6章 シスターノ詩(うた) ~刻まれ消えぬ記憶の傷跡~ To be continued
「……ゆ、雪奈……雪奈?」
俺は覆いかぶさっていた雪奈の肩をつかみ、そっと抱き起こした。
「お、おい……冗談だろ? な、なあ……冗談だって言ってくれよ、おい?」
呼びかけても返事がない。
雪奈は目をつむり、ぴくりとも動かない。生気のない瞳で虚空を見つめているだけだ。
彼女の体を地面に横たえ、なおも声をかけようとした刹那。
危険信号――空気が震えるようなイヤな予感を察知。
横に転がり、迫ってくる何かを回避する。
一拍遅れて、直前までいた場所――それに。
「ゆっ、雪奈ッ!?」
俺の、俺の妹の体がっ……、紅い何かに滅多刺しに……ッ!?
脳が凍り付くと同時に、全身の血が煮えたぎる。マグマさながらに身から心まで燃え上がらせる。
振り返り、襲撃者の姿を見やる。
クッソ気色悪いヤツだった。人間の目玉をくりぬき、それに引っ付いている血管を触手のように伸ばしたかのような造形。
その血管を地面や壁に刺し、あるいはべたべたくっつけて移動してやがる。
縄文土器のような跡とかいうのは、もしかしたらコイツの仕業だったのかもしれない。
「お前がっ……お前が雪奈を……!」
目玉や野郎は俺に虹彩を向け、黒目を細めた。まるで嘲笑うかのように。
全身を巡る血流がより速さを増していく。
「絶対に許さないッ……! 何があっても、お前だけはここでぶっ殺すッ!!」
俺はスマホを取り出し、怒鳴るように唱えた。
「我が真価を覚醒させし武器、魂を燃やし……いざ顕現せよ――降血丸ッ!!」
掲げたスマホの画面から光が発され、その照らす先に刀が出現する。
その束を握ると、肩なの刀身がたちまち紅く染まっていく。
真紅の刃を仇(かたき)に向けて、俺は吠える。
「目玉野郎ッ……、お前の輪廻をここで断ち斬ってやるッ!!」
俺は構えなどせず、そのまま突っ込んでいった。
目玉野郎は血管の触手を縦横無尽に振るって俺をぶっ飛ばそうとしてくる。しかしその攻撃をかいくぐり、本体らしきものへ肉迫。
「これでっ、終わりだァアアアアアッ!」
紅の一閃。
切っ先は光彩を捉えたはずだった。
しかし。
ガッキィイイイイインッ!!」
硬質な金属音を響かせて、刀は弾かれる。
「ぐっ……!?」
俺は後ろに下がり、すかさず繰り出された血管の奇襲も紙一重でよける。
「チクショウ、ふざけた頑丈さだ……」
血管の猛攻がすさまじく、反撃に出ることができない。むしろ回避に専念しているせいかどんどん間合いを離されている。
ヤツは血管を伸ばせばある程度距離が離れていても攻撃を加えられるだろうが、俺の武器は一振りの刀だけだ。遠距離戦になったら圧倒的に不利だ。
考えろっ……考えるんだ。あの眼球もどきに一矢報いる方法を!
だが思いつきっこない。こういう頭脳労働はほとんどいつも雪奈に任せっきりだったのだ。
その雪奈にも、今は頼ることができない。
血管は鞭のごとく、あるいは槍のごとく、俺を追いつめてくる。
硬い岩の壁や地面も粉々に粉砕してくる。
クソッ……、殺してやる、アイツだけはっ、アイツだけは……!
俺は半場やけくそ気味に刀を振るった。
ちょうど迫ってきた血管が、刃の餌食になり切断される。
これは斬れるのか……。
そう思った直後。
ドクン、心臓の音を合図に視界が一瞬にして暗くなる。
なんだ……?
その暗い視界が元に戻る……いや、戻ってない。
体を動かしていないにもかかわらず、景色がすさまじい速さで動いていく。まるで早送りの映像を見ているみたいだ。
映像は目玉野郎から伸びていた、一際太い血管を追っているようだった。
くねってねじれたような道を進み続け、やがて血管が繋がっている、赤黒くヒビの入った無花果(いちじく)の実を目の当たりにした。
直感的に理解する。
これをぶっ壊せば、目玉野郎の息の根を止めることができるッ!
