6章 シスターノ詩(うた) ~刻まれ消えぬ記憶の傷跡~ その3
「おかえりー……うわっ、またびしょ濡れだ」
雪奈の頓狂な声が聞こえる。
「ま、待ってて、今すぐタオルを取りに行くから」
どたどたとよく響く床を駆ける音。
その間、俺はずっと床のタイルを見ていた。
さっき真琴から聞いた言葉が何度も頭の中に蘇ってくる。
本月が死んだ。
薄々何かがおかしいとは思っていた。
だがいざ真相を聞かされると、予感も何も関係なく、ただショックだった。
このまま死んでしまえたらどんなに楽だろう。
はたと俺は気付く。
……ああ、なんだ。死んでしまえばいいんじゃないか?
どうせこの世界では、みんな生き返るんだ。
だったら、いっそのこと……。
「お待たせ、お兄ちゃん」
その声に弾かれたように俺は顔を上げた。
パジャマ姿の雪奈がタオルを持って戻ってきていた。
……ダメだ、死ねない。
今まで兄と妹、二人で一緒に生きてきたんだ。
たとえ生き返るとしても、雪奈を残して死ねるわけがない。
「雪奈、ありがとう」
「えへへ、どういたしまして」
にこりと微笑む雪奈。
無性なる思いに突き動かされ、俺は彼女を抱きしめた。
「えっ……お、お兄ちゃん!?」
「……大丈夫だ」
「えっ、何が?」
「俺は……俺はずっとお前の傍にいる。だから、大丈夫だ」
雪奈の微笑んだ気配がした。
小さな手が、頭をそっと撫でてくる。
「……うん。ずっと一緒にいてね、お兄ちゃん」
●
21:49。
俺と制服姿の雪奈はもはやログボか単位をもらえる頻度で通っている、木造校舎の教室にいた。
「まだ誰も来てないね」
「まあ、集合時間までまだ十分あるしな」
教室を見回した際に、端の机にある水晶とスマホ、それにフードつきの黒いケープが目についた。どれも香夢居のものだ。
俺はそれに近づいていき、じっと眺めた。
隣まで来た雪奈は、静かな声で言った。
「ものには魂が宿るって言うけど、どうしても雪奈はそれが信じられないんだ」
「なんでだ?」
「だって、魂には意志が付随(ふずい)しているはずなんだよ。それなのに持ち主の命の危機には何もしてくれない。動かずにじっとしてるだけ」
「……でももしかしたら、命を守ってくれてる時もあるかもしれないだろ? 俺たちが気付かないだけで」
「そっか……、そういう考え方もあるんだ」
雪奈は日を直(じか)に見上げるように目を細めてこちらを見上げてきた。
「優しいね、お兄ちゃんは」
「そんなことはない。ただ思ったことを言っただけだ」
「……無自覚な優しさは、天然のもの。心の根にある人柄だよ。そしてそれはその人自身を一層輝かせる。十分な水と日光を得て育ったバラのように。……でもね」
雪奈は組んだ手を見下ろし、微かに表情を曇らせて言った。
「注意しなきゃダメだよ。きれいなバラには刺があるように、時に優しさは人を傷つけることがあるから」
「……あ、ああ」
理解できなかった。しかし問うのもはばかられる空気だったので、俺はその場しのぎにうなずいておいた。
22:00の約五分前。
室内の空間に異なる二ヶ所で蛍のような光が生じそれが人の形を作り出していき、それが要津と小租田の姿を形成していく。
完全にいつもの二人の姿になると、彼女たちは動き出した。
「よっ、こんばんは」
「あっ、こんばんはです」
「こんばんは」
「おう。あとは黒木だけだな」
と言いかけたところで、離れた場所でもう一度同じ現象が起き、黒木が現れた。
「いやぁ、諸君っ、グッドナイト! 今日も元気かね!?」
初っ端からフルスロットなテンションに俺たちは気後(きおく)れする。
