七月/トリカブト

 さて、ここに一輪の鳥兜トリカブトがある。

 根、花、茎、葉に毒をもつが、群れ咲く紫の小花はそしらぬ顔をしてつつましく俯いている。ひとすじの情念をうちに隠した、火花のような花だ。

 その花の首に、花鋏をあてる。みずみずしさを感じながら、チョン、と切る。

 そういう一連の動作を、かおるはよどみなくやる。

 十六の、とりたてて特徴のない、咲くまえの水仙のように、しゅっと姿勢だけはよい少年だ。糊の張ったシャツから伸びる腕は日に焼けていて、なぜか真新しい大判の絆創膏が一枚貼ってある。くるいなどひとつもない所作で、馨は鋏を置いた。

 切られた花首から、微かに香気がたちのぼる。

 瞬きをひとつすると、馨のまえに少女の花精が現れた。花精は口をひらく。


「未練をひとつ、話してよいと聞いた」


 馨は目を伏せて、ただ耳を澄ませている。


「――はい」


 気難しげに眉根を寄せたまま、花精がとつとつとかたりだす。


 ・

 ・

 

 獣棲まう森、とひとびとに恐れられる深い森を抜けた先の小さな館に、わたしはひとり住んでいた。おそらく先代、あるいは先々代の時代から変わらない藁と木でつくった館のそばには、清らかな水が引かれ、人里ではめったに見られない百種、千種の薬草が生えていた。

 薬師であり、毒師。

 先代、先々代から変わらぬそれが、わたしの生業である。

 わたしのもとには、月夜にまぎれ、さまざまな客が訪れる。

 不治の病に侵された子を助けようとする親。あるいは、移ろった愛を取り戻そうとする女。兄を殺して財を横取りしようとする弟。

 それ相応の金砂を差し出せば、わたしはどんなささやかな願いであれ、たいそうな野望であれ、ひとしくそれをかなえた。ゆえにいつしかひとは、わたしをこう呼ぶようになった。

 獣棲まう森の魔性、と。

 

 朝、目を覚ますと、まず露に濡れた薄荷を摘む。新鮮な葉を煮出して、茶を淹れるためだ。窯で焼いて保存しておいた蒸餅パンを棚から出し、万年香ローズマリーを添えた目玉焼きを皿にのせ、さいごにすももの甘露煮を添える。淹れたばかりの薄荷茶の、つんと澄んだ香りをたのしんでいたわたしは、扉の外で鳴りだしたけたたましい鐘の音に顔をしかめた。

 わたしのもとを訪ねる客は、だいたい己の後ろめたさを隠すように月夜にまぎれて現れる。だが、中には変わり者もいて、かれは朝のまだ早い時間に、決まってふいとやってきた。嘆息をして席を立ち、扉をあける。


「おはよう、かわいい薬屋さん」


 扉のまえに立つ訪問者は、帽子を取ると、気障な仕草で挨拶した。

 象牙色の膚に、淡い金の髪。年齢不詳の、異国めいた風貌の男である。

 先代の頃から二代に渡り、かれはわたしたちを使っている。はじめて出会ったときの自分の年を考えても、もう十年以上は経っているはずなのに、いっこうに年を重ねたかんじがしないのがふしぎだった。

 黒く重たげな外套を着たかれは、若葉色の眸に人好きのする笑みをのせた。


「ご機嫌はいかが。まえに会ったときよりも、背が伸びたんじゃないか」

「おまえは、相変わらずだな」

「相変わらず? どういう意味かな」

「わかづくり」

「それはひどい濡れ衣だと、僕はおもうんだけどね」


 紳士のような優雅な物腰で、かれは断りもなく室内に踏み入り、杖を食卓に立てかけた。わたしはかれが館にあがることを許可したことはない、一度も。どんな客にもひとしく無関心であるのがわたしの信条なので、ふつうは館には入れないし、茶を出してもてなすこともない。

