5章 CROSS † DREAM エピローグ、そして
険しい岩壁のそそり立つ峡谷。
そこに住まう一反木綿は赤い両眼を怪しく光らせて漂っている。
ヤツ等は訪れる者が誰であろうと構わず襲ってくる。
一体一体はそこまで強くないが集団で来るとすごく厄介らしい……、俺は単体でもひいひい言っていたが。
しかし見たところ一反木綿には目以外の感覚器官が見当たらない。つまり野生の動物のようなチートまがいの聴覚や嗅覚は存在しないということだ。
ならばやりようがある。
その視覚を封じてしまえばいいのだ。
俺は背後を振り返る。
のそのそと動く重機、上部に取り付けられている器に黒い粘液――コールタール。
そこから今、大量の黒茶の煙が発生していた。
立ち上った煙は風に乗って峡谷へと流れ込んでいく。
さすればどうなるか――? 答えは語るまでもない。
煙は一反木綿の眼下への視線を遮っていく。つまりその間、峡谷の道は完全にノーマークになる。
「……煙幕?」
「ああ。コールタールは燃焼時の煙の発生量はすさまじいって聞いてたからな」
「すごい、さすが」
ぱちぱちと乾いた拍手の音。
「うまくいくかどうかは正直自信はなかったけど、成功してよかった」
俺は重機の進行方向とは逆のところを見やった。そこには浦野が出現させた小さな式神が二柱いて、体の数十倍はありそうなデカブツを押して運んでいた。
「にしてもすごいな、コイツ等。どんだけ力あるんだ?」
「一般人なら、よいしょできる」
「上司との飲み会で使えそうな能力だな」
「そっちのよいしょじゃない」
「まあそうだよな」
俺は軽く一笑した後、峡谷の方を見やった。
煙は風のおかげでいい感じに充満している。
「よし、そろそろ行くぞ。
浦野は無言で頷き、共に谷間へと走り出した。
煙を吸わないようできるだけ態勢を低くし、ハンカチで口をふさぐ。浦野は体を前に傾けていたものの特に口は押えていなかったようだが、咳き込んだりはしていなかった。
上部は煙に満ちており、一反木綿に狙われることは一切ない。
俺たちは足元には注意しつつ、しかし立ち止まることはなく駆け続けた。
やがて谷を抜けたところでようやく視界が開けた。
すぐに浦野から声が飛んでくる。
「こっち」
俺はうなずき返し、急ぎ彼女の後を追う。
少し進んだところになだらかな坂があった。
そこを登っていき地面が平らになったところで、切り立った崖が見えた。舌を覗いてみると煙幕が晴れかけてきた谷間が見えた。一反木綿は遥か下方におり、こちらには気付いていない。
「よし、まずはうまくいったな」
「……ん」
「後は俺が一反木綿を倒せばステータスアップってわけか」
「暁夜はどうする?」
「なんだかコマンドを選択したくなるような訊き方だな。ならそれに則って、ひとまず『なかま』を選ぶぞ」
「仲間?」
「ああ、浦野だ」
浦野は自身を指差し、「わたし?」と訊いてきた。
「ああ。なあ、俺でもギリギリ動かせる重量の岩石って出せるか?」
「どれぐらい、大きさは?」
「谷間よりは小さめ、だけどできるだけ大きく」
「わかった」
浦野は五芒星陣の札を取り出し、呪文を唱えた。
「中重硬中程大硬岩(ちゅうじゅうこうぢゅうじょうだいぎょうげん)」」
呪文を唱えただした瞬間から徐々に札から茶色い光が発せられていく。
最後まで唱え終えた浦野が光り輝く札を地面に放ると、光が弾けそこにでっかい岩石が出現した。
「おお、さすが陰陽術!」
「……かどうかはわからない」
「これ、動かせるんだよな?」
「多分」
「よっし、早速やってみる」
岩石の元へ近づき、その岩肌に触れた。本物とまったく同じ質感だ。
力を入れて押してみる。最初はびくともしないと思ったが、押し続けると少しずつ動き出した。
「おっ、おお! 動く、動くぞ!!」
「そう念じて出した」
