5章 CROSS † DREAM  その2

「くそぉ、もう一回だもう一回!」

 俺は手汗で湿ったコントローラーを手に、雪奈に言った。

 彼女もコントローラーを胸の前で持ったまま苦笑した。

「いい加減諦めなよ。あとちょっとで200連敗だよ」

「なんでそんな強いんだよっ。前まで互角だったじゃないか」

「ふっふーん。日進月歩、人は日々成長する生き物なんだよ」

「俺だって日々研鑽を積んでいたのに……」

「ほら、人には向き不向きってあるから。お兄ちゃんは料理が上手じゃん」

「くっ……。それ以外に、雪奈に勝てるものはないのか」

「あ、もうそろそろ夕食の時間だよ」

 雪奈は壁にかかっている時計を指差した。

 短針は六を過ぎ、長針は四と五の間を指していた。


「……あれ? あの壁掛け時計、昨日までなかったような……」

 それは黒地に舞い散る桜、そして針と数字を金色にした、上品な和風のデザインだった。

 雪奈はゲームとテレビの電源を落として言った。

「1週目の6月にはあったでしょ。お兄ちゃんのスマホ依存が酷いから、時間の確認ぐらいは他のものでしようって。永遠の6月のせいですっかり忘れてたけどね」

「……うーん。1週目の6月は大学のレポートに忙殺されてたから、ほとんど記憶がないんだよな」

「夏休みの宿題みたいにため込むからいけないんだよ」

「仕方ないだろ。ショートケーキの苺と厄介事は最後まで残すのが人間の習性なんだよ」

「主語が大きいうえに、その二つは全然違うから」


 雪奈は俺の手からコントローラーを回収して収納用の棚に仕舞った。

「これからは居間にいる時は、時間の確認は壁掛け時計でしてね」

「わかったよ。まあもう、ソシャゲはやらないだろうし」

「……さっき雪奈がお手洗いに言ってる時、女の子が出てくる麻雀してなかった?」

「あっ、あれは単なる脳死ゲーじゃないからな! キャラ性能に依存しない、本格的な頭脳戦なんだぞ!!」

「はあ……。お兄ちゃんは本当に二次元の女の子が好きだよね。本月さんっていう想い人がいるのに」


 じくっと、胸が痛んだ。

 それが表情に出たのか、雪奈は怪訝そうに眉をひそめた。

「……どうしたの。本月さんと、何かあったの?」

「いや、その……」

「もしかして……、フラれたとか?」

「いや、そうじゃない。……雨、のせいかもしれないな」

「雨?」

「そう、雨だ」

 雪奈は首を傾げていたが、俺は構わず立ち上がった。


「夕飯は何がいい?」

「え? えーっとね、カレーかな」

「……一昨日(おととい)もカレーじゃなかったか?」

 一昨日というのは無論、前回の6月の29日だ。


「だって、お兄ちゃんのカレーは何度食べてもおいしいんだもん」

 にこっと笑う雪奈。弾んだ声で言われたら、嬉しくないわけがない。


「わかった。材料はあったかな……」

「お兄ちゃんが大学に行っている間にネット通販の速達で買って、冷蔵庫に入れておいたよ」

「いつの間に……」

「楽しみにしてるから、頑張って作ってね」

「はいよ」

 俺は立ち上がって台所に向かった。


   ●


 夕飯を食べ終えてから、しばらく経ち。

 22:39。

 雨脚も若干弱まり、川のせせらぎに似た音が外から聞こえる。

 俺は制服姿の雪奈と居間で向かい合わせに座り、各々のスマホを机上においてサヤでの集合時間を待っていた。


