6章 シスターノ詩(うた) ~刻まれ消えぬ記憶の傷跡~ その4

 現実から持ってきた雨合羽を着て、俺たちは目的地へと向かった。

 鬱蒼とした森を長いこと歩いた後、第二の妖穴に辿り着いた。


 大地が口を開いたかのような、巨大な穴。

 垂直に地面が吸い込まれていき、深淵なる闇を底に湛えている。

 試しに放り投げた小石は、落下し地面に着いた時の音すら聞こえなかった。

「不思議の国みたいに、落下しても死なないってことはないよな?」

「メルヘンの世界に行きたいんだったら、帰ったら絵本を読んであげるよ」

 遠回しに否定されてしまった。

「多分、相当な深さじゃん。どうするし?」

「そうだね……。一人を残して、探索組は縄を使って下りていく、っていう感じかな」


「一人残すのはどうしてだ?」

「探索は3時間きっかり。道順を覚えて進んで、1時間30分になった一旦引き返して地上に戻る。その3時間後に誰も戻ってこなかったら、地上の人が救助を呼ぶ、ってこと」

「だ、だけど妖怪が出たらどうするんだい? 一人だと危険だってボクは思うけどな」

「この辺には妖怪は滅多に出ないらしいよ。穴の中以外はね」

「……妖穴の中が快適で、外に出てこないってことか?」

「多分そうだね。たまに地上にいるのは友好的で、争いは好まないらしいよ」


「なら、ボクがやるよ!」

 率先して留守番を買って出る黒木。

 しかし雪奈は「ううん」と首を振る。

「黒木さんは十分に戦力になるし、探索メンバーに決定ね」

「あ、ああ……わかった」

 ヤツはがっくり肩を落とした。とても戦力になるようには思えないが……。


「では、わたしでしょうか……?」

「……小租田さんは、黒木さんとペアでお願い。常に行動して、絶対に離れないで」

「おっ、おいっ、ちょっと待てよ?」

 俺はどうしても聞き過ごせずに雪奈に尋ねた。

「なあ、ペアでって……、妖穴の中を二人組で探索するのか?」

「そっ、そうだよ、そんなの無謀じゃないかい? 一つ目の鍵だって、四人で協力してやっとの思いで手に入れたんじゃないか」

 黒木も俺の問いに同意した。

 しかし雪奈はきっぱりと跳ねのける感じでかぶりを振った。


「二人の言うことはわかるよ。でもこれからは多少リスクがあっても速さを優先させてもらうよ」

「なんでだよっ!? 可夢偉があんな目に遭った後なのに……ッ!」

「人っていうのはいつ何時(なんどき)、なんの前触れもなく突然亡くなることだってあるんだよ」

「だからって……!」

「だからこそだよ!」


 語調をより強硬なものして、雪奈は叫ぶ。

「もしも雪奈たちがみんな解脱したら、誰もツユバライを手に入れられないッ! そんなことになったらっ、地球上に生きる人類は絶滅しちゃうかもしれないんだよッ!?」

 被せ気味に俺は言い放った。

「俺は地球上に住む人類なんかどうだっていいッ!!」

 雪奈は息を呑み、体を竦(すく)ませる。

 俺は彼女の肩に手を置き、心底からの想いを伝えた。

「俺は会ったこともない、名前も知らない人なんかのために命は張れない。

「でも……っ、雪奈たちが頑張らないと……」

 なおもごねる雪奈に、おれはきっぱりと告げた。


「すぐ傍にいる、お前の方が大事だよ」

「えっ……?」

 雪奈は俯きかけていた顔を上げ、目を見開いた。その瞳に視線を向け、俺は語りかける。

「雪奈、お前が死んだら俺は悲しい。たとえ、生き返るとしてもだ」

 瞳が微かに揺れる。きっと心に言葉が届いてる、そう信じて俺は続ける。

「本当だったら、危ない場所にだって足を踏み入れてほしくない。安産な場所、平和な世界で幸せに生きてほしいんだ」

「お兄ちゃん……」

「もちろん、引きこもらないでな」

「もう、一言余計だよ」

 くすりと雪奈は笑い、俺の肩に乗せた手に触れて言った。


「だったら、お兄ちゃんが守ってよ」

「……俺が、雪奈を?」

 雪奈はゆっくりとうなずき、肩から首へ、そして頬へと小さな手を滑らせるように移動させてきた。


「雪奈が危険な目に遭ったら、お兄ちゃんが守るの」

 今の雪奈は、さながら子供に語り掛ける優しい母親のようだ。

 言葉を聞いている内に不安がきれいに払拭(ふっしょく)され、身体のどこに眠っていたのか、無尽蔵に自信が湧いてくる。

「ずっと……ずっと……ね?」

 目を細め、囁きかけてくる雪奈。


 不覚にも心臓が高鳴り始める。

 ……って、ちょっと待てよ!?