「あとは、これを地面に落としてやれば……っ」
岩石は崖へと乗り出していき、にわかにふっと重量がなくなったと思ったら、谷間へと落ちていった。
谷間を除くと、岩石の下敷きになった一反木綿はぴくりとも動かなくなっていた。
周囲の仲間はというと、岩石をどかそうとひっしこいてはいるが、肝心の上部にいるに注意を払っているヤツはいなかった。思った以上に思考経路が単純らしい。
「一丁あがりだ」
「……原始的」
「勝てば官軍ってやつだ。ステータスは……おっ、ちゃんと上がってる!」
「……この方法で、経験値稼ぎ?」
「ああ。あの岩、道塞いじゃってるけど、あとで消せるよな?」
「ん……できる」
「よかった、コントみたいな寒いオチにならなくて」
「岩、あといくついる?」
「そうだな……。絶滅させるのもかわいそうだし、あと七つぐらい落として帰るか」
「……戦わずして、勝つ?」
「そういうことだ。力がなければ知恵を使えばいい。これぞ軍師の……」
言いかけたところで、ぶおっと強風が吹いた。
「うおっ……。せっかく人がカッコよく決めてたっての……に?」
風は無論のこと、浦野にも吹き付けていた。
ケープがばたばたと音を立てる。それでも彼女は微動だにせず立ち尽くしている。
フードの中にも風が吹き込んでいるのだろう、頭部が膨らんだかのようになって。
風の勢いにそれは後ろにやられ、フードが外れた。
その下から現れた素顔。
もう何度も目にして、見知っていた。
長く黒い、艶やかな髪。
端整な顔立ち。丸い瞳。
サーモンピンクの唇。
ああ、間違いない。
彼女は、どこからどう見ても……。
「……本月?」
そう。俺が同じ6月で二ヶ月過ごした女の子だ。
本月は妙に感情のない瞳で俺のことを見やり、感情を欠いた声で言った。
「もとづき……とは?」
耳を疑い俺は訊いた。
「お前、本月だろ?」
「知らない」
「知らないわけあるかっ。どこからどう見ても瓜二つじゃないかッ!」
肩を揺さぶって訴えかけるも、本月は首を傾げるだけだ。
「本月って、人名?」
その一言に、糸が切れたように身体から力が抜けていった。
気が付いた時には俺は地面に膝をついて俯いていた。
「大丈夫?」
「……ああ、平気だ」
我ながら弱々しい声だった。
目の前が滲んでくる。鼻の奥がツンとした。
「……嘘」
ぼそりと浦野が言った。
「全然、大丈夫じゃない」
視界が薄暗くなる。黒いケープの端が、目の前に垂れてくる。
白く細い手が眼前に伸びてきて、俺の頬をつかんだ。
抵抗する間もなく、顔を上げされられる。
霧がかったように感情のない顔。しかしその瞳には薄っすらと、怒気のような……あるいは気遣わし気な光が宿っていた。
「暁夜、悲しんでる」
「……浦野」
「聞かせて」
「え……?」
「暁夜、悲しんでること。わたし、知りたい」
黒い瞳が真っ直ぐに俺の目を、覗き込んでくる。
平べったかった声に、感情の厚みを感じた。
「……どうしてだよ。お前には、関係ないだろ」
「ある」
間髪入れずに言われた。
俺は眼前の顔をまじまじと見据えた。
微かに本月の面影と被る。しかし目の前にいる女性は疑うべくもなく浦野だ。まったくの別人である。
「暁夜……話して」
「わかったよ」
俺は訥々(とつとつ)とした調子で本月のことを話した。
細部の記憶は抜け落ち、時系列は入れ替わり、終始まとまりがなく理解するのはかなり面倒なうえに、退屈な話だ。
にもかかわらず、本月はじっと黙って聞いていた。
「……で、俺は一方的に絶縁宣告をして、去っていったってわけだ」
最初のしんどい思いは、話し終えた今少し楽になっていた。
本月はしばらく経ってから言った。
「知ってる」
「知ってる?」
オウム返しに繰り返すと、彼女はうなずいた。
「わたし、それ知ってる」
俺は解釈のできぬ言葉に戸惑いを覚えた。
わたし、それ知ってる……?
