第1章

「悲鳴……」

 冬の終わり。寒空の下。

 一緒に登校していた土倉草子つちくらそうしが空を見上げてつぶやいた。どうやらいつもの悪癖が出てきてしまったらしい。

「おい、トオル。今悲鳴がえなかったか?」

 子犬のような円らな瞳を輝かせ、興奮混じりに問うてくる。

「いつも言っているけど悲鳴はあくまで音声であって視るモノでなく聴くモノだ。それに僕はお前みたいに常軌じょうきを逸した馬鹿じゃないからそういう類のモノはわからない。でもまあしかし、お前が視えたと言えばやっぱりそれは有ったんじゃないかな。少なくとも馬鹿には良くある事だと思うよ」

 適当な軽口で適当に流す。

「じゃぁ視えたって事でオーケー?」

「お好きにどうぞ」

 草子は上唇を舌先で浅くなぞるとスクールバックを投げつけてくる。避けようとも思ったが、面倒なので仕方なく受け取ってやった。

「いちいち確認とるなよな。そんなの分かり切っている事だろ」

「ぅるせー。トオルにも聴こえていたら、それはただの音だろ。それだとダメだって何回言わせんだよ。んなわけで、遅刻するって担任に言っておいてくれ」

 屈伸やら前屈やら軽いストレッチを始め出した草子をねめつける。スクールバックを渡された時点でそうなる事は予想がついたが、どうやら僕に拒否権というカードはないらしい。まったく。

「自分勝手だな、お前は」

「他人勝手だよ、オレは」

「理屈に屁理屈で返すなよ面倒臭い。担任はなんとか言い包めておくから、さっさと済ませてこい」

 全身の筋肉をほぐし終えると小柄な体をアスファルトすれすれまでかがめ、クラウチングスタートの態勢をとる草子。

「おう、任せろ!」

 吠えるように言い放ち、強く地面を蹴った。巻上がる砂埃で瞳を瞬いた次の瞬間には、数十メートル先の細い路地を、草子は駆けていた。自分の身長よりも高い塀へと軽々と跳び乗り、間髪容れずにひた走る。一足で庭を跳び越え、瓦屋根へ着地。近所の目も迷惑もまるでお構いなしに、ガラガラと瓦を踏み付けながら、そして朝焼けの空へと草子は消えた。

 ここ二週間で五回。

 おそらくは、今回も無駄足になるだろう。

 全身が弛緩する目眩めまいを前に、意味も無く、そんな予感がした。

 

 

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