第17話 ルカノール

 俺が助けを呼ぼうと街を駆け回る最中、アーロンは既に発砲を完了していた。理由はルカノールが見知らぬ男性と会話を始めたから。ただそれだけの理由で、気の動転していた彼は殺害を決定してしまった。


 だが、幸か不幸か、弾丸が命中する事はなかった。魔弾と呼ばれる彼の弾丸が何故当たらなかったのか。それは、魔弾を魔王につかまれたからだった。


 その悪魔の風貌はルカノールと同じ赤い目に金色の髪をした、全裸の男だった。


「危なかったな。これが当たっていれば貴様を殺さなくてはならなかった」


 街中で発砲したにも関わらず、その魔弾を全裸の男が摘んだにも関わらず、誰一人として反応を見せた者はいなかった。


 それが奇妙で狂気的で、今対峙する敵がそれほど強大だと分からせる物だった。


 だが、アーロンはそこで引く事ができなかった。恐怖で引く事ができるほど大人ではなかったのが、彼の一番の不幸だった。


「なるほどな。だが安心するのはまだ早い。何せ俺の魔弾は必中だからな」


 完全に停止していたはずの弾丸はゆっくりと回転を始め、その手をすり抜けた。


「っ!」


 男は一瞬動揺したが、すぐさま逆の手で掴み直した。それ自体は先も見せた事と同じなので、特別な事ではない。


「喰らえッ!」


 男が弾丸に目をやっている最中に、アーロンは距離を縮めていた。そして彼は、自身の最も信用する拳を振り下ろした。


 当然、非力なアーロンの拳が、弾丸を超然と掴む化け物にダメージを与えられるわけもなかった。


 だが、男は明らかに動揺を見せていた。額に手を当て、痛みよりは不快感に頭を悩ませているようにも見えた。


「……なるほど。記憶操作のスキル……いや、魔手か」


 まさか瞬時に正体がバレるとは思っていなかったアーロンは、動揺しながらも超至近距離で魔弾をもう1発放ちつつ、後方に跳んで距離を取った。


 男は記憶の一部を消去されている中、余裕綽々と弾丸を掴んだ。


「残念だったな。俺じゃなければ勝てていたぞ」


 筋力の動かし方を忘れているはずの男は、軽く手を振った。ただそれだけだった。


 瞬間、アーロンの頬を痛みが襲い、液体が頬を流れる。


 それを手で拭ってみると、赤い液体が付着していた。


「え……血?」


 おそらく先程掴んだ弾丸を投げたのだろう。そう理解するまでの一瞬の困惑を見逃さなかった男は、次の瞬間にはアーロンの懐へと入っていた。


「実に、残念だった」


 男は軽く握った拳で、緩やかな加速を付けながら、力がまるで篭っていないパンチを繰り出した。武術も何も使っていない、なんな工夫もない、子供の喧嘩に似たパンチだった。


 だが、それが腹部に当たった瞬間に呼吸が止まり、意識が飛びそうになった。何メートルか後方に飛ばされた。


 全身怪我だらけになり、最早ここまでかと諦めそうになった。


 瞬間、一発の弾丸が男を貫いた。何が起こったかはすぐわかった。男が投げた魔弾がブーメランのように帰ったのだと。


「俺の契約した悪魔はまだ諦めていないらしい……なら、俺が諦めるわけにもいかないよな」


 アーロンは無駄な策を張り巡らせる事を諦め、拳銃に残っていた魔弾を全て撃ち切った。


 めちゃくちゃに飛び交う弾丸を、男はギリギリで全て避けた。表情こそ余裕がある風だが、掴めずにいる事と反撃ができずにいる事を考えるに、実際には余裕がないと思える。そう思いたい。


