5章 CROSS † DREAM その3
6月6日、10:45。
サヤの世界。
俺は浦野と待ち合わせて、コイグチの外に探索に来ていた。
柔らかな地面。草が生い茂り、青臭い臭いが漂っている。
木々が枝や緑の葉で空を覆い、薄暗い。太さは細いものから巨木といえるものまであり、樹高もまちまちだ。それ等が張った根が思わぬところにあってつまずくことがさっきから何度もあった。そのせいでしきりに足元を気にしなければならない。
森だ。しかも現代の日本じゃほとんど見ない、天然の森林。
人間が入ることなどまったく考慮されておらず、人外がのびのびと暮らしていた。
その人外というのは動物はもちろん、物の怪の類までいる。
妖怪……俺のターゲットだった。
少し歩けばその辺にいくらでもみつかった。これならレベリングなんて容易だろうと高を括った。
しかしことはそう簡単に運ばぬようだった。
「……手当たり次第に妖怪を狩るの、よくない」
「どうしてだよ?」
「妖怪同士、仲良しあり得る。下手に手を出したら、そいつに攻撃される」
とのことらしい。
汝(なんじ)、隣人を愛せよ。まさかその精神を妖怪が有しているとは。
「……じゃあ、どうすりゃいいんだよ?」
「嫌われ者、探す。それ、狩る」
「ぼっちは殺される……。なんとも悲しい世界だな」
「永遠の6月を抜け出すため、やむなし」
狩られる妖怪に同情しないわけにはいかなかった。
浦野と行動を共にしていて、少し驚いたことがある。
彼女は質問すれば答えてくれる。端的ではあるものの、会話を成立させようとこちらが尽力すれば、それに応じてくれる。
ただやはり、自分から言葉を発することは少なかった。
「なあ、いつになったら妖怪を狩らせてくれるんだ?」
「あと五分歩けば、狩場がある」
「へえ。どんなヤツだ?」
「一反木綿」
そのものずばり、容易に想像することができた。
「あの白い布の妖怪か」
「そう」
「強いのか?」
「……沖田にとっては、そうかも」
「なるほど」
と答えてしばらくしてから、俺は気付いた。
「……浦野」
「なに?」
「お前今、俺の名前を呼んだか?」
「呼んだ」
句点。それきり言葉は続かない。まさか三文字で会話が途切れるとは思わなかった。
「俺の名前、知ってたんだな」
「知ってる」
「他人に興味無さそうだから、名前とか覚えてないのかと思った」
「沖田暁夜。よく雪奈が話してた」
二度目のビックリである。
「……雪奈のことは下の名前で呼ぶんだな」
「言われた。そう呼べって」
「俺のことも下の名前で呼んでくれって言ったら、そうしてくれるのか?」
首肯。全然構わぬよってことらしい。
「じゃあ、ぜひ下の名前で呼んでくれ」
「暁夜」
いきなり来た!
不意打ちかってぐらい唐突で、少したまげた。
「ふむ。それなら俺も、浦野のことを下で呼ばなきゃな」
「……別にどっちでもいい」
「そう言うな。これも親睦を深めるためだ」
「……神木なら、コイグチからずっと北にある」
「待て。俺とお前で今、認識の祖語が生まれた」
「…………?」
「いや、『?』じゃなくてだな。浦野の言ったシンボクってのは、なんだ?」
「神木……。神の木って書いて、神木」
「そんなものがあるのか」
と感心して会話を終わろうとして、ふと首を傾げた。
「あれ……。俺たち、なんの話をしてたっけ?」
「……さあ」
「うーん……思い出せんな」
「思い……出せない」
「まあ、覚えてないってことは、そこまで重要なことじゃないってことだな」
「……暁夜がそう言うなら、きっとそう」
「そこまで俺を信頼されても困るが……って、それだァ!」
ビシッと俺は浦野を指差した。勢い余ってやってしまったが、礼儀上あまりよろしくないことだ。雪奈の前でやらんよう、気を付けねば……。
指差された浦野は、俺の指の先……のさらに先、自分の背後を振り返った。
「いや、そうじゃなくてだな……。すまん、わかりづらかったな」
「……どれ?」
「名前だよ、名前。お前の舌の名前を呼ぶ、ってやつ」
「……あ、そうだった」
ぽんと手を打つ浦野。どうもお互い、記憶力はよろしくないようだ。
「ふっふっふ、今からお前の名前を下で呼んでやるからな。覚悟しろよ」
「……覚悟、する」
無表情で両こぶしを握り締める浦野……まあ表情に関しては声音からの単なる想像に過ぎないが。
「おーっし、狙いを定めて……」
「……ん」
「二百六十、高角四十」
「…………」
「主砲一斉射ッ、撃てぇッ!」
正確な発音は「ってぇッ!」である。
浦野は意外にもノリよく、「ぼぼーんっ!」と効果音を添えてくれた。
頭の中で巨大戦艦の砲身の口が火を噴く様が描かれる。
敵艦が煙を上げて沈んでいく様が目に映る。胸が空くような快感、エクスタシーに全身の血が騒ぎだす。
「やっぱり海戦はいいなあ」
「……ざぶーん?」
「そうそう、ざぶーんって……じゃないだろ!」
「ざざーん?」
「音の違いじゃなくてだな……」
ボケボケコンビ。ツッコミ不在の世界はどうも時空がのほほんとしていかん。
「頼むから突っ込んでくれよ、明らかに流れおかしかっただろ!」
「……海流」
「海はもういいから! 会話だよ、会話の流れ!!」
「ウィットの利いた、ナイスなトーク」
褒められてるのだろうか? それともからかわれるのだろうか?
