第3章
「サツに邪魔された」
昼休み。自席で弁当を開き、おかずの金平ゴボウを頬張ろうと箸を上げる僕を遮るかのようにして草子が割り込んできた。
さて、この場合のサツとは警察のことなのだろうか。しかし普通の男子高校生は警察のことをサツなどとはおそらく言いはしないだろう。もしかしたら草子が言うサツとは、風水でいう所の周囲にある悪い気を表すサツなのではないだろうか? いやしかし草子は風水など知りもしないだろうし、それこそ普通の男子高校生が言うことではない。ではもし仮に前者であるとするならば、八十年代の刑事ドラマに憧れを抱いたマニアか、よっぽど頭の弱い奴でなければ警察をサツなどと言わないはずだ。ああ、そういえば。
「お前はよっぽど頭の弱い奴だったな」
何事もなかったように摘んだ金平ゴボウを口に入れる。
「ぅせーよ、このクソ眼鏡。話も聞かずにいきなり馬鹿にしやがって。昼時ぐらいもっと穏やかにしていやがれっての」
「いきなり『サツに邪魔された』なんて物騒なことを言う奴よりははるかに穏やかだと自負している」
草子は僕の前の席で静かにご飯を食べていた寡黙な女子を顎で退かすと、ドカッと陣取り不満な顔する。どうやら口では僕に勝てないのだと悟ったのだろう。
とりあえず、無言で去って行った女子へ謝ることにしよう、心の中で。すまない、と。
草子は、その乱暴な口調とは裏腹に、女の子のような男子高校生だった。無論、外見のみである。伸長は一四十センチに届かず、顔つきはやや女子よりの中性顔。瞳は緩やかな吊り目をしていて愛らしく、目耳をかすめる程度の長さに切りそろえられた色素の薄い灰色の髪と綺麗な線の入った鼻筋は、見る者に幼さを思わせた。愛想を良くして女装でもすれば、女子小学生と見間違うほどの可愛らしい容姿だった。これで頭さえ悪くなければ誰もが憧れるバラ色の高校生活を送れそうな気がするのだが、本人にその気はないようで、性格は至って男子そのもの。いや、むしろ独りごちった意味も含めればここはやはり狂犬だろう。粗暴で口汚い。傍若無人の鉄面皮。常識や理性よりも感情を優先するタイプ。家に来なければ、僕の一生涯に一度も関わりを持たないであろうジャンルの人間だった。だけれど、こうして今も一緒に食事をしているのは、僕と草子とが行動をする方向性が少しだけ共通していたことに他ならない。
「しかしだ、言葉だけだな、お前は」
「言ってろ。トオルがどう言おうがそれでもオレは誰よりも先にアイツを見つけ出す」
言うは易し行うは難し、と口にしようとしたが、これ以上苛めるのも可哀そうなので止めておいた。
「ふーん、まぁ、期待しないで待ってるよ。で、今日はどうだった?」
「あー、えっと、いつもと同じ。また一匹だった」
やや間を置き、言いよどむ調子で語り出す。かなり情緒不安定な言葉と内容だったが、あらましは次の通りだった。
出だしはすこぶる快調で、悲鳴を辿り一分足らずで現場に到着。そこは小川沿いにある廃墟同然の公園で、事はすでに起こった後だった。そして悲鳴もそこで途切れて消えていたという。
辺りを見回し人気を確かめたが誰もおらず、悲鳴の痕跡も視えなかった。
最初に目がいったのは、寂しげな公園の中央に位置する藤棚。いや、正しくは炭と焼け跡とに化した藤棚であったモノ。四方のコンクリートの柱は内部にある鉄筋が露出し、大量の墨をぶちまけたかのように地面までもが黒く変色、下にあったであろうベンチは座と背が焼け焦げ原型すら保っていなかった。まるで藤棚全体を特大のガスバーナーで一気に熱したかのような有様。ベンチがベンチであると分かったのは、辛うじて残っていた鉄製の脚と金具からだった。所々がどろりと溶解し煤けていたらしいが。
その様相から連続している放火魔にやられたのは明白だった。
念の為、確認をするべく藤棚に歩み寄ると、傍らに本当の意味での残骸が転がっているのに気が付いた。
平然と地面に投げ置かれた赤黒い塊。生物が焼け
けれども、どうしてそんなモノがなくてはならないのか草子には理解ができなかった。予測はしていたらしい。今までの現場でも同様ものが焼かれていたのだから、いずれはこういうモノにも出くわすのではないだろうかと。しかし、幸いと言うべきか、きょう日までそれはなかった。事を察知し駆けつけた時には警察に片づけられていたからだ。草子の対面する覚悟は万全だった。動じない心構えも整えていた。半ば期待もしていた。
がしかし、その、あまりにも生物の死に方にそぐわない焼死体を目の当たりにした瞬間、怒りや嘆きとは似ても似つかない純然たる興奮が草子の頭の中で爆発し、その場で膝を折らずにはいられなかった。
日常を逸脱した現状に、恋焦がれるように、狂おしく。
草子の言葉を使えば強烈な「非日常への羨望」とか「異常に侵され満ちる喜び」とかを感じたのだろう。
正常らしい精神状態に回帰するまでどのくらいを要したのか、草子には分からなかった。自力で立ち上がれるようになった頃には、異変に気付いた近隣住民が警察に通報していた。警察の放つ几帳面な気配を察して、現場を堪能する間もなく逃げ去った。ただ、そのままの面持ちでは学校へ行く気にもなれず、しばらく民家の軒先に身を潜めて悦に浸っていたら、偶然にも見回りの生徒指導の教師と発見されてしまい、さっきの珍登校になってしまった。
草子は、語り終えてもなお興奮覚めあらぬといった表情で、コンビニのビニール袋から安価なサンドイッチを取り出し飲み込むような速さで完食した。目の前に水筒を置いてやると、了解もなくガブガブと飲んでは「ぷはぁ」と息を吐く。
無神経というか、図太いというか。よくもまあ、そんなモノを見てきた後で普通にご飯が食べられるものだ。
「お前の異常さはそこはかとなく伝わったが、食事時にする話ではなかったな。正直、吐き気をもよおすよ」
頭の中で、湧きたつ歪んだ映像を振り払う。
「あれ? 生々しい話はダメだったっけ。でも聞いてきたのはトオルの方だぜ? てっきり毎回オレの奇譚を楽しみにしてるんだとばかり思ってたけど」
まだ半分しか食べてなかった弁当を丁寧にたたんで、机の脇にかけたスクールバックに投げ込む。眼鏡のブリッジを持ちあげ、ため息を一つ。
「ああ、実際楽しみにはしている。結局は僕も、お前と同じでそういうのが好きだからね。だけど、立ち位置が違うんだよ。僕から言わせれば、お前は行動的すぎる。僕はね、あくまでも傍観。口は出しても手は出さない。お前と違って悲鳴なんて特異なモノは視えなければ、人並み以上の身体能力もない、単なる健常者だ。だから僕に出来るのは傍観それだけ。それに、好きだからと言って所構わず動物が焼き殺された話なんてされたら、僕でなくても食欲を失うだろうさ」
「う……。今日はやけに絡むじゃねーの。気を悪くさせたならごめんだ。とりあえず食後なんで、どう? イラついてんならより一層だ」
勢いよく立ち上がり椅子を戻すと、背にした教室の扉を親指で差しながら草子は左目を閉じてみせた。
「……まったく、調子が良い奴め」
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