7章 ダ・カーラ

7章 ダ・カーラ その1

 あの時、こうしていれば。

 もう一度やり直せるなら、今度こそきっとうまくやれる。

 だから時間よ、もう一度戻ってくれ。


 生きていれば幾度となく抱く、無念。後悔。

 それに俺は今、苛まれている。

 この永遠の6月で。




 6月30日。

 今日が終わると、再び6月1日がやってくる。

 だがまったく同じ6月1日というわけではない。

 輪廻の理(ことわり)。

 それによって何人かは、この世界から消える。

 もう二度と消えた人には出会えない。

 その中にいるかもしれないのだ。

 雪奈と香夢偉が……。


 俺がもっと強ければ、二人を守れた。

 死なせずに済んだんだ。

 そうすればこんな鬱々として気分を抱え込まずに済んだんだ。

 今頃、雪奈とバカ話をして笑っていられたかもしれない。

 香夢偉と抱き合うこともできたかもしれない。


 全ては仮定に過ぎない。

 つまり単なる妄想だ。


 俺は身を包んでいる毛布から手を出し、スマホを探り当てて引き寄せた。

 ロック画面を表示する。

 23:49

 あと11分で今日が終わる。

 次の6月1日になれば、きっと二人共生き返る。

 また前みたいな時間が帰ってくる。

 そうに決まってる。


 希望的観測を強く信じ込もうとする。

 捕らぬ狸の皮算用……、そんな言葉が邪魔してくる。


 23:55。

 もう、行こう。

 二人を迎えに行くんだ。

 せっかく生き返ったのに、俺がいなかったら……きっと悲しむもんな。


 俺はツユバライのアプリを起動して、サヤの世界に転移した。


   ●


 久しぶりの木造校舎の教室。

 雪奈が死んでから、すっかり訪れなくなっていた。

「あっ、暁夜っち!」

 要津と小租田がこちらを向き、笑顔で出迎えてくれる。

「……よかった、無事だったんですね」

「もう、ずっと来ないから心配してたんだし!」

「あ、ああ。すまない」

「いえ、こうしてまた会えただけで、よかったです……本当に」

 小租田が胸の前でぎゅっと組んだ手に力を入れる。

 その手は真っ赤になっていた。おそらく俺が来る前からずっとそうしていたんだろう。

 申し訳なさで、胸がいっぱいになる。


 部屋を見回したが、黒木の姿は見当たらない。

「なあ、黒木は?」

「あのおっさんならいないよ」

「ここ最近、ずっと来てないんです」

「そうか……。何か聞いてるか?」

「いいや。ただ、暁夜っちと同じタイミングで来なくなったから……」

 あの黒木に限って、雪奈の急逝(きゅうせい)を悲しんだりはしないだろう。

 おそらく死ぬことが怖くなったのだ。

 それを責めることは俺にはできない。

 自分もずっと引きこもっていたのだし、何より妖穴での光景はあまりに凄惨が過ぎた。

 飛び散る肉片、紅々とした血の海、突き出した骨の突起……。

 ダメだ、思い出すな。このままじゃ、吐く。


 俺は一度深く呼吸し、ある方へ目をやった。

 そこにはケープと血に濡れたリボン、それに二台のスマホがあった。

 俺は近くに歩み寄ってその遺物を見下ろした。

 香夢偉のものはまだきれいで街中で見かけても目につかないが、雪奈のはリボンもスマホも酷いものだった。事故現場にあったと言ったら誰もが信じるだろう。実際はそれよりも残酷極まるものなのだが。

 思わず目をそむけたくなる。雪奈の血でも……いや、雪奈の血だからこそ、余計に。


「にゃあ、生流にゃん」

 いつの間にか、足元に猫又がいた。

 ヤツは俺のことを見上げて問いかけてくる。

「もしも一方しか救えにゃいとしたら、生流にゃんならどうするゃ?」

「一方しかって……雪奈か香夢偉のどっちかしか助からないってのか!?」

 取り乱す俺をなだめるようにぽんぽんと脛の辺りを軽く叩いてきた。

「仮定の話にゃ」

「そんなの、選べるわけないだろ!!」

「いいのかにゃ?」

 脛に前足を置いたまま、猫又は獲物を前にしたかのような笑みを浮かべる。

「選べにゃいのなら、両方とも死ぬにゃ」


 首の裏側が氷を詰められたかのように冷たくなった。

 仮定の話のはずなのに、猫又の声はすごく真に迫って聞こえた。

 答えなくちゃいけない。

 本能レベルで何かが俺に訴えかけてくる。

 そうしなくちゃきっと、後悔する。

 俺は浅い呼吸を繰り返しながら脳に酸素を補給し、考える。


 雪奈か、香夢偉か。

 どっちかしか選べないのなら……。


「ほら、どっちにゃ? どっちを救うのにゃ?」

「……まっ、待て。ちょっと待ってくれよ」

「もう、時間がにゃいにゃよ」


 時間ってなんだよ。

 そう返すことさえ、眼前の猫又の怪しく光る目を見たら躊躇われた。


 考えた、必死に頭を働かせて。

 実際にその状況に追い込まれた気分で、思考回路が焼き切れるぐらいに。


 誰よりも大切な人。

 絶対に失いたくない。ずっと傍にいて欲しい存在。

 どんな時だって心の中で想っている、世界でもっとも愛している女の子は……。


「――俺は」

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