「知ってるって、今話したことを?」
機械的なうなずきが一回。
「なんで?」
「夢に見たから」
「夢……って、眠っている時に見るものか?」
リピート再生のような首肯。
ふつふつと胸の中でイヤな熱と音が発せられる。同時に頭に上りかけた血を、俺はどうにか奥歯を噛みしめて押し下――
「ふざけんなよ……っ」
脳内に歯ぎしりの音が響き、その振動が体全体に伝わっていく。
「んなのあるあけねーだろうがッ! 予知夢だか白昼夢だか知ったこっちゃないけど、お前にそんな能力があるなら使ってみろよッ、それでこの永遠の6月を終わらせてみろよッ! どうせ、できないだろうけどなッ!!」
「……どうしてそんなに、怒ってる?」
「別に、怒っちゃいない」
唇を噛みしめ、そっぽを向いた。
そんな俺を目を細めて眺め、浦野は言った。
「感情によって身体は支配されている」
一瞬、時間が完全に止まったかと思った。
「……えっ」
伝えていない、話していない言葉。
「なんで、お前がそれを……?」
浦野は僅かに頬を緩めて言った。
「出てきた、夢に」
そのまま目を細めて、顔を近づけてくる。
俺は動けない。
驚きが抜け切れていないのもある。
そのうえ、新たな衝撃に胸を打たれていた。
まったく同じ場所だった。
右の頬。寸分の狂いもなく。本月と似たような温かさと閉めっぽさ……だけど、それよりもやや遠慮気味のこそばゆい感触。
……浦野の唇が離れていく。
彼女は左胸を押さえて、俺から目を逸らした。
「……浦野?」
「香夢居」
目だけをこちら抜向けて、浦野は言った。
「香夢居。……わたしの名前」
赤と藍色のグラデーション。もうすぐサヤに夜が訪れようとしている。時間がリンクしている現実もきっと同じだろう。だがあちらは雨で、こちらは晴れている。おまけに星も鮮明に見える。同じ夜でもここまで違う。
そんな夜空を、俺と香夢居は並んで座って見ていた。
「きれい」
香夢居は穏やかな顔で言った。
「ああ、きれいだ」
ちらりと香夢居の顔を見やる。彼女は気付いていない。一心不乱に星を眺めている。
その無防備な頬に、ちょんと唇をつけてみる。
香夢居は体を跳ねさせてこちらを見てきた。
「なに……?」
「キスだ」
「不意打ちはダメ」
凝らしたような目つき。睨まれているらしい。
「嫉妬したんだ」
「嫉妬?」
「星空ばかり見てるから」
香夢居は目線を俺と空の間を交互に移動させた。
「……じっと見ててほしい?」
「いやまあ、そこまで言ってないけど……」
「……ごめん」
目線を僅かに下げ、香夢居は言った。
「わたし、一つのことしかできない。器用じゃないから……」
そのしょげた姿に、俺の胸内はどうしようもなく締め付けられて。
衝動のままに、俺は香夢居のことを抱きしめていた。
「暁夜……?」
「好きだ」
彼女の耳元で俺は囁いた。
香夢居の体が一瞬硬直する。二本の手が、俺の背中に触れようとして躊躇う気配があった。
「でも暁夜、本月のことが……」
「好きだと思ってた。でも今は、お前のことを愛してる」
「浮気……」
「違うよ」
彼女の頭を髪に沿ってそっと撫で上げる。
「俺は香夢居一筋だ」
香夢居の手が俺の背中に触れる。彼女の体からふっと力が抜けた。
「……暁夜」
「香夢居……」
ぎゅっと抱きしめ合う。
互いの熱が行き交い、俺達は心の底からの安堵と温もりを感じらていた。
しばらくそうした後、俺は言った。
「コイグチに行こう」
「コイグチに?」
「ああ。今夜は一緒にいるんだ」
「現実には?」
「帰らない。俺はずっと、香夢居と一緒にいる。永遠の6月に」
首筋にぷくっとした柔らかさとほの温かい息を感じた。すんすんと音が鳴る。
それから香夢居は言った。
「わたしも、そうしたい」
「ああ。二人でずっと暮らそう」
「うん」
俺と香夢居は互いの体に手を置いたまま離れ、微笑み合った。
かつてないほど幸せだった。
ずっとこの時間が続けばいい。比喩でもなんでもなく、心の底から思った。
ヒュンッ。
風切り音が聞こえた。
直後、いきなり香夢居の首に白いものが巻き付いた。
「……は?」
眼前の光景に思考経路が一瞬麻痺した。
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