプテスタ・コニージョ神学生は、ローマを離れてポルトガルのリスボンへ行く。言葉もよく通じない西の果ての国の町、リスボン。しかし、そのリスボンからは、もっともっと遠くへの長い長い船旅が私を待っている。

 

 天使像があるのは聖堂ではなく、聖堂の入り口の右手にあるいわば司祭をはじめイエズス会士の居住する司祭館の建物の一室だ。他の部屋よりかは幾分大きな造りになってはいるが、それでも小ぢんまりとした部屋である。なにしろまだ建築中の教会なので、廊下のあちこちに造りかけの天使像や聖人像、絵画などが無造作に置かれていたりする。

 私が四年前に初めてこの天使像を見た時、その異様な姿態は十分に私を驚かせた。天使像自体はどこにでもあるような普通の天使なのだが、異様なのはその足元だった。

 何かを踏みつけている。

 蛇に化けた悪魔などではなく、人だ。天使が人を踏みつけている。向かって右の天使が踏んでいるのは、ローマ公教会に属さない異端教会の牧師パストーレたちである。これはわかる。異様なのは向かって左で、見たこともないような服装の僧侶モナーコたちで、手には本を抱えている。その本の表紙にはローマの文字だけれども、「Camiカミ Fotoqueホトケ」という、聞いたこともないような言葉が刻まれていた。

 同じ部屋にいた先輩の司祭に、その意味を聞いてみた。

「異教徒が崇拝する悪魔の名だよ」

 さらりと先輩は言う。その時私は、背中にうすら寒いものが走ったのを覚えている。

「どこの国の異教徒ですか」

Giapponeジャポネ

 私ははっとした。

 日本ジャポネといえば、私がその名を初めて耳にした時は「Zipanguジパング」という呼称でであった。遠い東の果てにある黄金の島、それが人びとの中に普遍的にあるZipanguのイマージネ(イメージ)だ。そのイマージネの出所は『Ilイル Milioneミリオーネ』という一冊の本で、書かれてからすでに二百八十年近くがたっているが、今のローマではたとえ読んだことがなくてもタイトルくらいは誰でも知っている有名な本である。

「その黄金の島に、異教徒がいるんですか?」

「そりゃいるだろうよ」

 先輩はうすら笑いを浮かべた。

 

 それから四年の月日が流れた今、私はその黄金の島「Zipangu」に向けて旅立とうとしている。イエズス会の神学生として、その黄金の島の異教徒に福音を告げ知らせ、魂を救済するために。

 時にキリストご聖誕から1578年目の一月のことであった。

 イエズス会では神学生といえども、実際に数年間司祭と共に使徒職に従事しなければいけない。今年二十八になる私であるが、これからの人生を教育、社会正義とともにイエズス会の目的の一つである福音宣教に捧げるつもりで志願したのだ。ただ、志願をしたからとて簡単に許されるものでもない。それが降ってわいたような日本行きの話に、私は目に見えない大きな何かの力を感じていた。

 旅立ちは慎ましやかに、あっけないものだった。ただ、北風が強くて、やたら寒い日であった。

 同行するマテオという神学生とともに聖堂にて祈りを捧げ、その聖堂の入り口から外に出た。マテオはずっと、同じ修練院ノビツィアードで学んできた仲だ。

 教会の静寂の中から一歩外へ出ると、たった一枚の壁を隔ててそこはまだ早朝だというのに喧騒の世界だった。特にこのジェズ教会の周りはローマでも一番騒がしい場所で、建物も重なるようにごちゃごちゃと建っている。人通りも多い。そんな雑踏の中で、母と兄が私を見送るために待っていてくれた。特に教会の造りからここは、聖堂の中と外の俗世とは一枚の扉板で仕切られているだけなのだ。

「ジョバンニ!」

 私の名を呼ぶ母は泣いていた。しきりにそれを兄がたしなめる。

お母さんマンマ

 私も優しく母の両肩に手を置いた。

 「私はどこにでも行かなければならない。地の果てにでも。全世界のすべての創られし者に救いの訪れのよき知らせを告げなければならないのです」

 母は涙ながらに何度もうなずいていた。頭では私の言わんということは分かっているようだったが、感情が彼女の目からどんどんと涙をあふれさせていたのだ。

「せめて、体には気をつけて。そして、必ず帰ってきておくれ、ジョバンニ」

 私がイエズス会に入会した時点で、もうすでにここへは二度と帰らない覚悟であったことも母は知っているだろう。修道会へ入るということは、そういうことなのだ。だが、私はあえてそれは言わず、

「必ず帰ってきますから、お母さんもそれまでお元気で」

 と言いながら、二度と会うこともないであろう母の顔を見つめた。

 そして教会を見上げた。そんな見上げるような大きい教会ではない。ただその正面ファチャータは他に類を見ないバロック様式であった。そんな見納めとして教会の姿を私は目に焼き付け、母や兄と別れて歩きだした。まずは港を目指す。今日、リスボンまでの船旅が始まる。

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