 かれは向かいに腰掛けると、わたしが自分のために淹れた薬草茶に口をつけた。

 うん、おいしい、と目を細める。いつものことであるから、もはや何も言わずにわたしは自分のぶんを淹れなおす。


「用件は」


 端的にわたしは尋ねた。


「君は昔から、会話を楽しむということをしないな」


 こーんな頃から、と手で膝のあたりを示して、かれは残念そうに言う。


「おまえとする話なんかない」

「僕はあるよ。たとえば、今日の君は髪をおろしていて、とてもかわいいこととか。何かよいことがあったの、薬屋さん」


 心からの賞賛のように彼は言ったが、わたしはぴくりとも表情を動かさない。新たに淹れ直した茶を味わい、杯を食卓に置いた。


「それで用件は」

「……わかったよ。君が望むなら、仕事の話をしよう」


 ほかの訪問客にたがわず、かれもわたしの育てる薬草を所望してこの場所にやってくる。

 わたし個人とやたら話をしたがるところと、朝食をともに食べたがるところをのぞけば、かれは上客だった。薬草と引き換えに渡される金砂の量と質が、ほかの客とはまるでちがっていた。


烏頭うずを二煎たのむ」


 依頼をするとき、かれは薬草たちの異称を使う。

 先代から使っていたもので、ほかの客とちがうのはこういうところもそうだ。

 かれはわたしに薬草の使い道を言わない。なにを目的に、誰に使うのか、あるいは薬草ごと誰かに売り払ってもうけているのか、かれが自分の手のうちをわたしに明かしたことはなかった。

 鳥頭は、鳥兜の根のことを言い、それに毒素を弱める処理をしたものをわたしはかれに渡している。

 一煎分を薄めて使えば、鎮痛剤となる。

 だが、二煎分を煮詰めて使えば、ひとりの命を奪う。

 かれがどちらの使い方をしているかを、わたしは知らない。知る必要もないと思っている。対価の金砂はありあまるほどもらっている。


「ここはいつ来ても変わらないなあ」


 薬草茶をおいしそうに飲んで、かれは窓から射し込む朝のやわらかなひかりに目を細めた。そうだろう。ここには、外の世界のことなど何ひとつ届きはしない。

 今、だれとだれが争っていて、今日いくつの屍が積み上がったのか。

 刻一刻と移り変わる情勢と、失っては足される盤上の駒。この男が外で演じているであろう狂騒劇のなにひとつ、届くことなどないのだ。

 だから、名を明かしても、なにひとつ失うものなどないだろうに。

 かれは己が何者であるかを語らず、わたしをただ「薬屋さん」と呼ぶ。わたしが渡しているのは薬草だと、信じ込ませようとする。かれの膝ほどの背丈だった幼いころから、ずっと。

これもひとつの舞台劇だ。かれとわたしの。

 真実は、隠し通してこそ、意味を成す。


「こんな森の奥にひとりで、さみしいと思うことはないの」


 杯を揺らして、かれはつぶやいた。


「先代が死んでしばらく経つでしょう」

「幸いにも、客足は断たない。生きていくのに不便はしていない」

「そういうことを聞いたんじゃ、ないんだけどね」


 睫毛を伏せて、ちいさく嘆息する。

 逆光にふちどられたかれの輪郭は一幅の絵のようで、わたしはなにとはなしに、かれはずっとひとのしがらみのなかで生きてきたのだろうな、と想像する。物心ついた頃から、外と隔絶されたこの場所で育ったわたしとは対照的だ。だが、まるでちがうとも思わない。


「畢竟、ひとはひとりだ。生まれるのも死ぬのも」

「君はそういうことを誰から学ぶんだい?」

「草木から」


 瞬きをして、彼は窓からのぞいた樹影を見上げた。

「なるほど」とわたしよりも十も二十も年上だろうに、納得したような顔をする。


「なるほどね」


 じっくり味わうように、かれはもう一度言った。


「それじゃあね。お茶おいしかったよ。また」


 金砂の入った袋と引き換えに、わたしから薬草を受け取ると、かれは杖を取って立ち上がった。


「もう来るな」


 半ば祈るように、わたしはつぶやく。

 なぜそんなことを急に口にしたのかはわからない。名を明かさずにかれと演じる舞台劇を、それなりにわたしは愉しく感じていたはずなのに。

 かれは意味深に口端をあげ、「これがさいごかもしれない」とぽつりと言った。かれが嘯くことばはいつもふわふわと甘い霞のようなのに、いましがた吐いたことばの奥には血反吐のにじんだ泥濘があった。……あったような気がした。わからない。かれがわたしのまえで、己が何者であるかを語ったことは、一度としてなかったので。