いずれにせよ、頭痛い。
「……まあ、勝手に始めた俺が悪いか」
「海戦ごっこ」
「そうそう。まさかお前のノリがあそこまでいいとは思わなかった」
「暁夜の言うことに、間違いない。雪奈言ってた」
雪奈の無茶ぶりに今度は胃が痛くなる。
「……浦野ってずいぶん雪奈を信頼してるんだな?」
「指示が的確。間違いない」
「そうか。だがな、人間は間違える生き物だ。ただ相手の言うことに従うんじゃなくて、常にそれが正しいか自分でも吟味しないとダメだぞ」
浦野は全て聞き終えてから二回きっちりとうなずいた。
まるで小さい子供に言い聞かせてるみたいだ……。
「……さて、一反木綿でも狩りに行くか」
浦野はまったく同じモーションでうなずいた。
●
「俺にとって強いって、そういうことか……」
岩場の陰で俺はぐったりもたれていた。
手にはツユバライのアプリで出現させた刀。散々岩肌の壁に打ち付けたせいで、ボロボロになっている。
浦野は傷一つない状態で、俺の横に腰を下ろしている。膝を抱え込んで座っている様は体育の見学をしているみたいだった。
「平気?」
「もう死ぬ」
「……来世の再会、期待」
「すまん、冗談だ。それに来世にならなくても蘇生するだろ」
「……永遠の6月?」
「ああ、そうだ」
俺は額の汗を拭って、岩陰から向こうの様子を窺った。
白い布状の妖怪、一反木綿がその先に飛んでいた。
森を抜けた先にある、両岩壁がそそり立つ峡谷。そこに一反木綿は生息していた。
この辺りはどういうわけか、風が強い。それが峡谷に吹き込んでいく。布状の体を持つヤツ等にとってその風が移動手段の一つになっていから、ここに住み着いてるんだろう。俺の勝手な想像だが。
一反木綿は宙をふわふわ風に乗って泳ぎ、時にはそれに逆らって動く。
基本的に目についた生物には一も二もなく襲い掛かり、巻き付いてくる。ただそれだけのシンプルな攻撃なのだが、以外にも力が強く、捕まった抜けだすのに骨が折れる。なかなか厄介なヤツ等なのだが。
「一反木綿。この辺で一番弱くて、経験値効率がいい」
「嘘だろ……。俺にとっちゃあ、十分な強敵だぞ」
「他、探す?」
「いや、その選択肢はない」
俺は刀を手に、切っ先を天に向けた。
「俺だってゲーマーの端くれだ。この世界がRPGだってんなら、強敵だろうが難所だろうが何度だってぶち当たってやるっ」
「……当たって砕けろ?」
「いや、砕けちゃダメだろ……」
脱力しながら、俺は立ち上がる。
「もう一戦する?」
「いや、無策で挑んでも、同じ結果になるだけだ」
俺はふらつきながら、一反木綿に背を向けて歩いていく。
「戦略的撤退だ。まずは作戦を練る。一度ここを出るぞ」
浦野はうなずき、俺の後をついてきた。
峡谷の近くには、工場らしき場所があった。
コイグチの街と比べればかなり近代的だ。スチームパンク好きが見れば鼻血出して喜びそうな外観と内装。パイプが縦横無尽に渡され、鉄製の重機が壁際に置かれている。地面はむき出しのコンクリート。
場内の空間は結構広いはずなのだが、それでも重機がスペースを圧迫して、通行できるのは真ん中の細い道だけである。
天井に照明があるが、どうもガラス部分が割れているっぽい。不用意に点けたら火事になるかもしれない。今が昼間でよかった。
俺は浦野の描いてくれた周辺図を見て頭を悩ませていた。
「峡谷の先には、両岩壁の上に行ける場所があるのか」
「ん。でも奥に行くほど一反木綿の数が多い。わたしと暁夜の二人じゃ、辿り着けない」
