告白
「……ねえ。あんた、どこに行くの?」
美冬に背を向けて一歩を踏み出した時、美冬に声をかけられた。
「……さあな。どっか、お前の知らないとこだ」
「……何よ、それ」
俺は美冬の方を見ずに答えた。美冬はまだ納得できていないようだが、あまり突っ込んで聞いてほしくはなかった。
「ちゃんと説明してよ。10年以上音信不通だったのに、なんで急に来たのよ。あと、旅って……?」
「それ以上は聞かないでくれ」
俺は美冬の言葉を遮った。美冬が息を呑む音が聞こえた。
「……一目、お前に会って、あのペンダント返して……謝りたかった。それだけだよ」
自分の都合ばかりで、あまりに自分勝手だとは分かっていた。でも、もうここにとどまっていることはできない。
「じゃあな、美冬」
俺は振り返って、笑顔でそう言った。
俺は逃げるようにして美冬の家を去った。雪の勢いが強くなっていたが、もう気にはならなかった。むしろ、激しく降る雪が、俺の姿を美冬から隠してくれますように、と望んだぐらいだ。
俺は、もうここにいる資格はない。なぜなら、俺は既に死んでいる人間だからだ。
俺は大学を卒業して、一応地元の企業に就職してはみたが、どうも肌に合わなかった。わがままだと思われるかもしれないが、合わなかったものは合わなかったのだ。
別に、人間関係に悩みを抱えていたとか、仕事の内容が気に入らなかったとか、そういうわけじゃない。ただ、「なんか違うな」と思ったのである。まあ簡単に言ってしまえば、そこで働いている人たちと俺とは、目標が違うように感じたのだ。……いや、その人たちの考え方を否定するつもりはなかったんだけど。
辞表を出してから数日後に旅支度を始めたのはいいが、目的地が定まらなかった。でも、もう地元に帰ってくるつもりはなかったから、出発する前に、やり残したことは全部やってしまおうと思った。さて何をしようか、と考えたが、俺は大して愛郷心など持っていないことに気づいた。家族とはとっくに死に別れているし、地元に何人かいる友達も、深い付き合いを続けている奴はほぼ皆無と言ってよかった。
だが、そんな中で、ふと俺の脳裏に、美冬との幼き日の思い出がよぎった。そういや、あいつから取り上げたままの物があったっけ……と、なぜか急に思い出したのである。思い立ったが吉日で、俺は早速、美冬に例のペンダントを返しに行こうと、彼女の家を目指したのだ。
その道中で、俺は死んだ。
あの日も、雪が降っていた。俺は美冬の家へと車を走らせていた。しかし、タイヤが悪かったのか、車がスリップして道路からはみ出してしまった。とりあえず車から降りて状況を確認していたところ、前方を小さい子が歩いているのが見えた。頬がリンゴのように赤く、白いダウンを着ていたのもあってか、どことなく小さい頃の美冬に似てるな、と思った。
次の瞬間、対向車がやって来るのが見えた。止まる気配はなさそうだった。
……危ない!
俺はとっさに、その子の方に駆け出した。その子を抱きとめた瞬間、ものすごい衝撃が俺の身体に走った。意識が途絶える直前、最後に俺の目に映ったのは、真っ白な雪に飛び散った、鮮やかな紅色だった。
気がつくと、お経のような物が聞こえてきて、何事かと思って目を開けると、俺の写真が目に入った。写真の額には、リボンが掛けられていた。辺りを見渡すと、黒い服を着た人々が数人、たくさん並べられた椅子のいくつかを埋めていた。……10人に満たないぐらいだった。
そうか、これは俺の葬式か。あんなことになって助かるはずないもんな。
俺は、自分でも驚くほどあっさりと、自分が死んだことを認めた。……じゃあ、なんで俺は普通にここにいるんだ? と、死んだら無になって何も感じないとばかり思っていた俺は疑問を持った。
そうか、俺は幽霊になったのか。俺はそう思った。だが、なぜか普通に物に触ることができた。足もあるし、ちゃんと地面に両足で立っている感覚もあった。
ともあれ、幽霊になったからには成仏しないといけないんじゃないかと思い、とりあえず未練はないかと考えを巡らせた。
思い当たることは一つだけ。美冬に会えなかったことだった。
友達を作るのは苦手じゃなかったが、親友と呼べるような奴は一人もいなかったんじゃないかと思う。美冬にしたってそうだ。だけど、あいつは一番最初にできた友達だったし、実を言うと一番付き合いの長い奴だった。だから、故郷を離れるにあたって、最後にあいつに会ってペンダントを返して、過去の思い出を清算しようと思っていた。
この際だ、どんな形でもいい。あいつの顔を一目見て、この世界に別れを告げよう。そうすれば、今度こそちゃんと眠れるはずだ。そう考えて、思いを新たに、俺は美冬の家に向かったのだ。ペンダントを持って。
美冬は、俺が死んだのを知らなかったようだ。知ってたらもっと、あんた死んだはずじゃないの、なんでこんなとこにいるの、とかなんとか突っ込んだはずだ。
……連絡も行かなくなるぐらい、俺たちは疎遠になっちまったんだな。
俺は改めて、長い月日が隔てた俺たちの距離に思いを馳せた。別に疎遠になったことを恨んでいるわけでも、嘆いているわけでもない。あいつはあいつで、それなりに幸せにやってるようだ。あいつの左薬指にはめられていた指輪が、何よりそれを象徴している。
さて、やるべきことはやったし、そろそろ行きますか。
俺は辺り一面の銀世界が、昇り始めた太陽の光を反射してキラキラ輝くのを見ながら、身体の感覚が薄れていくのを感じた。
「……元気でやれよ、美冬」
ふとそんな言葉が口から漏れた。
またいつか、会える時が来たらいいな。
身体が消える直前、漠然とした、雪のようにすぐに溶けてしまいそうな希望が、頭の中にぼんやりと浮かんだ。
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