「ほう。その奇策で着飾らない素直な戦い方、ただのチンピラかと思えば誇り高い戦士であったか」


「着飾ってないのはお前だろ。服くらい着ろ」


 いくら強くとも彼は全裸だ。その事実は変わらない。


「だが、もうどうだっていい。もうすぐ奴らが来るようだからな」


 そう言うと、男はその場から消えていた。そして入れ替わりで俺達が到着した。


「とまあ、そんな感じだ。信じられないだろ?」


「……なるほどな。分かった」


 俺が納得すると、衣笠は変に突っかかってきた。


「こんなアホな話、千鶴氏は信じるのですかな!」


「お前よりアホじゃないからな。お前よりかは信用できるんじゃないか」


「なんですと⁉︎」と衣笠はすっきょんとうな声を上げながら、しかし自分の行いを省みたのか、急に威勢を無くして黙った。


「おいアーロン」


「なんだ?」


「俺の仲間になれ」


「……まあ、妥当な所だな。だがいいのか? 俺たちを仲間にするって事は、国家反逆の罪を背負う事なんだぞ」


「ああ、構わない。ついてこい」


 俺はアーロン達を連れて、とある家の前まで来た。


「誰の家だ?」


 アーロンは不思議そうにそう言った。


「これ見れば分かるだろ」


 俺が指差した場所には弾丸がめり込んでいた。


「……なるほどな。姫が城を抜け出した理由がここにあるのか」


「そう言う事だ」


 俺はその家の窓から中を覗いた。それに続いて全員窓に顔を寄せる。


 中には小太りの男と、ルカノールがいた。険悪な雰囲気が流れ、何やら言い争っているようだ。


 そして何より、小太りの男の手は少し腫れている。


『もういっぺん言ってみろ』


 小太りは怒りで震える声で威嚇するように言った。一国の姫に使うべきではない言葉使いから、彼らの間柄は想像に難くない。


『貴方との交際関係を終わらせたいんです』


『何言ってんのか分かってるのかよ!』


 小太りは姫の腹部を殴った。男の殴り方を見るに殴り慣れているようだ。服で隠れてはいるが、姫の腹部には凄惨なアザがあるのではないだろうか。


 俺には少しも関係ないが。


「あの野郎……!」


 正義感が強いのか、アーロンは怒り心頭といった風に拳を握りしめ、今にも入っていきそうな危うさを見せた。


「待て。動くな」


「ふざけるな! 外道に成り下がる気はない!」


 アーロンは俺の制止も聞かずに扉へと向かった。


「俺に逆らっていいのか?」


 瞬間彼の体は硬直した。


「お前の仲間は、お前に負けたから付いているんだろ? そのルールをお前が破ったらどうなるだろうな」


 アーロンは舌打ちをしながら戻ってきた。


『お前はおとなしく金さえ持ってくりゃいいんだよ!』


『お金は……今は用意できませんでしたが……今度お詫びの分も合わせてお渡しします。ですからどうか……』


『うるせえ! そう言ってチクる気だろ……』


 そう言って錯乱気味の男が取り出したのは包丁だった。


「まさか……アイツに殺させて罪をおっかぶせる気か⁉︎」


 流石に一度錯乱している加害者側を経験しただけに、変に感が鋭くなっている。


「…………」


 俺は何も言わない。だが、瞳で『行くな』とだけ訴えかける。


「……てめえの方がよっぽど悪魔らしいぞ」


 俺とアーロンの視線が触れ合う最中、唐突に衣笠が忙しなく俺の肩を叩いた。


 俺は瞬時に視線を戻したが、もう遅かった。


『なんだこの……お……さん……』


 小太りはその場に力なく倒れた。その犯人らしき人物は周りにはおらず、すでに逃げた事が予測できる。


「チッ! 見逃した!」


「は? 見逃した?」


「ああ。ルカノールが追い詰められれば魔王が来ると分かっていたから放置していたが……お前のせいだぞ!」


「いやだって、さっき図星突かれて黙ったんじゃないのか?」


「違う。ただそろそろ魔王が現れるのに、わざわざ騒いで隠れてるのを明かす馬鹿をしたくなかったんだ」


 徒労に項垂れるアーロンを背に、俺は家の中に入った。姫は困惑と安堵を半分ずつ宿した表情でこちらを見ている。


「ええと……私は助かったんでしょうか?」


「そうだな」