 雪奈は妹であって、そういうのは……。


「……ぷっ」

「へっ……?」

 口を押さえた雪奈は急に肩を竦めて笑い出した。

「あははっ、本気にしないでよ。お兄ちゃんはサヤの世界じゃ強くないんだから、むしろ雪奈が守ってあげなきゃなんだし」

 かあっと羞恥に顔が熱くなる。

「い、妹に守ってもらうなんて……」

「あはは。暁夜っち、妹にマウント取られてやんの」

「……ぐぬぬ」

「そ、それじゃあ、わたしと黒木さん、それと暁夜さんと雪奈さんの二組でこの妖穴を探索するということですか?」

「そういうことになるね。くれぐれもみんな、無理はしないで。危ないと思ったらすぐに引き返してね」


 雪奈の言葉にみんなうなずき、妖穴の探索は開始された。


   ●


 縄を使って壁を下りていく……本当なら特殊な訓練を積んでいなければできっこない芸当だろう。

 しかし個人個人で差はあれどツユバライのアプリで身体能力の向上を得た俺たちは軽々とそれを実行に移すことができた。

 縄は二本。ペアで共有して使っている。

 俺の組は雪奈が先行し、その後に俺が続いている。

「体が軽い……、それに手も全然辛くないよ!」

「俺はちょっときついけど、まあ平気だな」

「はははっ、ボクは無敵だ! 無敵なのだぁああッ!」

「ちょっ、揺らさないでください、黒木さん」


 垂直の壁を足場に少しずつ奥へと進んでいく。少し進んだところで、壁に穴を見つけた。立ったままの状態で四人は手を広げて入れるぐらい広い穴だ。

「……なんだろう、これ?」

「さあな……」

 俺たちは額の所にLEDライトが付いたヘルメットをかぶっていた。その光をもってしても最奥部は見えない。かなり先まで続いているようだ。


 少し離れたところから黒木が雨音に負けないよう声を張り上げて言ってきた。

「こっ、こっちの壁に大きな穴があったんだがぁ!」

「雪奈たちのところもだよぉ!」

「どうするぅ、中に入ってみるかいっ!?」

 雪奈は少しの間思案した後、一層声を張り上げて言った。

「うん、そうしようっ! でも危険だと思ったら、すぐ引き返してねッ!!」

「わかったぁっ!」


 俺は真下にいる雪奈に訊いた。

「本当に行くのか?」

「お兄ちゃんは待っててもいいよ」

 つまり雪奈は行く気満々というわけだ。

 俺はこっそりとため息を吐いて言った。

「ついていくよ。いざという時にお前を守るためにな」

「わぁ、さすがお兄ちゃん。さすおにだね」

 冗談めかして口調で言って、雪奈は穴の中に入っていった。

 すぐさま俺も穴の中へと飛び込む。


 着地した瞬間、想像以上に足腰への衝撃が来た。かなり地面が固いようだ。

 少し先にいた雪奈は、足を止めて周囲を眺めていた。俺もそれに倣う。

 穴の中は道ががたがたとした天然の洞窟といった感じの場所だった。

 暗くてジメジメと湿気がすさまじい。だが気温は低い。冷水が気化して周囲に漂っているような感じがする。

 おまけに生臭さとアンモニア臭を混ぜたような、酷い異臭までした。

「暗いうえに地学は専門外だからあまり自信を持って言えないけど、多分地盤はしっかりしてるよ」

「そりゃ助かる。探索の途中で押し潰されて圧死ってのは、まっぴらごめんだからな」

「……行こうか、先へ」

 俺はうなずき、雪奈の後に続いた。


 洞窟の中は道が縦にも横にもうねっていて、どうにも歩きにくかった。

「形状からして、自然にできたものじゃなさそうだよ」

「まさか人工か?」

「ううん。たぶん、何かの生物が掘り進めたんだと思う。その証拠にさっきから大きめのサイズの糞らしきものとか、その化石が見つかってるよ」

「……聞きたくなかったなあ」

「でも形状からして、もはや岩と相違ないね。生体がすごく気になるよ。あと奇妙なことがもう一つ」

「なんだ?」

「壁に縄みたいなものの跡があるんだ。まるで縄文土器の周囲につけられたみたいな」

 言われて見やると、なるほど蛇が這ったかのような跡がそこかしこにある。だがそれはどれも途中で途切れており、急に途中でそれをつけた主が蒸発してしまったかのようだった。


