第3話 やきう

「ここが【ミスターP】の出没が多い公園だ。柊も被害を受けたところだな」


 そう。私も被害にあった公園だ。痴漢に注意という真新しい看板が立てられていた。注意しろと言われても、ラッキースケベにどう対処すればいいのだろうか。痴漢に注意よりも、「スカート注意」にしておいた方が良いのではなかろうか。


「さて、ここからは私と鷲宮と柊の三人に別れて【ミスターP】の捜索を行う。米澤と市ノ瀬はこの三人の近くにいるように距離を保ってくれ」

「三人の近くって、かなり難しくはないかい?」


 市ノ瀬は不安そうな声をあげる。たしかに、二人で三人の近くにいるなど、至難の技だ。


「仕方がない。市ノ瀬は鷲宮に。米澤は柊に付け。私には米澤が付け」

「あのぉ、気のせいですかね。オレが二人いない?」

「分身の術が使えたんじゃなかったのか?」

「あのですねぇ……」


 米澤先輩が困った顔をしていると、部長は「冗談だ」と言って笑った。


「米澤は柊に付けばいい。だが、注意して欲しいのは【ミスターP】に気づかれない範囲で近くに付くことだ。確保出来る範囲かつ、自らの存在がバレない絶妙な位置――その感覚が重要になる。上手くやってくれ。あとは別れて【ミスターP】を探すだけだ。解散!」


     *


「そんな簡単にみつかるかなぁ……」


 公園からそう離れてはいない河川敷をトボトボと歩く。後ろを振り返ってみるが、【ミスターP】と思われる人物はおろか、米澤先輩すら見かけられない。何かあったら助けに来てくれるのだろうか。


 不安を抱えつつ、土手にある芝生の絨毯に座り込む。川を挟んだ向こう岸では、小学生ぐらいの子供が野球をやっていた。頭の中を空っぽにして、ぼーっと野球観戦をしていると、ひと際大きい子がバッターボックスに立った。彼がバットを構えると、やけに声援が盛り上がった。将来優良株かと思って、目を凝らしてみると、私のよく知る顔がバットを大振りした。


――ストライク!


 彼は、見事な空振りを決めた。


「米澤先輩じゃん!」


 何やってんだあの先輩は!


 私に何かあっても絶対に助けられないじゃん!


「おぉ、見事なスイングじゃな」

「っ!」


 声に詰まる。


 誰かと思い隣を振り踏むと、まるで仙人のような白髭を生やした、よぼよぼのお爺さんが座っていたのだ。


「えっ、あの、だ、誰ですか?」

「ん?儂か。わしやぁ、この河川敷で30年も小学生の野球観戦している、暇なジジイじゃ」

「えぇ……」


 私はいま、直感的に変な人に絡まれたことを理解した。


「いまバッターボックスに立っているあの小学生」

「いや、高校生なんですよ」

「に、見えるよのぅ」

「……そうですねー」

「今日初めて見たが、なかなかの腕をしておるな。あの力強いスイング、小学生とは思えん!」

「小学生じゃないですよねー」


 このお爺さんはアレだ。ここら辺の名物お爺さんだね。小学生の間じゃ何かと話題だよ。きっと。


――ストライク!


「うぬ。いい振りじゃな。だが、何故打たぬ。打つ場面じゃろうに」

「私はただの空振りだと思うんですよね」

「……いいや、違うのぅアレは。あやつの顔を見てみろ。笑っておる。このゲームを楽しんでおるのじゃ!」

「バトル漫画みたいな台詞言わないでくださいよ。私には、真っ青な顔して焦っているようにしか見えないんですよね」


 ボードを見ればツーアウト、ツーストライク、スリーボールの後がない展開だ。点数は三対二の裏。ランナーは2塁の一人。ここで決めればサヨナラ逆転だ。


 ベンチの盛り上がりは最高潮。余計なプレッシャーが掛かっているのだろう。


 緊張しているのは、バッターだけではない。ピッチャーの緊張感も川を跨いで伝わっている。肩で大きく息をして、腕で汗を拭う。帽子を深く被り直すと、ピッチャーは構えに入った。米澤先輩も「来い!」と大声で叫んでバットを構えた。