「……ねえ、あの人ちょっとキャラ変わってない?」
雪奈が小声で訊いてきた。
「まあ、環境は人を変えるっていうからな」
「……よっぽど実生活でいいことがあったんだね」
俺達が内緒話をしている間に、小租田が黒木の対応をしてくれていた。
「こ、こんばんはです、黒木さん」
「やあ、小租田クン。今日もビューティーだね」
「あ、あはは、どうも」
苦笑いで受け流す。大人の対応だ。
「みんなそろっているみたいだね……と思ったら、浦野クンがいないか」
場の空気にピキッとヒビが入った。
突然訪れた静寂に、黒木は首を傾げる。
「おや。どうしたんだい、諸君?」
「……黒木さん。送ったメッセージは見た?」
問い詰めるような雪奈の口調に、ヤツは顔をこわばらせかぶりを振った。
「いっ、いやっ? み、見てないが……」
雪奈は眉をひそめて目をすがめた。少しして、冷たい声で黒木に真実を告げた。
「……あのね。浦野さんは、昨日から今日にかけての深夜に、亡くなったんだよ」
「えっ? 亡くなったって……」
「殺されたの。バケモノに……」
普段使っている妖怪という名称ではなく、バケモノ。そこに雪奈の思いが詰まっている気がした。
黒木の顔が灯に熱を吸われたかのように白くなる。
「……う、嘘だろ?」
「本当だよ
「そ、そんな……っ」
「だからこれからは一層慎重に行動していくから、勝手な行動は慎んでね」
「かっ、勝手な行動……?」
パニックに黒木の理解力が著しく低下しているらしい。それでも雪奈は根気よく説明を続けた。
「具体的には雪奈の指示に従わなかったり、場の空気を掻き乱したりすること。特に単独行動は厳禁だからね」
「あっ、ああ。わかった。約束しよう
黒木はぎこちない動きながらも大きくうなずいた。
雪奈は軽く頭を振って、ため息を吐いた。
「……永遠の6月に感謝だね。死んでも生き返るんだから」
「そうとは限らないにゃよ」
足元から声が聞こえた。
場の人間の目が吸い寄せられるようにそちらを見やる。
いつの間にやらいた猫又。ヤツは目を爛々と輝かせ、八重歯を見せて笑っていた。
「そうとは限らないって……どういうことだよッ!?」
「慌てるなにゃ。今から説明してやるにゃ」
猫又は四つ足で跳躍し、近くの机に身軽に跳び載った。
ギラギラと光る青い瞳が俺たちを見回す。まるで獲物を前にした肉食獣のように。
やがて二つ脚で立ち、ヤツは口を開いた。
「話は全部聞いていたにゃ。なんでも、浦野香夢居が死んだらしいにゃ?」
「お前になんの関係があんだよッ!?」
「そこまで目の敵にしなくてもにゃ」
肩を竦め首を振った猫又は、ふと部屋の端に置かれた水晶とスマホに気付いて見やった。
「にゃるほど。事実のようだにゃ」
何度かうなずき、俺の方を見てくる。
「さて、質問は二つあったけど、どっちから答えればいいにゃ?」
「ふざけてんのかっ!?」
「そういきり立つなにゃ」
「……猫又ちゃん。死んだ人間がどうして生き返らないのかもしれないって言うのか、教えてくれるかな?」
冷静な雪奈の問いに、猫又は快くうなずいた。
「そうそう、そうやって訊いてくれるとにゃあも嬉しいにゃ」
また怒鳴ろうとする俺を雪奈が止めてきた。
「冷静になって、お兄ちゃん。今は大人しく情報を訊いた方がいいよ。
「だけどっ……」
「ここで猫又ちゃんを責めたところで、意味はないってわかってるよね?」
諫めるような物言いに俺は怒りをぐっと堪え、雪奈の指示に従った。
猫又は咳払いを一つして、話を切り出した。
「おみゃあ等、輪廻転生は知ってるかにゃ?」
「ぐるぐるって輪の中で永遠に生き返るってやつじゃん?」