月夜野つきよの


 かれは唐突にわたしの名を呼んだ。

 わたしはかれがわたしの名を知っていたことをはじめて知った。

 帽子をかぶったかれは、ふっと小さく笑みを漏らして片目を瞑り、


「一度くらいはもてなしの茶を淹れてくれよ。うまいのに」


 と皮肉った。


 ・

 ・


「それからかれが館に訪れることはなくなった」


 うつむきがちに花精は語る。


「外の世界では、政府に反抗していた一派の右腕が死んだらしい。それがかれだったのか、あるいは政府の側の人間がかれだったのかも、わからない。わかっているのは、わたしがかれに渡したは、多くの人間の命を奪っていたということだけ」

「後悔が?」


 尋ねた馨に、「さあ、どうだろう」と花精はつぶやいた。


「罪悪感という意味でなら、ない。ただ、使い道は聞いてみたかった気がする。でも、聞かなくてよかったとも思う。わたしとかれは、互いが何者かを知らずにいたから、何者でもない自分でいられたんだ。それはそれなりに、心地よかったよ」

「薬屋さんって、いい呼び方だ」


 てらいも飾りもない馨のことばに、花精は瞬きをする。そうすると、あどけない少女の顔がふいにたちあらわれる。馨は、薬屋さん、と呼んだ男の胸のうちに少しだけ想いを寄せる。


「そうかもしれない」


 うなずいてから、花精は首を傾げた。


「その怪我は、どうしたんだ?」


 馨ははじめて年相応の、ばつが悪そうな表情をした。


「……これは名誉の負傷というやつだと思う」

「そうか。なら治さないでおく」


 愉快そうに花精はほほ笑んだ。そして腰を浮かせると、馨の指先に吐息をかけて消える。

 あとはなにもいない。本殿に入る朝の陽射しに馨はつかの間目を細め、神前にそっと花を献じた。




 /承前/


「トリカブトなんてどこに生えていたの、馨くん」


 鹿乃子かのこははなしの筋よりも、そちらのほうが気にかかるらしい。

「山だけど」と馨はべつになんということはなく、こたえる。


「きれいな花だよ。紫の小花がふわっと集まってて。薬にもなるし」

「馨くんは花に対して偏見がなくて、平等だね」

「そんな難しい話じゃないと思う」


 鹿乃子は小柄な身体には不釣り合いの、弓と筒を肩に背負っている。一見するとふわふわした綿菓子みたいな容貌をしているのに、弓道部の部長をしているのだ。

 赤い花を咲かせた夾竹桃が、焼けたアスファルトに影をつくっている。日照りを避けて影に入り、鹿乃子はみつあみを振って、馨を振りかえった。


「ところで馨くん。お怪我の具合はどうですか」

「ぜんぜん平気」

「ぜんぜん平気ではないんじゃないかなあ」


 呆れたように鹿乃子は息をついた。


「けっこう血が出ていたじゃない」

「あれはぐらぐらした場所に花瓶を置いていた奴がわるい。かのが怪我したらどうするつもりだったんだ、大会前なのに」


 瞬きをして、鹿乃子は眉をひらいた。

 絆創膏の貼られた腕にそっと手を触れさせる。


「彼女を守る男の子はかっこいいね」


 そのことばがいちばんの薬だとは、言えずに口をつぐむ。



 一日一花。繰り返される、馨の日常である。

 ここに、鳥兜がいた。毒なれど、薬と演じ抜いた花だった。



 七月/トリカブト(終)

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