「……気味が悪いな」

「そうだね。……あ、分かれ道だよ」


 十字路が目の前に現れた。

 一本の巨大な道に後からもう一本貫くように付け加えた感じだろうか。その付け加えられた道も今通ってきたものと相違ない広さだ。

「なんというか、でたらめな世界だね。こんなの現実の世界にもそうそうないよ」

「入り組んだ道が続いてそうだな。適当に歩いていれば、その内小租田たちにばったり会いそうだ」

「あり得るね。さて、どこの道を進もうか?」

「……右に行こう」

「理由は?」

「方向には特に意味はない。ただ、分かれ道があった時にずっと右に進んでいれば、戻る時は逆に左にだけ曲がっていればいい。最初が左だったら、帰りが右になるな」

「いいね、そうしよう。息はずっと右、帰りは左だね」

 俺たちはうなずき合って、目の前の十字路を右折した。


 足音が反響する。一歩進むごとに、誰かが別の場所で同じく歩調を合わせて足を踏み出しているかのようだ。

 散々歩いて足が痛くなってきたのに、熱さは感じない。むしろ寒さで体が震えているぐらいだ。

「もう少し厚着してくればよかったかもな」

「そうだね。……あっ、下がって!」


 雪奈に突然制された。何かと思ったが、道の先を見やってすぐにわかった。

 LEDライトを点けていたせいでかえってわかりにくかったが、道の先にふわふわといくつか火の玉が浮かんでいた。

「鬼火だよ。日本でもっとも有名な妖怪の一つだね」

「敵か?」

「さあ。今はまだなんとも……」

 と、雪奈が言いかけた時。

 とつぜん、鬼火からもっと小さな火の粉(こ)が跳ばされてきた。

「くっ、左ッ!」

 拡散する火の粉を俺たちは左に全力で駆け、どうにか躱した。

 鬼火は火の粉を飛ばしたせいか、体積が小さくなっている。

「敵だね。こうなったらもう、容赦しないよ」

「どうするんだ?」


 鬼火は少しずつ元のサイズまで膨らんでいっている。周囲の酸素を取り込んでいるのかもしれない。

「てぇいっ!」

 俺がぼうっと観察している間に、雪奈が鬼火に向かって何かを投げた。

 その正体を探ろうと目を凝らした瞬間。

「お兄ちゃんっ、伏せてッ!」

 急な声に俺は反応できなかった。だが雪奈に腕を引かれてようやく硬直から解かれ、俺は隣の彼女を真似て頭を抱えて地面に伏せた。


 直後、前方で爆発と振動、眩しい光が発生する。

 残響が消えた頃に恐る恐る顔を上げると、鬼火たちの姿は跡形もなくなくなっていた。

「ふう、上手くいってよかったよ」

「なっ、何が起きたんだ……?」

 雪奈は叩いていた右手の人差し指を伸ばして、説明を始める。


「この洞窟の至る所に糞が落ちてるって話はしたでしょ」

「ああ、ばっちいなって思ってた」

「糞っていうのは、ある過程を得ると硝酸カリウムになるの。それは火薬の元になるから爆弾として利用できる。日本人はこの方法で四百年前から爆薬を作っていたっていう記録があるんだよ」

「その硝酸カリウムが、洞窟にあったと?」

「うん。後はそれをふっかけて、鬼火たちを爆発させてやったんだ」

「……うんちでやられるとか、哀れな妖怪だな」

「相手がどれだけ強大な力を持っていても、知識さえあれば打ち勝つことができる。これぞ学問の真骨頂――」

 得意そうに語っていた雪奈が急にビクッと体を跳ねさせたかと思うと、俺に向かって跳びかかってきた。

 いくら小柄な雪奈でも、この世界では力関係が逆転している。

 俺はなす術もなく押し倒される。


「おっ、おい、どうしたんだよ?」

「……………………」

「雪奈、ゆき……えっ?」

 彼女の背中に回した手が、突如べたっとしたものに触れる。

 急速に、接している身体から熱が失われていく。


「かはっ……」

 咳き込む音が耳元で聞こえる。

 頬に何かがついた。

 もう片方の手の指で拭う。


 それを見た瞬間、全身の皮から血液まで冷え切っていった。

 指先は、鮮烈な真紅に染まっていた。

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