「……どこから見てました?」


「お前が殴られるちょっと前」


「ほとんど全部じゃないですか! だったら助けてくださいよ」


「カップル間のイザコザに手を出すとどうなるか、そこのアーロンに教えられたからな」


 ルカノールは諦めたように吐息をもらした。


「はあ。私の負けです。この事が流布されると私は大目玉では済まないでしょうし、ここまで弱みを握られてはどうしようもありません。城に戻っても何も言いませんよ」


「流石は姫クラスにもなると物分かりがいいな」


 無事に話が一段落し、みんなで一呼吸置いた後、衣笠が手を上げた。


「あの、話し合いが終わったのでしたら一つお尋ねしてもよろしいか?」


「ん? なんだ」


「その姫さまは何故あのようなゲス男と交際していたのですかな? あの男の手を見る限り暴行は日常的にあったようですし、こんな事言っては申し訳ないですが、顔だって姫さまには似つかわしくないですぞ」


 ルカノールはうつむくばかりで何も答えない。仕方がないので、代わりに俺が解説してやる事にした。


「ああ、それはな、ルカノール姫は国の事なんて……いや、国王親父の事なんてどうだっていいからだよ。自分の名を"頂いた"ではなく"貰った" と言った時に違和感は感じたんだ。父に対する敬意が薄いんじゃないかとな。姫の優先順位は軒並み最底辺にある。だからあんな男でも、少し優しくすれば相対的に大切に思える。錯覚みたいなもんだ」


 よりわかりやすく言うと、惚れっぽいのだ。


 ルカノールは殺意の篭った眼差しを送ってくる。知られたくない事を知られた上、これだけ言いふらせば俺だって殺意を覚える。


「……錯覚で何が悪いんですか」


 唸り声にも似た怒りの声を上げたルカノールに対して、俺は小太りの俺を掴み、腹話術の人形のように口をパクパクさせた。


「悪くはない。けどな、それで満足できなくなったから別れ話なんざしたんだろ」


 彼女の怒りは既に頂点に達し、ヒステリック気味に叫び出した。


「貴方は大切な物が何かわかるんですか⁉︎」


 俺はそのセリフを鼻で笑った。


「知るかよ。そんな物は自分で決めろ。俺の一番大切な物は我が祖国だが……衣笠! お前は何が大切だ?」


「小生は友と花ですぞ!」


「おお、セリフだけはかっこいいな。アーロン、お前は?」


「今だ。若い今だからこそできる事は全てやっておきたい」


「なるほどな。じゃあ小田原はなんだ?」


「アッシは……平穏、かな。でも世界も大事だし……うーん悩みどころだね」


「こんな感じだ。一人一人全く違う物を大切にしている」


 結局何が大切かなんて人による。それに正解なんてないし、誰かに指図される物でもない。


「私にも見つけられますか?」


「知らない。が、探さなければ見つかる事もないだろうな」


 ルカノールはすっかり冷静さを取り戻していた。過去を見直す時間が、今の彼女には必要なのだろう。


 しばらくして落ち着いた彼女は、唐突に俺の顔面に正拳突きを放った。


「イテ……突然殴るとか頭おかしいんじゃねえか」


「……何が一番大切かは分かりかねますが、今大切な事は貴方への復讐です。私はあなたを絶対許しませんから」


「ああそうかい。勝手にしろよ」


 俺は家を出た。姫以外も俺を追うように出てくる。


 少し歩いた所で俺は真顔になり、話を始めた。


「さて……ここからは別々に動くぞ。衣笠と小笠原は神殿に行け」


「見張りはどうなったのかな?」


「もういない。好きなだけ女神と会ってこい」


「了解した」


 衣笠と小笠原の姿は消えた。流石はチートスペックの転生組だ。目にも留まらぬ速さとはまさにこの事。


「アーロンは仲間に新しいボスが俺だと伝えろ。そして戦闘に備えさせろ」


「ん? それは構わないが、何との戦闘だ?」


「いいからできるだけ武器や装備を集めろ。期間は一週間程度だな。分かったな」


「まあいい。敗者に拒否権はないからな」


 アーロンもすぐにアジトの方向へ走り去った。俺は一人である場所に歩き出していた。

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