「この勝負、どちらが勝つか、全く読めぬ展開じゃ!」


 爺さんは興奮しきった声で手に汗を握らせている。


 スポーツとは不思議なもので、観ているだけでこちらを興奮させる。観ていてもプレイヤーになれる。その場の雰囲気、熱気、興奮、すべてを共感し、共鳴することで、プレイヤーとウォッチャーは同化される。


――私は無意識のうちに叫んでいた。



「打てえええええええええっ!!!!」



――

――――

――――――キーン



 晴天に、甲高い声が鳴り響く。


 白い点が大空を舞い、弧を描く。


 徐々に地面へと近づき、そして……


――ポチャンと音を立ててボールは川の中に呑まれた。


「――やりおったわ!」

「打った!」


 米澤先輩はガッツポーズを見せながら塁を走っていく。「よくやった!」「流石だ!」「いいぞ!」などと囃し立てる声援が聞こえてくる。まさに、ヒーローと呼べる扱いだった。


「よくあの場面で打ったのぅ。大した根性を持っておるわい」

「根性持ってる人は違うなー」


 普段の言動を思い出しながらお爺さんの後に続く。


 さて、と立ち上がる。


「お嬢さん、行くのかい?」

「はい、いいもの観れたので」


 別に何も観るつもるなんて無かったが。


「儂ともう少し喋らんかね?」

「え?」

「この素晴らしき試合について語らおうといっておるんじゃよ。どうじゃ、儂の家でも来ぬか?お茶でも出して二人でゆっくりと――」

「おい!この変態爺さん!」


 耳がつんざけそうな金切り声がして、後ろを振り返る。


「まーた若いおんなを引っ掛けてんかい!いい加減にしなさいな!」


 爺さんと同年代らしき婆さんが土手に降りてくる。


「ば、ばあさんや、この娘さんとは一緒に野球を観てただけでな――」

「何言ってんだい!あんた、先週もお同じように娘っ子を引っ掛けてただろう!」

「ばあさん、何言ってんだい?」

「こっちの台詞だよ!このボケジジイ!」


 婆さんは爺さんを引っ張り、どこかへ行ってしまった。


「一体何だったんだ……」


 私は遠ざかる二人を見つめながら、夢でも見ていたかのように呟いた。


「――おーい!柊木~!」


 その呼び声に振り返ると、先程までバッターボックスに入っていた米澤先輩がバッターを方に背負いながら走ってきた。

向こう岸からここまで軽く見積もっても橋を渡って五珀メートルほど。これにはウサインボルトもびっくりなのではなかろうか。


「見てたか?あの特大ホームラン!」


目を輝かせながら話す米澤先輩は、生き生きとした小学生のようで、その目に疲れの色は一切見えない。


「見てましたけど、一体何してるんですか。【ミスターP】を捕まえるんですよね?」

「いやぁ、野球に誘われたら断れないじゃん」

「……部長に言いつけますよ?」

「頼む!それだけは勘弁してくれ!」

「それじゃあ、何をしてくれるんですか?」

「何?」

「部長に言わない代わりに、私に何かしてくれるんですよね、先輩?」

「っ、生意気な後輩め」

「駅前にー、新しい喫茶店が出来たのってー、知ってます?」


 少しおどけて言ってみる。


「あー、この前、鷲宮がそんなこと言ってたな」

「そこに私と一緒に行って、奢ってください」

「……わかったよ。何でも食べやがれ。その代わり、部長には黙っててくれるんだよな?」

「勿論ですよ」


 私はわざとらしく笑みを浮かべると、【ミスターP】を見つけるために歩き始めた。米澤先輩も、やれやれと言わんばかりに私の後に続いた。

 やれやれはこっちだけどね! 


 

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