「今回の6月は、どうするんだ?」

 雪奈は両こぶしをぐっと握りしめて言った。

「情報も大分集まったし、いよいよ一つ目の七色の鍵を手に入れに行くよ」

「……情報、集まってたのか?」

 まるで実感がなかった。

 俺は基本的に街中を彷徨い、聞き込みをしていただけだ。

 そこで得られるのは他愛(たわい)ない噂話だけで、一生永遠の6月に閉じ込められたままなんじゃないかと不安に思っていたのだが……。


「お兄ちゃんと小租田さんは、ほとんど有用な情報を手に入れてくれなかったもんね」

「いや、俺も他のみんなみたいにコイグチの外に出してくれればよかっただろ」

「だって、お兄ちゃんのステータスすごい低いんだもん」

 ぐさっと心に刺さる。

「……え? 俺、そんなに弱い?」

「うん。叩いたらぽとって落ちちゃうハエみたいに」

「ははは、そんなバカな」

 冗談だろと暗に言ってみたが、雪奈は真顔のままぴくりとも表情筋を動かさなかった。


「……マジで?」

「じゃあ今回は、実際にコイグチの外に行って戦ってみたらいいよ」

 肩を竦めた雪奈に、ため息と共に言われた。

「おお、初の実戦か」

「うん。だけどペアは変えさせてもらうね」

「へえ。何気に初めてだな、ペア替えは」

「ただお兄ちゃんのペアは妖穴(ようけつ)の探索には不参加ね」

「なんでだよ? ……っていうか、妖穴ってなんだっけ?」

 俺が首を傾ぐと、盛大な溜息を吐かれた。

「……七色の鍵が眠ってるダンジョンのことだよ」

「ああ、そうだったそうだった」

「とにかく、そんな抜けてる人を危険な場所には行かせられないから」


 どうしても納得いかずに、俺は抗議に出た。

「でも俺、武士だぞ? 毎回刀に選ばれてるジャパニーズ・侍だ。なのに戦場の外でちまちま聞き込みなんてしてたら、『ヘイ、ナマクラソード』って笑われるぞ」

「リメンバーズには外国人はいないでしょ」

「まあ、そうだが……」

「それに職業はみんな毎回一緒だから」

「あー、やっぱりそうだったのか……」

「今回、お兄ちゃんは浦野さんと一緒に動いてもらうよ」

 頭の中にフードをすっぽりかぶって顔すら見えない、不気味な女の姿が浮かんだ。


「……なぜにアイツと?」

「単純に強いから。お兄ちゃんの護衛としてはぴったりだよ。それと、もう一つ……」

 僅かな間を置き、雪奈は言った。

「できれば、あの人の素性も調べてほしいの」

「素性って……、名前はわかってるじゃないか」

 と返すと、雪奈の顔が難しいものに変わった。


「浦野さんって、どれだけ調べても詳しい情報が出てこないんだよね」

「だけど、黒木のはすごい詳しく知ってたじゃないか」

「あの人は有名企業に勤めているうえに、プライバシー周りが緩かったからね。それに交通事故とか家庭内暴力を起こしているせいで、各方面からマークされてたから」

「……色々すごいな」

「それなのに有名企業に勤め続けられているんだから、日本ってすごい国だよね。色々な意味で」

 皮肉を飛ばしたその笑みは、思わずぞっとするほど冷え込んでいた。


「……じゃ、じゃあ、小租田はどうなんだ?」

「あの人は、ちょっと難しかったな。SNSも基本的に身内としかやらないし。ただとある病院のデータベースに出産記録を見つけて、そこから色々と辿ることができたから、今じゃ生い立ちから語ることができるよ」