俺は傍らの刀を見て、ため息を吐いた。
「せめて飛び道具ならなあ」
「……わたし、武器、飛び道具」
「へえ、どんなのだ?」
「……見る?」
「おお、見せてくれ」
浦野はスマホを操作し、マイクに向かって言った。
「我が真価を覚醒させし武器、魂を燃やし……いざ顕現せよ――五芒星陣の札!」
ぱっと宙に紫色の渦を巻くような闇が生じ、その中から一枚の長方形の紙が風に吹かれたようにして現れて浦野の手に収まった。
「な、思うんだけど。どうして武器を出すのにマイク入力が必要なんだろうな?」
「……さあ?」
互いに首を傾げるが、そんなことどうてもいいかと俺は首を振って話を進めることにした。
「その札って、どうやって使うんだ?」
「火を出したり……、水を出したり……、岩を出したり。あと、式神みたいなのも出せる」
「つまりいろんなものを出せる、万能な魔法道具ってわけか」
「それともっと増やせる」
浦野は札を宙で振って唱えた。
「増刷切解手中五葉(ぞうざつぜっかいしゅちゅうごよう)」
すると浦野の持つ札から淡色の炎のようなものに包まれた。それが消えると一枚だった札が五枚に増えていた。
「おお、すげえ! 手品みたいだ」
「五枚まで増える。でも増えた分、弱くなる」
あまりにも簡潔すぎる説明を、俺は頭の中で補完していく。
「……つまり、札が増えることで力が分割されて一枚一枚の魔法が弱くなる、ってことか?」
「魔法じゃなくて……陰陽術?」
「それは自分でもあまりよくわかってないのな」
浦野は黙ってうなずく。
「なあ、その札って俺も使えたりしないのか?」
「わたし以外使えない」
「そうか……。難所の攻略うんぬんを抜きにしても、高らかに呪文を唱えて陰陽術使ってみたかったなあ」
「どんまい」
無感情な口調でも、慰めは嬉しいものだった。
「本当、どうするかなぁ……」
俺が頭を抱えて唸りだした時、ふいに浦野が周囲をぐるっと見回して言った。
「……臭う」
俺がきょとんとしていると、浦野が繰り返した。
「変な臭い」
確かに場内には異臭が満ちていた。
しかしそれはものすごく不快なわけではなく、工場の中ならこれぐらい普通だろうと気にも留めていなかった。
浦野は円柱の器みたいな形をした重機に近寄り、見上げた。
俺も立ち上がって彼女の横に並んだ。
「ここから」
「なんだろうな。真夏の道路を思い出すような臭いだ」
「上行けば、中見れる」
上、というのは二階相当の高さにある渡り廊下のことだろう。
俺は浦野の後について二階に昇り、重機の器の中を見た。
「黒い……液体?」
「ツヤ具合からして、そうだろうな」
臭い、真夏の道路、黒い液体……。
それぞれの単語が有機的に結びつき、その正体に辿り着く。
「そうか、コールタールだ」
「コールタール?」
「ああ。前に雪奈から聞いたんだが、なんでもコークスを得るために石炭を乾留した際に、石炭ガスと共に副産物として生じるらしい。木材や鉄器の防腐塗装や医療目的に使われるんだとさ」
「……へえ」
さして興味の無さそうな相槌。だが視線は一心にコールタールに向けられている。
その黒い粘液を見ている内に、ふと閃いた。
「そうか……、あの手があったか!」
思わず素の感情が声に出てしまった。
浦野が顔を上げ、こちらを向いた。
「……何か、思いついた?」
「ああ。これなら一反木綿のヤツ等に、一泡吹かせてやれるぞ!」
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