七 蛇

「……ということがあったんです。」

 一重の瞼に瑠璃色、涼しげな目元の、知的な横顔。ソファの上で胡座こざした膝に頬杖、今日の客人はミーシャさんのお友達、朔夜さくやさんでした。

 ミーシャさんは過去に大怪我をして、修理のために数年ほどの間、朔夜さんの研究室でお世話になっていたのだそうです。一人で問題なく動けるまでに回復すると研究室を出て北国の邸に越してきましたが、シェデーヴルの仕組みや扱い方が分からない中での手探りの修理だったため完全とはいえず、朔夜さんが時々様子を見に来ています。

「それで、あいつは何も知らないのか。」

「どうでしょう。知っているような素振りを見せては、やっぱり何も知らないというような、そんな態度で。」

「だろうな。」

「でも、知られないように努めてはいるんです。二度目のときなんて徹底的に証拠隠滅、まるで犯罪者にでもなったような気持ちでした。短剣を溶かして花瓶に戻して花を整え、カップとお皿を片付けて、何もかもを元どおりに。誰かが来た形跡が残っていないかどうか、門から庭、廊下、応接室、客人が通った場所は全て念入りに調べました。そうしているうちに遅い時間になっていて、ミーシャさんが帰ってきました。

(ただいま、お留守番ごくろうさま。)

 とだけ言って、まっすぐ寝室へ入ってしまいました。何時であっても、帰ってくるとまずは書斎に入って書見やお仕事をするのが常なのに。隠し事があって目を合わせにくいので、距離を置いてもらえたことに少しだけほっとしました。ですが……」

「引きこもったか。」

「ええ。今日で五日目です。三日程度なら珍しくないのですが。」

「拗ねたな。」

「ぼくが嘘や隠し事をするせいでしょうか。」

「外で嫌なことでもあったんじゃないか。」

「鍵をかけて、呼びかけても一度も返事をしてくれないんです。もしかして具合が悪いとか……」

「あいつは猫だからな。」

 ぼくはこんなに心配しているというのに、さすがミーシャさんを最もよく知る人物、不安の色ひとつ見せずに笑っています。

「まあ任せな、様子を見てくるよ。俺も用があるし。ここで待ってろ。」

 道具や薬品の入った鞄を腰の帯に付けて、白衣を羽織って部屋を出て行きました。羊のぬいぐるみを抱いてじっとしていると、待つというほどの間もなく朔夜さんが戻ってきました。

「だめだ、天蓋の幕の向こうで拗ねていて、それを開けようとすると怒られた。

(ひとりにして!出てって!)

 と、こうだよ。今は機嫌が悪いみたいだから、これ以上は何もせず戻ってきた。放っておけばそのうち寂しくなって出てくるだろう。猫だからな。」

 なんだか楽しそうなのは気のせいでしょうか。

「せっかく来ていただいたのにすみません。」

「気にするな、昨日から学校が長い休みに入ったから、何日かの間滞在するつもりで来たんだ。気長に待つことにするよ。ああそうだ、あいつがいないならちょうどいい、気になることがあるんだ。さっき話してくれた、ガルデニアの心臓のことだ。知りたいと思わないか。」

「と言いますと……」

「客人……イグといったか、そいつの言うことが果たして本当なのか。来い、」

 背中に腕を回して寝台に連れていかれ、仰向けに寝かされて、失礼する、と服の下に骨張った手を差し入れて。蛇が入ってきたかのようにお腹から胸へ向かって冷たく硬いものが這う感触にびくりと体を強張らせました。

「朔夜さん……?」

「なるほど、面白そうだから調べさせてもらう。怖かったらやめるから言えよ。」

 そんな、珍しい虫を見つけた子供みたいな顔をされたら、怖いですなんて言いにくい。うきうきとした様子でトランクを運んできました。中に入っているのは、何やら厚い本や、使い込まれた手術器具、不思議な形をした錬金術の実験器具など。白い手袋をはめて、小さな箱を開け、注射器を慣れた手つきで組み立てます。

「針は針でもこれは裁縫用の針ではないから刺しても大丈夫だろう。はいチクっとしますよ、がんばれがんばれ、」

「子供扱いして……。あれ、朔夜さんが学校でお勉強しているのは薬学では、」

「うちの母さんが錬金術師なのは知ってるよな、本業は医者で、小さい頃から錬金術と医術を教わっている。俺も母さんの影響でこういった面白そうなことには興味があるんだよ。」

 血液をいくつかの試験管に分け、石の欠片を浸したり透明な液体を混ぜたり、球体の機械のようなものの中に入れたりしているのをじっとしたまま見ていました。手首にひたりと吸い付くような感触の帯状の布を巻いて、肌に透けた血管の形を辿って。裁縫針を持たされて、重さや温度はどのように感じるか、思い出すことはないかなどあれこれと聞かれたりしました。細長い紙を交互に折って製本されたノートに何か書いています。何をされているのかよく分かりませんが、朔夜さんは無茶なことをするような人ではないはずです。抵抗せず大人しくしていました。

「終わり。付き合ってくれてありがとうな。まだ作業や検討したいことがあるが、ユルは好きに過ごしてくれ。体に異常はないか。」

「大丈夫です。」

「はい、腕を通して。右の袖から。」

「服は自分で着られますから。」

「偉いな。」

 ローテーブルに本やノートを広げ、ソファに胡坐。記録とにらめっこして、本を捲り、ノートに何か書いたり、時々目を閉じて考え事。短編を三つほど読み終えた頃に、突然こんなことを言いました。

「頼みがある。胸を切らせてほしい。」

 驚いて固まっていると、芯のある落ち着いた口調で続けて、

「心臓を見てみたい。今のところガルデニアと断言できるような要素は見つからないが、ユルの心臓は同じ年頃の人間とは違う感じがする。麻酔で眠っている間に全て済ませるし、必ず元どおりにする。零時に開始、夜明けまでに閉じれば、傷は残らない。うちの国の外科医は緊急でない限り、手術を深夜に行う。結果だけを得るためだ。ユルの出生を辿る手掛かりが見つかるかもしれない。悪い話ではないだろう。」

 朔夜さんの提案に、ぼくは同意しました。自分が何者なのか知りたくて。この人になら、体を切り開かれるのは怖くない。

「今夜でいいか。もちろんミーシャには内緒だ。」

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