景色が切り替わり、現実のものへと戻る。
短くない時間意識が飛んでいたはずだが、周囲の状況は依然として変わりなかった。
俺は降血丸の柄を強くつかみ、念じる。
――俊敏さをよこせ。疾風のように、光のように。何者にも負けない速さを、この俺によこしやがれッ!
突如として、降血丸が輝き始める。
紅く、紅く――全てを真紅に染め上げるがごとき光が、辺り一面を照らし出す。
体が燃え上がるように熱くなる。
地面を蹴る――身体が空気を切り裂き、風となる。
景色が瞬く間に後ろへ流れていく。目玉野郎の姿が須臾(しゅゆ)にして見えなくなり、俺は太い血管を追っていく。俺を狙って何かの攻撃が繰り出されている気配があったが、そんなものは過ぎ去った後の地面を穿つにすぎない。
「ウガァアアアアアアアアアアアッ!」
眼前に唇を歯が並んだ気持ち悪い物体が現れ、行く手を阻もうとする。
「邪魔だッ、どけぇえええええええええええッ!」
斬れぬだろう――そう事前に予想していた俺は跳び上がり、口もどきに蹴りを突き刺した。足の裏が唇を弾き飛ばし、地面に打ち倒す。
ヤツの後方に着地し、再び疾駆する。
映像通りなら、あと少し、あと少しでっ……見えたッ!
数多の太い血管が連結された、まんま人の心臓を模した物体――このバケモノのコアだ。重力の縛りを無視し、それは浮いている。
コアは周期的に拡縮を繰り返し、辺りにドクン、ドクンと威圧的な音を響かせていた。
俺は降血丸の柄をより固く握りしめ、腕を後ろに引き。
「これがっ――俺の怒(いか)りだァアアアアアアアアアアアッッ!!」
渾身の力で振り抜き、おぞましい色の表面へと突き立てた。
ぶっ叩いた手応え。弾力が邪魔をし、刃が突き立たたないっ……。
だけど、こんなところで引き下がるわけにはいかないッ……!
「ウォオオオオオォォォォォォオオオオオオアアアアアアアアアアアアッルァアアアアアアアアアアアッッッッッッ!!!!!!」
ブッチィイイイイイッ!
表皮が切り裂かれ、中から濁流のごとく紅い血がドバドバと流れ始める。
途端、コアは動きを止めて、地面に落下した。
ブチャッと湿った音が鳴り、地面に紅い池を生み、広げていく。
呆けたように眺めていた俺は、ふいに身体から力を失い、地面に膝をついた。
終わった。
復讐は成し遂げた。
だが、それでも……。
雪奈が死んでしまった、守ることができなかった。
その事実は消えない。
また、また俺は……、大事な人を守ることができなかったのだ。
「なんでっ、どうしてだっ……、どうしてなんだぁあああああああああああああああああああああああッ!!」
慟哭を受けて反応したかのように、獣王の唸りのような轟きが響いた。
頭上から砂埃が落ちてくる。
揺れている、この空間全体が……。
崩落だと悟った俺は、しかし立ち上がる気力が湧かなかった。
このまま雪奈と一緒に、生き埋めになる。それが自分への罰だと思った。
「……さんっ、暁夜さんッ!」
誰かの呼びかけ。
聞き覚えのある声。
ゆるゆると顔を上げると、向こうから二本の光が伸びていた。LEDライトのものだ。
人影が薄っすらと見え、俺の頭につけたライトの輪が全貌を照らし出す。
ああ、小租田と黒木だ。
小租田たちはこちらに駆け寄ってきて、息を弾ませながら立ち止まった。
「よかった、無事だったんですね」
「こっ、これっ、なんだいっ!? キミがやったのかね?」
二人共、何か言っている。
しかし俺は返答するどころか、解する気力さえ残っていなかった。
いくら呼び掛けても返事がないことで、ようやく小租田たちは俺に対して怪訝なる思いを覚えたのだろう。二人して顔を見合わせ、小租田がしゃがみこんで顔を覗き込んできた。
「あの……大丈夫ですか?」
心配してくれているのはわかる。それでも俺は言葉一つ発することができない……。
辺りを見回していた黒木がふと気付いたように言った。
「そういえば、雪奈クンはどうしたのかね?」
雪奈っ……。
その名前に、死にかけていた感情が再び揺り動かされ。
「雪奈っ、雪奈っ……」
止まらなくなり、溢れ出してきた。
「雪奈っ……雪奈がっ……雪奈がぁッ!」
「おっ、落ち着いてください、暁夜さん。雪奈さんがどうしたんですか!?」
肩をつかんで何か言ってやがるが黙れよ俺の雪奈が雪奈が雪奈が雪奈が雪奈が雪奈が
「雪奈ァアアアアアッ!」
俺は立ち上がって駆けだしていた。
「ちょっ、暁夜さん!」
「見ろ! これ、七色の鍵じゃないかい!?」
「黒木さん、追いかけましょうッ!」
「お、おい、待ってくれよ!」
後ろで何やらごちゃごちゃしゃべっているが、そんなことはどうだっていい。
俺には雪奈がいなきゃダメなんだ、ずっと一緒に、二人きりで過ごしてきたアイツが隣にいなくちゃ、ダメなんだっ……!