「なあ、どうせ時間が巻き戻るからって違法なことに手を染めてないか?」

「グレーゾーンだよ、グレーゾーン」

「……認識の相違がありそうだな」

 俺はため息を一つ零した。


「続けて訊かれるのは要津さんかな? あの人はすごく簡単で、お兄ちゃんでもわかるはずなんだけど……意外と気付いてないみたいだね」

「えっ、ど、どういうことだよ?」

「いつか自分で気付くかもしれないし、ここでは言わないことにするよ」

「なんだよ、それ」


「ふふふ。……でも浦野さんだけは、さっぱりなんだよ」

 雪奈は暗い顔で俯いて肩を竦めた。

「ごく普通の一般人だと、やっぱり難しいってことか?」

「どうだろう。まあ雪奈も、万全の情報網を持ってるわけじゃないからね」


「ずっと一緒にいたんだろう? 会話してて、何かわかったりしなかったのか」

「あの人、無口だから。最低限のこと以外はほとんどしゃべてくれないんだよね」

「確かにミステリアスって感じだもんな」

「いくら激しく動いても、顔すら見せてくれないんだよ。まったく、イヤになっちゃうよ」

 雪奈は珍しく苛立った様子で机を指先でトントンと叩いた。


「そんな相手に、俺なんかがどう対応すればいいんだ……?」

「雪奈と違って、お兄ちゃんはあまり警戒されてないと思うの。だからフレンドリーに接して打ち解けていけば、きっと心を開いて色々とお話ししてくれると思うな」

「……そんな簡単に行くか?」

「うん。大丈夫大丈夫、お兄ちゃんならきっとできるよ」

 つまりなんにも根拠も作戦ないってことか……。気が重くなってきた。


「それと、今の内にお兄ちゃんは少しでも戦いに慣れておいてね」

「おっ、いずれ前線で戦わせてくれるのか?」

「うん。ステータスは妖怪と戦って勝てばば伸びるみたいだから」

「まさかサヤはRPGだったのか!?」

「世界の法則的に、どうもそうっぽいね。それにしては町の住民が生き生きしすぎてるし、景色もすごくリアルだったけど」

 ぶっちゃけあそこをヴァーチャル世界というには無理があった。ものの見た目といい質感といい、現実と比べてそん色ないどころかまったく同じだった。


「超リアルRPGってことか。……っていうかさ、いくらステータスを上げても6月1日になったらまたリセットされるんじゃないか?」

「うん。だから高速レベリングに最適な狩場も見つけておいてね。妖怪の湧き具合は毎回同じみたいだから」


 一旦タスクを頭の中にまとめる。

「俺が今回の6月にサヤですべきことは浦野の素性を調べることと、ステータス上げ。それに効率的なレベリング方法の模索ってことか」

「うん。お願いね」


   ●


 サヤに着くなり、俺たちはビビることになった。

「ハーッハッハッハ! ボクは無敵だ、世界の王だ覇者なのだーッ!!」

 黒木が仰け反るような格好でドデカい哄笑を教室いっぱいに響かせていた。


「……な、なんだあれ?」

「さあ……?」


 俺たちがドンびいていると、近くにいた要津が小声で教えてくれた。

「黒木っちのヤツ、上層部の弱みを握ってそれを利用して、幹部昇進支部長出身することができたんだってよ」

「……どこのアニメの話だ?」

「ループをまさかそんなことに利用する人がいるなんてね……」

「なある。2週目と3週目の世界で調査をして、今回それを炸裂させたってわけじゃん?」

「多分、そうだと思うよ。悪知恵もここまでくると、いっそ清々しいね」

「おお、キミたち、来てたのか。聞いてくれよぉ、なあ」

 普段は毛嫌いしているはずの雪奈にさえ親しそうに話しかけている。その浮かれっぷりは満面の笑みにこれでもかと溢れていた。

「幹部出世、おめでとうです」

「ブァーッハッハッハ! なんだ、聞いてたのか。せっかくボクの口から言おうと思ってたのになあ!」

「本当、すごいよね。きっと将来は社長になってるよ」

「ムフフフフフッ。このままお金を溜めて、いっそボクがでっかい会社を打ち立てて見ようかなあ! 男児に生まれたからには、一国一城の主を目指さなきゃねえ! なーっはっはっはっはッ!!」


 早くも雪奈の頬がぴくぴく震え始めていた。絶対内心で「この人すっごい面倒」とか思ってそうだ。


 このまま黒木の自慢談義が始まるんじゃないかと危惧したところ、浦野がすっと右手を上げて言った。

「……今回の6月、作戦の説明を求む」

 浦野の言葉に雪奈は明らかに安堵の息を吐いて言った。

「そ、そうだね。じゃあ、説明を始めるよ」

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