「まあ、大体そんな感じにゃ。そこから抜け出すことを解脱(げだつ)と仏教では言うにゃ」
なかなか話の本筋が見えてこないことに苛立ちを覚えてきたが、雪奈の目線による抑制を受けて、我慢を続ける。
「さらに詳細に述べると、俗世間の感情的なしがらみから解き放たれ、輪廻転生を外れることにゃ。ただしこれは人間の想像したことに過ぎないのにゃ」
「つまり、実際は違うということかい?」
黒木の問いに猫又は鷹揚な態度でうなずく。
「そうにゃ。人間は一定回数生き返る、蘇生されると、自然と輪廻転生から外れて消滅することになってるにゃ。これが真の解脱にゃ」
一瞬の内に零体にでもなってしまったかのように、体の感覚が失われていく。
「ねえ、猫又ちゃん。永遠の6月の力でも、その解脱はどうにもならないの?」
「無理にゃ。時間逆行よりも遥かに上位の力だからにゃ
「なるほど……。つまり一日に一千万人の人が死んだのは、永遠の6月の力が原因ってことだね」
「普通なら他所の世界からの輪廻転生や、天界からの魂の供給で人口はなるべく減らないようになってるんにゃけど、このイレギュラーには対応できないみたいにゃね。魂を地上に下ろすにも一定の手順が必要になってくるしにゃ」
もぬけの殻になっている俺に気付いた猫又は、目を異様に大きく見開いてにかっとした笑いを向けてきた。
「そこまで落ち込むことないにゃ。まだ浦野香夢居が死んだと決まったわけじゃないにゃ」
とってつけたような慰めに、俺の失意はより一層心を覆っていった。
●
猫又がどこかへ去った後も、しばらく俺たちは茫然としていた。
……もし死んだら、そのまま消滅してしまうかもしれない。
そのことがみんなの頭を占め、悲観しているのだろう。
だが俺は、何よりも香夢居が生き返らないかもしれないということに、絶望していた。
……どうして、俺は……。
「しっかりしてっ、お兄ちゃん!」
いつの間にか目の前に来ていた雪奈が、俺に向かって叱責してくる。
「お兄ちゃんは浦野さんのことが好きなんでしょうっ!? だったら、信じてあげなきゃ! 自分の愛している人が解脱なんかに負けないってッ!!」
「でも……俺たちが抜け出せてない、永遠の6月よりすごい力なんだろう? だったらもうどうしようも……」
パァンッ!
乾いた音が響いた。
視界が真横へ飛ぶ。
頬が焼けたように痛んだ。
目線を戻すと、雪奈が手を振り抜いた格好で俺を睨んでいた。
「……お兄ちゃんのバカッ!」
ようやく俺は、雪奈がビンタしてきたのだということに気付いた。
「どうしてそんな弱気なのッ!? 浦野さんを自分の手で守れるぐらい、強い男になるって言ってたじゃんッ!! だったら見せてよっ、その強さをッ!! 永遠の6月をぶっ飛ばすぐらいの熱い思いをッ!!!!!!」
彼女の叱咤を受ける程に、心の中で熱い思いが込み上げてくる。
体中の血が滾ってくる。
「……ああ、そうだよな。こんなところでぼうっと突っ立ってる情けない姿なんざ、香夢居には見せられないよな」
俺はぐるっとみんなを見回して言った。
「行こうみんなっ、二つ目の妖穴にっ! 香夢居が帰ってくる前に、少しでもサヤの探索を進るんだッ!!」
「そーこなくっちゃ!」
「はっ、はいっ、お供いたします」
「……え、あ、ボクも行かなくちゃダメ?」
「今日は返さないよ、黒木さん」
「ひっ!? あ、はい、行くよ、行かせていただきますよぉ!!」
この日、サヤでは雨が降っていた。
現実の雨のように雨脚が強く、地面を撃ち抜かんがごとき勢いで。
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