八 解剖

 いつもならとっくに眠っている時間です。

 羊のぬいぐるみを抱いてうとうとしていると、朔夜さんが足音を立てずに、そっと扉を開けて入ってきました。できるだけ大きな音が鳴らないようにゆっくりと閉めて、鍵を閉ざしました。

「あいつは耳がいいんだ。」

 と、小声で。

「最後にもう一度聞く。本当にいいのか。」

「はい。」

 トランクを開けて解剖の支度を始めました。香木の匂いが部屋を満たしていきます。

「本来なら標本を採らせてほしいところだが、やめておく。ガルデニアの心臓は傷をつけたりしたらどうなるか予想ができない。極力触らないようにする。」

「ぼくも見たかったです。」

「すまない、結果は教えるからさ。楽しみだ、こんなのを母さんが知ったら大変なことになりそうだから黙っておかないと。

 準備はできた。そろそろ時間だ。頭はこっちに向けて。普段と反対だから変な感じがするだろうが、この方が切りやすいんだ。さて今から麻酔をかける。すこし痛いかもしれないができるだけ動かないでいてほしい。いいな。」

 と言うものの、麻酔薬のようなものは見当たりません。ぼくの左手首を持って、口のそばへ引き寄せました。

「ま、まってください、」

「ああそうだ、言ってなかったな。全身麻酔に使える薬は持ってきていないんだ。代わりにこれを使う。毒は使い方次第で薬になる。」

 思い出しました、朔夜さんは体液に毒を持っているのだと聞いたことがあります。その毒で何人もの人間の命を奪ってきたということも。

 客人が言っていたくちなわとは、まさか。

 気付いたときにはもう遅い。手首の内側に毒蛇どくじゃの牙を突き刺し、ガーゼで傷口をおさえました。もう片方の手で両目を覆われます。

「おい、暴れるな。早く回ってしまうとよくない。痛かったか。すぐにこれも感じなくなるから大人しくしておけ。怖くない、怖くない。一緒に数を数えようか。一、二、三……」



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 その空間を包むのは沈香じんこう

 あたたかい闇の中、手探りをして触れたのは絹。

 優しく吸い付くような手触りと形を確かめながら辿ると、くちなしの香り。

 花は絹の内に包まれていたらしい。

 立ち現れたのは五本の糸。

 三本を結びあわせると、六本の白い手が伸びてきて、

 冷えた頬を、背中を、抱く。

 この唄は。



 おかあさま。



 消毒液の匂いがしました。

 重たい体を起こすと、光を透かした深緑ふかみどりのカーテン。ここは何処でしょう。自分の寝室であることは間違いないようです。胸と左手首にちくちくとした痛みが残っているような感じがしますが、傷口はありません。

 枕元に置かれた銀色のトレーには、糸の切れ端と半月形の針。

 ソファの上で朔夜さんが何か書き物をしています。長く開かれた蛇腹折りのノート。寝台から降りて覗きにいくと、異国の言葉がびっしりと書き込まれていました。図や絵のようなものもいくつか描かれていますが、何を表しているのかよく分かりません。ひとつの絵に目を止めました。心臓から伸びる枝、菱形の花弁を反らせるように広げた花、八重咲きの根元から細長い花弁が伸びる花。梔子。

「怖がるな。本当に生えているわけではない。でもそういうことなんだ。」

「朔夜さん、ぼくはどうしたらいいのでしょう、」

「ミーシャは知りたくないだろう。今、整理をしているところだから詳しい説明は後で。それよりも具合はどうだ。」

「すこし頭がふらふらします。」

「薬がまだ残っているんだ。歩けるよな、それくらいなら問題ない。だが今日は安静にしておいた方がいい。」

 朔夜さんが、ノートや本を閉じて机の端に積みました。

 書斎が恋しくなりました。

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