たった一人の妹。
大事な、大事な……っ、世界で一番の家族がッ!!
さっきみたいに上手く走れない。地面が揺れているせいもあるし、俺からさっきの力がなくなっているせいおある。
途中で何度も足を取られて転んだ。
だけど立ち止まれない。この先に雪奈がいるんだっ、誰よりも大切な人がッ……!
「はぁ、はぁ、はぁ……。雪奈っ、雪奈っ……!」
なんだよここっ、こんなにも走りにくかったのか。
道は凸凹してるし、縦にも横にもグニャグニャ曲がりくねってやがる。
坂道どころか壁になってる場所もあった。
道順はうろ覚えだったが、なぜか迷わず進むことができた。
呼んでいる気がしたのだ、雪奈がこっちだよ、こっちだよって……。
俺はただ、導かれるままに進むだけでよかった。
やがて俺は辿り着く。
雪奈のいる場所へ
「……ゆき、な……?」
だが、そこにあったのは。
あの小柄で愛らしい妹の姿ではなく。
もはやそれは人型だったとさえ信じられないぐらいに、無残にぐちゃぐちゃになっていた。
形をとりとめた部位もあれば元の形を失った肉片もあり、無秩序に跳び散ったそれ等はほぼ例外なく血の海に浸かっていた。
鉄臭い臭いが充満し、異臭に麻痺していた鼻が曲がりそうになっている。
胃の底から酸味が込み上げてきて胸を絞り上げてくる。
違うッ……、これは雪奈じゃない。雪奈のわけがないじゃないかっ……!
ふと俺は、黒い髪を見つけた。
その髪を辿っていくと、必然的に頭を見つける。
近づいて行き、……ああ、雪奈の顔だ。
笑っている。いかにも嬉しそうに。思い出すのは小さい時に一緒に散歩をして、野良猫を見つけた時のことだ。雪奈は「あ、可愛い!」と言って、短い脚をとてとてと動かして追いかけていった。けれども猫は突然の足音に驚いてか、ぴょんと塀の上に跳び載り、そのまま向こう側へ行ってしまったのだ。
雪奈は残念がるかと思ったが、俺にこの笑顔を向けてきて、言ったのだ。「猫ちゃん、すごく可愛かったね」って。
俺はなんて返したっけ? 「そうだったかもな」とか、「よく見てなかった」みたいな気のない返事しかしなかったと思う。
でも、今だったら答えるだろう。
「……猫よりも、雪奈の方が……ずっと、ずっと……可愛いよ」
溢れ出てくるのは、想いだけじゃなかった。
「お前は、俺の自慢の妹だ……」
軽い。今の雪奈は、あまりにも……軽すぎる。
……いつもなら帰ってくる柔らかな声音が、恋しくて。
俺は雪奈を抱きしめ、耳元で呼びかける。
何度も、何度も、何度も……。
「雪奈……聞こえてるか?」
涙が落ちる。俺の手の中の、雪奈の頭に。ぽつり、ぽつりと……。
「返事をしてくれよ……雪奈っ、雪奈ッ……!」
ぎゅっと、抱きしめる。
頭を、力一杯に。
膝に落ちる、湿った重たい、紅いもの。
それは……雪奈から溢れている。
正確には、雪奈の首……切断面から、とめどなく、ぼたぼたっと音を立てて……。
「なあ……雪奈、雪奈ぁっ、雪奈ッ……雪奈ぁあああああああああああッッッ!!!!!!」
俺は雪奈の……生首を胸に、彼女の名をいつまでも呼び続けた。
〈了〉
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