第4話 異世界の実家

「う、うーん……」


勇悟は気が付いたらベッドで眠っていた。澄んだ空気や窓から差し込む光の雰囲気から、恐らく朝だと感覚で分かる。朝のまどろみの中でまだあまり働いていない脳を少しずつ活性化させていく。


「うーん……僕は眠っていたのか?……確か昨夜は遅くまでカクテルブックを読んでいて……そうだ、ジエリ・トマスの爺さんが出てきたんだった!」


布団に包まりながら昨晩の出来事を思い出してみる。珍しく大声を張り上げたので鮮明に覚えているのだろうが、やけにリアルな夢だった。


夢の最後で僕は異世界転生をしたという事になっていた。もちろん死んでもいないのにそんな筈は無いと頭では解っている。にも関わらずこの違和感。なんだか部屋の雰囲気まで違う様な……


「ダメだ!頭が働かない、顔を洗ってコーヒーでも飲もう」


勇悟はベッドから飛び起きる。江尻家では朝食は勇悟の担当だ。父譲治が家に帰ってくるのは朝方ではあるが、母がいなくなってからというもの朝食は親子二人で摂るのが通例となっている。


コーヒーのハンドドリップのやり方は、中学に上がって暫くしてから父が教えてくれた。正直コーヒーはそれまで苦くてあまり好きではなかった。母が使っていた電気式のコーヒーメーカーではやはり限界があり、大抵の子供はコーヒーを嫌いになるのだ。


父が初めて淹れてくれたドリップコーヒーは香り高く、柑橘やベリー系のフルーツを感じさせる、それまでの〈焦げた豆の煮汁〉とは全く次元の違う飲み物で、感動すらしたのを覚えている。


『ユーゴ。母さんの事、悪かったな……』


シャイな父なりの罪滅ぼしのつもりだったのか、それから僕にコーヒーの淹れ方を毎朝教えてくれる事になった。


おかげで父ほどでは無いが最近はかなり美味しいコーヒーを淹れられるようになったという自負がある。


話がそれた。ベッドから降りる時に足元を見ると見慣れない青いスリッパが片方だけ脱ぎ捨ててあった。


「ちょっ!待て、見覚えあるぞこのスリッパ!!!」


勇悟は辺りを見回す。部屋の作りは似てこそいるが非なるもの。本棚にはコミックスではなく百科事典の様に革の装丁の立派な本が並び、明らかに木の温もりを感じさせる天井や壁、よく見ればベッドのマットレスだってしっかりしてはいるが当然スプリングでは無い。


「流石にこんな時ばかりは枕が変わっても眠れてしまう、自分の鈍感さに呆れるな……嫌な予感しかしないけど、ひとまず落ち着こう。そうだコーヒーを淹れようとしてたんだ」


勇悟は勝手知ったる我が家のように階段を降りた。造りこそ違うが部屋のレイアウトなどは元いた世界の実家とよく似ている。


「んっ、美味しそうな匂いがする?ここでは朝食担当は僕じゃないのか?というかここはやはり実家では無い……」


最大限に警戒をしつつ香ばしい肉や野菜の香りに誘われキッチンへと辿り着いた。


と、そこへ……


「おはよう!ユーゴ。今朝は早かったな」


「ーーーととと父さん???」


「なんだー幽霊でも見るような顔しやがって、お前寝ぼけてんのか?顔洗ってこい」


動揺が隠せないが、落ち着け落ち着くんだ。確かトマス爺の話だと、物語風に言えば全ての世界の登場人物は大体同じだと言っていた。という事はこの世界の父さんが僕の父さんとそっくりでも何の不思議もない、のか!?


父譲治は日本人にしてはかなり彫りが深く外人顔でしかもイケメンだった。勇悟が物心つく前には亡くなっていたので会ったことは無いのだが、祖父はイギリス人と日本人のハーフだと聞いている。名前は確か《ヘンリー・トーマス・江尻》


髪色も元々少し茶色いのでたまに道行く外国人に話しかけられてしまう程だ。その問いかけにちゃんと英語でスラスラと返していた父のスペックの高さにも驚かされたのだが。


「ええっと、おはよう父さん。ねえ、ちょっと変な事聞いて良い?僕の名前フルネームで言ってみてよ」


「何だそれ?最近町で流行ってんのか。


お前の名前は 《ユーゴ・エジリ》だよ!


ちなみに俺は 《ジョージ・エジリ》だ!


これで満足か?」


「う、うん、ありがとう!顔洗って来るね」


「おう、変な奴だな。もう飯出来てるぞ」


僕は洗面所で顔を洗いながら、自分の心がすでに落ち着きを取り戻している事を感じた。どこからどう見てもいつもの父さんがそこにいた安心感からだろう。


もしかしたら祖父と父は名前をつける時に、意図的に外国人にも呼びやすい名前を付けたのかも知れない。


(恐ろしいほど自然に外人名に変換されてて笑ったわっ!まあでも機関車みたいに◯ェームスや◯ーシーじゃ無くて良かった……)


などと独りツッコミを入れつつ、我ながら自分の切り替えの早さには感心するのであった。


ーーーーーーーーーーーーーー


江尻家の朝食は大体トーストと目玉焼き、そしてモーニングコーヒーだ。父譲治は仕事明けなのでパンは半分で目玉焼きを一つ、僕はパン1枚半と目玉焼きを二つというのが定番だった。


本日のエジリ家の朝食は、パンとスープ、そして茹で卵が一人一つ。初めて見る食卓なのにものすごく落ち着くのはやはりここが実家だという事なのだろう。


「「いただきまーす」」


(うん、美味い。この世界でも流石父さんだ)


素朴なスープではあるが丁寧にとった動物系の出汁に、肉と野菜がゴロゴロ入っている。うっすらとしたトマトのような色と酸味も恐らく野菜由来であろう。少し硬いがカンパーニュみたいなこの黒パンとも凄く相性が良い。茹で卵は普通に塩で食べた。


食べ物が美味しいというのはとても重要だ、今日を生きる活力がみなぎってくる。残念ながらモーニングコーヒーは無かったが、この世界ではまだまだ高級品なのかも知れない。折を見て探してみよう。

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